ショック療法


厄介な後輩に懐かれてしまった。
いや、後輩本人の言葉を借りるなら惚れられたと言ったほうが正しいのか。
冬休み明けに校門で待ち伏せされ大声で告白されて以来毎日のように好きです好きですと人懐っこい犬もかくやといった様子で付きまとわれ、最近では家にいても好意の塊みたいな幻聴が聞こえてくる始末。
傷つけないようにやんわり断っても一向にめげないポジティブさからしてもっと決定的な言葉で振らなければ終わらないのだろうが、問題は俺自身別にそこまで染谷遼平という後輩を嫌っていないということだ。
というか、嫌いどころではない。
会いにきてくれたら嬉しいし俺のためにあの手この手で頑張っているのを見たら色々ぐっとくる。
もし出会い方があんなふうじゃなくて、きちんとお互いを知った上で告白されていたら迷いはすれど頷いていただろうと確信できる程度には染谷は魅力的な男だった。

俺が染谷に声をかけたのはただの偶然だった。
冬休みのある日、近所のスーパーやコンビニには置いていないマイナーなスナック菓子を求めて学校周辺の道を歩いていると何の部活かはわからないがたぶんうちの運動部の連中なんだろうなってやつらが寒さで凍結した道で馬鹿みたいにはしゃいでいて、うるさいなと思って遠目に見ていたらそのうちの一人がお約束のようにつるりと滑って転んだのである。
その転び方があまりに見事で笑ってしまい、直後凍ったアスファルトで笑えないほど血だらけになった両手が見えて慌てて「大丈夫か」と声をかけ、そしてすぐに後悔した。
周りにはそいつの友人がたくさんいるのだから別に見ず知らずの俺がしゃしゃり出なくたって怪我くらいどうとでもなっただろう。
誰だこいつと言わんばかりの複数の視線が気まずくて逃げ出したくなったがそれでも声をかけてしまった以上いまさら何もせず立ち去るのはおかしい気がしてぽかんとしている流血男に先日かばんに補充したばかりだった絆創膏とポケットティッシュを渡し、同じくぽかんとしている友人たちにすぐ近くの公園で傷を洗って手当てしてやるように指示をして立ち去った。
いつもなら絶対無視していただろうに勢いで柄にもないことをしてしまったと溜息をついて、でもまあどうせ二度と関わることもないだろうしと気を取り直し目当ての菓子を買って家に帰り勉強を済ませ、眠る前に間抜けな流血男の顔を思い出して男前だったなとぼんやり考えた。
──そんな俺を、染谷は誤解した。
別に優しいから手を差し伸べたわけでも謙虚だからすぐに立ち去ったわけでもないのに自分とはまったくタイプの違う人間を見極めるのに失敗してたまたま声をかけただけの俺を美徳に溢れた素晴らしい人物だと思い込んでしまったのだ。
なんなら惚れたというのだって怪我をしたときに出たアドレナリンだかなんだかを恋愛の興奮とはき違えただけなのかもしれない。
幻想に恋している相手の告白を真に受けて付き合ったりしたらお互い傷つくことになるだろう。
というかその場合情を深めた後に「思ってたのと違った」と振られて大きな傷を負うのは間違いなく俺だ。
幻滅して捨てるのと幻滅して捨てられるのじゃ痛み分けにもなりやしない。



「セーンパイ!昼飯一緒に食いましょ!」

授業終わりのチャイムが鳴ってからの経過時間からして一年の教室から二年の教室まで走ってきたんだろうに息も切らさず登場して笑顔で弁当箱をかかげる染谷にクラスメイトがちらちらと好奇の目を向ける。
大きな口にあつらえたみたいにアクセントを添える八重歯、ガッシリとした筋肉質な体、高い背に長い足。
最初の数日は接点なんかどこにもなさそうな俺にいったい何の用があって一年のやたらと目立つイケメンがとざわついていたが一目惚れした相手を懸命に口説いている最中らしいと噂になってからはちょっかいをかけたりせずなりゆきを見守る方向でクラスの意見がまとまったようだ。
娯楽扱いされているみたいで腹立たしくはあるものの、新手のいじめじゃないかと疑って心配してくれていた友人たちを安心させることができたのはよかったと思う。

「ほらほら先輩はやく!休憩終わっちゃいますよ!」
「一、二分ロスしたくらいじゃ終わらないから急かすな」
「そこはほら、ちょっとでも長く二人きりで過ごしたいって男心っていうか」

だからはやくいきましょうと袖を引く染谷に本当に犬みたいなやつだなと呆れながら席を立つ。
断っても引かないのは確認済みだ。
クラスや食堂の真ん中で熱烈に口説かれながらメシを食うくらいなら素直に移動したほうがよほど利口だろう。

「先輩は今日もパン?少なくねぇの?」
「俺は帰宅部だからこれで充分なんだよ。お前こそでかいうえに運動部なのにもっと食わなくて大丈夫なのか?」
「実は全然大丈夫じゃないんで部活の前に追加で食ってます」
「だろうな」
「成長期なんですよね」
「成長はもうしなくていいだろ。そろそろ終わっとけ」

こっそりと秘密を打ち明けるように大きな体を屈めて特に驚きでもなんでもない事実を耳打ちで教えてくれた染谷が「もしかして身長低いの気にしてます?かわいい」と微笑ましげに笑った。
これもまた俺がこのままではいけないと思っていることの一つだ。
別に身長が低いとかかわいいとか言われることに抵抗があるわけではない。
容姿を見てかわいいと評されるなら、理解はできないが染谷の趣味が悪いということで納得できる。
だが染谷の場合俺の行動や思考を勘違いした上でかわいいと言っている。
勘違いに勘違いを重ねて褒められても何も響かないし、染谷は理想の誰かに恋しているだけで俺自身を見てはないということを思い知らされて虚しいだけだ。

「恋は盲目って上手いこと言うよな」
「いまの俺は先輩のことだけ見えてれば問題ないんで!」

俺のことすら見えてないから盲目なんだと言ってやりたかったがどうせ無駄なのでグッと飲み込み無言のまま空き教室の扉を開いた。
この拗れた関係を終わらせるのではなく正して先に進めるためにはまず染谷の目を覚ます必要がある。
そのためにこれまで何度も誤解を解こうと言葉を尽くしたが謙遜ととられて伝わらなかった。
言葉では足りない。
ではどうするべきか。

「染谷」
「なん」

ですか、と声が続く前に俺は染谷の腕をとって教室に引き入れ、その形のいい唇を塞いだ。
行き詰った状況を打破すべく以前から考えていた強引な手段のうちの一つを実行することにしたのである。
この空き教室は染谷が俺と二人きりになるために手を回して確保した空間だ。
始めてここで昼を過ごすことになったとき染谷は想いが通じて恋人にならない限り誓って手出ししたりしないと宣言をして俺を招き入れた。
実に紳士的なことだが、それはつまりここであれば恋人にならない限り俺だけが一方的に手出しできるということである。
染谷ならそんなあげ足を取るようなやりかたはしないのだろう。
でも俺はやる。
俺はそういう人間であり、染谷はそれを理解するべきだ。
約束があるとはいえ万が一染谷が暴走して力勝負に持ち込まれてしまうと勝ち目がないのは明白なので、驚いて身じろぎする染谷がパニックを起こさず、なおかつ混乱から抜け出すこともないように優しく体を押さえ込みつつ唇を食むとちゅく、と音がなって染谷の肩が跳ねた。
驚いた瞬間歯が緩んだのを見逃さずに舌を差し込み、でこぼこした上顎をゆっくり舌先で刺激して焦らすような感覚を与え奥で縮こまっている舌を誘い出す。
そうしてしばらく好き勝手に舌を絡めてキスを続けていると整った容姿や物怖じしない態度のわりに慣れていなかったらしくされるがままになっていた染谷が腰を抜かしてずるずると床に崩れ落ちた。
ゆっくり離れていく染谷の整った顔。
きっと染谷のこんな表情を見るのは俺が初めてに違いない。
そう思うとぞくりとしてこのまま続きをしてしまいたい欲がわいたが、それは本意ではない。
邪念を振り払い何が起きたかまだ理解できていないというように息を整えることもせず俺を見上げる染谷に、予定通り用意していたセリフをひとつ。

「俺、付き合ったらお前のこと抱くよ」

出会ったときと同じような体勢で、しかしあのときとは違うとろけた表情でぽかんとこちらを見ている染谷にこれでよく俺に対してかわいいだなんて言えたものだと小さく息を吐く。
惚れた欲目抜きにしたってお前の方がよっぽどかわいいだろうに。


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