「だからイヤだったんだ」

 薫はぼろぼろ涙を流しながらそう呟き、俺の胸をどんどんと叩いた。俺はそんな薫を見ながら、そっと頭に手を乗せることしかできなかった。

「汚れた翔ちゃんなんて一生見たくなかった……っ、なのに、なのに、翔ちゃん……っ!!」
「……ごめん」

 薫の気持ちは知ってた。病気のことを気背負いしてることとか、俺のことが双子とかそんなの無しで本気で好きだとか、いろんなことを。双子だからだろうか、特に疑うことだってなかった。でもその気持ちに答えられないことだってちゃんと伝えたし、薫もそうだよねと儚げに笑っていた。だからそこで終わったものだとばかり思っていた。でも違う、違ってた。薫は今でも俺のことが好きだったらしい。
 そんな薫を知らない俺は言ってしまったのだ、“那月に抱かれた”と。それを聞いた薫は目を丸くして驚いていたけれど、俺だってわけがわからなかった。いきなり那月に抱きしめられたかと思えば眼鏡が外れて、そこにいたのは優しい那月ではなく傲慢で乱暴な砂月だった。もう那月に厄介かけるなと冷たく言うと、レイプに近い形で抱かれた。那月ならよかったのに、なんて心の隅で思っていた気がする。あまりの激痛に殆どの記憶がないけれど、とにかく怖かったのだ。砂月も砂月で色々考えたのか、譲歩してくれたのか、幸い大出血のセックスになることはなかった。気を失い、朝起きて那月が柔らかく俺に微笑みかけてきたのだ。どうかしたんですか、と不安げに。そんな那月を見れば、いつもの俺ならなんでもないと空元気を装うことができただろう。でも違う、極限の恐怖心を引き出され、後ずさるように逃げてきたのだ。
 そんな恐怖感を、つい薫に言ってしまった。でもその感情を一人で押し込んでいたら自分が壊れる気がして、怖くて、久々に会った薫にほだされるようにぽろっと言ってしまった。ところが薫は慰めるどころがヒステリックを起こし、今に至るわけだ。

「ねえ翔ちゃん、僕がどんな気持ちで翔ちゃんのこと送り出したと思う?不安で不安で仕方なかったんだよ?……ねえ」
「っ、ご、ごめん……」

 ぐっと服の裾を掴まれ、反射的に謝ってしまった。掴まれた裾を離そうにも、力が強くて離れない。怖い、薫が怖い。こんなのおかしいはずなのに、薫の強い口調を聞くとどうにも怖くなってしまった。砂月が脳裏を横切り、余計に恐怖感を煽られた。

「こんなことになるなんて思いもしなかったのに……」

 どくん、どくん、心臓が嫌な音を立て始めた。こんなのはいつだか聞いたことがある音だ。病院で泣きながら痛みを堪えた記憶が蘇り、サーッと血の気が引いていった。薫が俺を見る目は、怖かった。俺を汚れた存在だと認識している、双子の兄貴じゃない。にこにこ笑いながら、翔ちゃん翔ちゃんと俺の後をついてくる薫じゃない。薫の目は、無惨に抱かれた男を見る目。まるで男婦を見るような、そんな目付き。
 怖くて、怖くて、また砂月が頭の裏に現れた。那月に近付くな、話し掛けるな、そう言いながら俺を無下に抱いた存在。ただ泣くことしかできなかった俺。もう、誰にも甘えられないと思っていた。誰も信じられないと思っていた。病気のせいで歪みかけていた世界が、灰色でうめつくされると思っていた。でも、薫だけは、俺の味方だと思ったのに。

『翔ちゃん怖かったでしょう!?……大丈夫だよ、僕がいるから、ね?』

 優しく笑ってくれると思っていた。慰めてくれると思っていた。薫だけは。薫だけは。薫だけは。薫だけは。

『そんな翔ちゃん、見たくないよ』

「か、おるっ!!」
「っしょう、ちゃ」

 ぎゅっと薫の腕にしがみつき、俺は泣きながら薫に言った。

「やだよ薫、怖いよ、みんな怖いよ…薫だけは…薫だけは俺の味方でいて…っ」

 幼くなる口調を気にする暇なく、ただ俺は泣きながらそういっていた。怖かった、唯一の味方だと思っていた薫に見捨てられることが。心の拠り所がなくなるのが。
 えぐえぐとみっともなく泣いている俺をどう思ったのか、薫はさっきの俺のように頭を優しく撫でてきた。そして抱き締めると、大切なものを扱うみたいに優しく諭した。

「…………そっか」
「……?」

 ごめんね翔ちゃん、そう薫は呟くと俺に笑顔を見せた。やっと笑ってくれた、そう思って俺も笑って見せた。

「大丈夫だよ翔ちゃん、僕が、僕だけが翔ちゃんの味方でいるから。だからさ、汚れてるとこ、ぜーんぶ無かったことにしよ?」

 そう薫は笑うと、俺の傍から離れていった。どこにいくの、なんて聞けるわけもなく、黙りを決めて大人しくしていた。でもあんまりにも静かだったから不安になって、薫を探すべく家の中を歩いていた。

「………かおる…?」

 ぺたぺたとフローリングを歩く自分の足音しか聞こえず、怖くなる。薫はどこだろう、それしか考えられなかった。

「しょーちゃん」
「薫っ」
「ごめんね、一人で待たせちゃって」

 はいと渡されたものは部屋の鍵。なにこれと聞き返す暇なく、俺は薫の部屋に連れていかれていた。医学生らしく薬品の匂いが部屋からして、病院を思い出して少しだけぞくりと背筋に冷たいものを感じた。昔、入退院を繰り返してきた自分の記憶がよみがえる。苦しんでいるいろんな人の唸り声とか、悲鳴とか、そんなものが毎日聞こえてきた。でもちがう、ここは薫の部屋だ。

「それは翔ちゃんの部屋の鍵。もしここから出ていきたくなったら、学校の準備をするのに部屋に入るでしょう?」
「あ、あの」
「その代わりその鍵を使うのはね、ここからなんとしても逃げ出したくなったときにしてね」

 これは所謂監禁か、そう思う。でも自分の家なら軟禁と言うべきだろう。しかし薫のいっていることがよくわからなかった。俺の部屋がどうのこうの、逃げ出したくなったときがなんとか、そんなことをいっていた気がする。けれど結局はここにいればあんな酷い目に遭わずに済むんだ、そう思うと気が楽で、薫がいてよかったとさえ思えた。

「薫」
「なあに、翔ちゃん」

 にこっと俺の理想の笑顔を浮かべる薫に、俺は言った。

「ずっと、俺と一緒にいてくれるのか?」

 恐る恐る尋ねれば、薫は当たり前でしょと笑って自分の部屋に鍵を閉めた。これで俺たち、もうずっと一緒にいられるんだよな。


0123 ロミオとジュリエットの悲劇







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