オカルトではよく幽霊を見ても無視しろとか可哀想だと思うな、共感するな、自分には何もできないと念じろという話を聞く。 波長を合わせてしまうと憑かれたり引きずられたりするということらしく、実際俺も過去数度の霊体験はこの対処法で凌いでてきたからそれなりに有効な策なのだろう。 が、それはあくまで遭遇した時点で波長が合っていないからこそ有効だったのだと今回の件で思い知らされた。 合わせるまでもなく最初から波長が合って――合い過ぎてしまっているともうそれどころではないのである。 放課後の階段の踊り場、窓からの光が届かず影になった薄暗いところにそれはいた。 炎のようなと言うべきか長毛の獣のようなと言うべきか、立ち昇っていいるのかなびいているのか蠢いているのかもわからないがとにかくでかくてゆらゆらと揺らめいている黒いもや。 その真ん中に赤黒い血だか涙だかの跡を頬につけた人間の顔が浮かんでいて、俺はその横顔をぼんやり眺めながら『さみしそう』だと思ってしまった。 そう、明らかに異質な存在であるにもかかわらず俺はそいつをおかしなものとして認識することができなかったのである。 そして寂しそうだと思ったと同時に横顔だったそれがぐるんとこちらを向き、目があった瞬間鳥肌が立った。 あっこれやばいやつだと本能が遅すぎるアラートを爆音で流しだす。 能面みたいだった顔がにちゃぁと笑って 「ミタ、ネッ?ミエタ、ミエタッ、ネッ?」 と人みたいな、でもあきらかに人じゃない声が聞こえ、もやなのになんというか、虫のようなカサカサした動きで肉薄してきたそれに女子のような叫び声をあげてもつれる必死に足を動かし人のいるところまで逃げた。 そうして冷静になった後は目も合わせず「ネッ?ネッ?」という声も無視していたが時すでに遅し。 あれから三ヶ月がたつ今でも黒もやは俺にまとわりついている。 見える見える初めて見えたと何度も嬉しそうに言っていることから察するに見つけてもらえたのがよほどうれしかったのだろう。 その喜びようは見た目や動きの気持ち悪さを差し引いてもかわいいと思えなくもないほどで、俺自身への害も視線さえ合わせなければうるさいのと視界が遮られるのぐらいだし気が済むまで一緒にいてやってもかまわないかなとほだされかけもしたが残念ながら悪霊は悪霊。 害は俺自身の肉体や精神ではなく周囲の狂気として現れた。 「あの……これ、私が作ったんです。その、先輩に、食べてもらいたくて」 頬を赤らめながら可愛らしくラッピングされた袋を差し出してくれた後輩にありがとうと告げて受け取ると耳元に顔の部分を寄せてきた黒もやが「タベチャダメ」と囁く。 「タベチャダメ、シんジャウヨ、タタタベチャダメ、タベダダダダだぁーーあぁーーあーーあーーあああああ 苦しんで死ぬよ」 はっきり死を告げる声を無視して笑顔で後輩に手を振って別れ、帰宅途中の公園のベンチに座ってピンク色のリボンを解いて袋を開ける。 手作り感はあるが丁寧に形を整えられたクッキーを一つ手に取り適当に割って放り投げると瞬く間に数羽の鳩が寄ってきた。 結論からいうと、鳩は死んだ。 おそらくは苦しんで。 毒が入っていたのだろう。 後輩に毒殺されかけたという事実よりそのことにもう驚かない自分の慣れが恐ろしかった。 「シンダ、ネッ、シシシンだ」 「……死んだなぁ」 「ネッ、イキタ、ヨカッタ、ネッ」 褒めてくれといわんばかりに覗き込んでくる顔と視線を合わせないようギリギリ視界の外に捉えながらお前のせいだろうにと息を吐く。 黒もやに憑かれてからというもの、頭上から植木鉢が落ちてきたり階段から突き落とされそうになったり車に轢かれそうになったり不審火でボヤがおきたりという事件が頻発しまくっている。 黒もやはそのたびに予言じみた警告をして役に立ったでしょアピールをしてくるが普通の男子高校生である俺が日常的に命を狙われるわけがないので一連のあれこれが全てこいつの自作自演なのは明白なのだ。 ばればれのマッチポンプで取り憑いている相手の好感度を上げてこようとする悪霊。 字面はシュールだが俺にとっても狂わされ利用された周囲の人間にとっても甚だ迷惑な話である。 「ヨカッタ?ヨカッタ?ネッ?ヨカッタ、ネッ?」 「ああ、よかったよ。ありがとう」 媚びるように話しかけ続ける顔にちらりと視線を向け目を合わせると黒もやはにちゃあと笑い、ゆらめいているもや部分を元気よくざわざわうねうねさせて喜んだ。 馬鹿な子や手のかかる子ほどかわいいという言葉が浮かんだが変わらず目を合わせると鳥肌が立ち吐き気がするくらい頭がガンガンして冷や汗と脂汗の混合物が止まらなくなる。 悪霊つよい。 「ズットイッしョ、ネッ!」 懇願の響きを含んだ声にたぶんこいつ一生俺に憑いてる気なんだろうなと察してため息をつく。 役に立たなくても一緒にいるしちゃんと目を見て話してやるから変なことするのはやめてくれと言える日はまだ遠そうだ。 |