「………っ、ご、めん」

 そう言って離れると、キラは驚いたような顔をしていた。自分自身のコントロールが利かなかったせいか、手が未だに震えていた。一刻も早く、キラから離れないと。そうはわかっているのに、先程の余韻が残っているせいか足が動こうとしなかった。

「あの、さ」

 キラが声を出した。キラにしては小さく、遠慮しがちな声。

「今のは……」

 キスしただけだ、なんていつもの調子で言おうものなら彼は笑うだろうか。そんなことを小さく思いながら、一向に壁際に立ったままの彼と向き合う。一瞬たりとも目を離さないというのは、キラのいいところだ。


「ごめんな」

 あくまで謝罪の言葉を、薄ら笑いを浮かべてそう伝えた。
 俺は昔からキラと離れるつもりはなかった。危なっかしいし、俺が目を離せば直ぐに厄介事を起こす彼には自分が必要だと思っていた。ずっと一緒にいられる、そう自分の中では思っていたのに――あんなこともあって、事態は最悪の方向にしか進まなかった。
 今こうしてキラと一緒にいられるということが、夢のように思えた。離れるところまで離れれば、もう二度と巡り会わないとばかり思っていたけれど、そんなことはないらしい。そんな体験を身をもってしてしまえば、それを信じざる得ないだろう。

「好きなんだ、キラのこと」

 目の離せない、放っておけない弟だと思っていた。けれど皮肉なことに、そんな思いはいつしか恋心へと変わっていたらしい。いつからかなんてわからない、それはきっと無意識なものだったんだと思う。さっき俺がキラにキスしたのも衝動的なもので、キラがあんまりにも無防備に俺に笑いかけるから。

「だけど駄目だよな」

 俺もお前も男だから、そう簡単なことを言えば、キラは静かに黙り込んでいた。茶色の髪を揺らし、微かに表情を曇らせていた。そりゃそうだろう、ずっと兄弟のように育ってきたというのに、そんな目で見られていたなんて、ショックに決まってる。

「ねえアスラン」
「………なんだ」
「さっきの、嫌じゃなかった」

 キラもまた、皮肉なほどに屈託のない笑顔を浮かべていた。人の気も知らないで、そう真っ赤な思いが込み上げてくる。キラは優しい。優しいからこそ、俺を傷つけまいとこんなことを言っているのだろう。俺が今までどれ程自分を押さえてきたか、キラは知らないくせに。無意識に甘えられて、それでも今まで必死に耐えてきて、ああでも今さらあんなことしたんだから、もう取り返しなんてつくわけがないんだ。

「やめろよ……大丈夫だから、昔みたいに、普通に……戻すから」
「アスランッ!!」

 キラは無茶してまであんなこと言ってくれたんだ、そうは思っても、俺にはどうしたらキラを傷付けずに謝れるのかわからなかった。だから俺にしては珍しく弱々しい声で返事をすれば、キラも同じくして珍しく声を張り上げていた。そして俺の服の裾を掴み、逃がさないと言わんばかりの顔をして言った。

「僕は別に嘘は言ってない。本当に、嫌じゃなかったから」

 紫色の真摯な瞳に射ぬかれ、吸い込まれるようにキラを見て、言葉に耳を傾けていた。するとキラは、不安げに、けれど困ったように笑って言った。

「アスランは、今と昔と、どっちが大切なの……?」

 そんな質問に、俺は思わず困った。二人が一緒にいることが当たり前で、色んなことを気にせずに接することが出来た昔だって十分魅力的だ。だけど、今はそんな関係は全くなかった。あるはあるけれど、もっと違う何かになっている。

「………困ったな」

 答えなんて選べるはずがなかった。今も昔も、俺は俺でキラはキラだったから。そんなふうに困った笑顔を向けると、キラはほらねと言うと、くすくす笑っていた。





0114 悶々とまよいごと







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