「な、っつき」

 声が裏返る。名前すら呼べなくなる。みっともないくらい赤くなっているであろう顔を隠しながら、那月を突き飛ばした。すると那月はやんわりと頬笑むと、再び俺の頬に手を伸ばしてくる。やめろと言いながら手を払いのけるものの、一向に那月は笑っていた。
 なんなんだよ、意味わかんねえ。俺で遊んでるのか那月は?そんな考えを頭に張り巡らせるものの、間違いなく今の雰囲気はやばいと思い、必死に考えた結果、俺はこう言った。

「那月のバアァァアカ!!!」




「おやおチビちゃん、珍しく随分眠たそうだねえ」
「あー…うん」

 眠たそうだってわかってるならちょっかいを出すなと、そう言いたい気分だったけれど、今日はレンのそんな発言にツッコミを入れる元気すらもなかった。溜め息をついて机に頭をぶつける俺を見て、レンは不思議そうな顔をしていた。
 那月に唐突にキスをされた、それが昨日の問題視すべきことだ。最初はもちろん普通だった。もう寝るぞと部屋の電気を消そうとすると、抱きしめていたピヨちゃんの抱き枕をベッドに置いて立ち上がった那月が、なんでか俺のことを抱きしめていた。そんなの日常茶飯事だった俺は、さっさと離れろよとめんどくさそうに言うと、そこでキスをされた、と。
 どう反応していいのかわからなかった俺は、那月に子供のようにバカと言い捨てて部屋を飛び出した。――ものの、住んでいる部屋は同じだということに気付く。小一時間迷った後、那月が平均的いつも寝ている時間まで音也たちの部屋にお邪魔していた。しばらくした後部屋に帰ると、那月はべッドに入って寝息を立てていた。もしかしたら起きていたかもしれない、けれど、今は寝ていたんだと信じていたいものだ。
 一言言えば、俺は別に那月のことが嫌いなわけじゃない。むしろ好きの部類に入るだろう、同じ男だったとしても。だけど俺には人を好きになってはいけない理由がある、だから、恋っていうものを極力しないで友情というもので留めておくのが原則になっていた。だから例え那月が俺のことをどんないすきでも、単にふざけていただけだったとしても、それを本気にしてはいけない。
 だけど、昨日の那月の姿が今でもありありと思い出せた。熱っぽい視線と、甘ったるい匂いのするクリーム色の髪の毛。砂月とは違った意味で、積極性のある雰囲気を出していた昨日の那月。思い出すとどうにも気恥ずかしくなってしまう。だめだと思い、授業に集中するべく顔をあげた。


「……どーしよ」

 早乙女学園の寮、否自室のドアの前、俺はそう溜め息を吐いた。時間は21時過ぎてあり、普段なら部屋でくつろいでいる時間だ。
 今日は那月を顔を合わせたくない思いばかりが先走り、授業が終わった後もいつも以上にレッスンルームに籠り、トキヤとともに練習をしていた。夕飯も居合わせたトキヤとレンと済ませ、那月は多分音也たちと食べたんだろうなあと思っていた。そもそも今日那月と一回もあっていないことが、まず奇跡に近い出来事なのだ。
 天才肌の那月は悔しいことにあまり練習に時間を費やしたりしない、俺がこうしてドアの前で葛藤している間も部屋にいるんだろうと思うと、余計に入りずらくなった。でもこれじゃダメだと思い、ドアを開ける。

「ただいま」
「おかえりなさい翔ちゃん」

 全くもっていつもの通りだった。昨日あったことは全て夢だったんじゃないかと思うほど、穏便な雰囲気。なんだ、気にすることもなかったんじゃないか。俺はそんな軽い気持ちになり、自分のベッドの座り込み、机の上にカバンを投げる。
 疲れたと心の中で呟いて寝転がると、いつの間にか那月が俺のベッドに侵入していた。

「翔ちゃん」
「な、なに」
「その……昨日のこと、覚えてますか?」

 なんでこのタイミングなんだ。神様がいるなら俺は本気で神様を殴る、そんなできもしないことを思うほどに腹立たしかった。
 とにかく体を起こすと、一層那月との距離が縮まり、思わず黙り込みそうになる。自分が思っていることをしっかり伝えないと、那月が傷つくだけだ。ごくんと唾を飲み込み、覚えてるよと小さく返事をした。

「翔ちゃんは僕のこと、嫌いですか?」
「……別に嫌いじゃない」
「じゃあ好きですか?」
「……嫌いじゃない」

 好き、という言葉は自分の中から除外されていた。何が何でもその言葉を認めたくなくて、嫌いじゃない。そんな言葉でしか俺の気持ちを表すことはできなかった。
 すると那月は俺の肩に手を置くと、頬に軽くキスをした。顔の熱が一気に上がり、やめろよと言おうとするものの、それは言葉とはならずに口をぱくぱくすることしかできない。

「……僕は翔ちゃんのこと、好きです」

 どきん、再び心臓が激しく音をたてた。よりによって一番聞きたくない言葉を、そうも簡単に言われるなんて思いもしなかった。いや、言われるとは薄々思っていたかもしれない。
 危うげな手付きで肩に置かれた那月の手を振り払う。もちろん内心では心臓がばくばくとひっきりなしに音をたてていたけれど。

「いや、俺、そーいう意味で那月のこと、見れねーし…」
「じゃあ僕が翔ちゃんが僕のこと好きにさせます、だから」

 ごめん那月、本当はお前のこと、俺もそーいう意味で好きと言えば好きなんだ。だけど、俺は弱いからその気持ちを伝えられない。だから、那月にそんな辛そうな顔をさせてしまう。
 そう思うと自分がひどく薄情で、惨めな人間に思えて涙が溢れた。ぽろぽろと止めどなく涙を溢す俺に、那月は慌てていた。

「しょ、翔ちゃん!?」
「………ごめんな、なつき………ほんとはおれ、お前のことちょー好きだよ…」

 涙と一緒に、心のどこかで繋げていた枷が外れたように、俺は泣きながら那月にそんな言葉を投げ掛けていた。
 一瞬呆気にとられた表情をするものの、嬉しそうな表情をして口を開く那月を差し置いて俺は言葉を続けた。

「だけどおれ、人のこと好きになるのが怖くて……悲しませるの、いやで……」

 長い付き合いのお陰か、俺の短い言葉からいろんなものを悟ってくれたようで、那月はなんとも言えない顔つきで黙り込んでいた。俺の手を、握りながら。
 那月は知っている、俺が心臓病を抱えていることを。だから普通以上に心臓を高鳴らせ、どきどきさせる恋なんてものはご法度だった。だからどんなに好きな子ができても、俺は友情のギリギリラインのところでいつも留めてきた。でもそれはもしかしたら、生半可な恋だったのかもしれない。だって今こうして、那月に思いを打ち明けてしまったのだから。

「ひとりで残すのも、さきにいくのも……いやなんだ…」

 いつ死ぬかわからない。それは前向きに考えれば、毎日を必死に生きていけると言うことだ。でも俺はそんな明るい考えはできない、夜寝て、明日の朝に自分が生きている保証などない。本当は怖くて怖くて仕方なくて、時には涙を流してしまうこともあった。
 それに何より、もし両思いで幸せになれたとしても、俺が先に死ぬのはわかっていることだ。万が一もなにもない、それは予めわかっていることだから。
 那月は昔、最愛の女性に裏切られたと話してくれた。それは俺の心臓病のことを打ち明けたときで、那月は寂しげな顔をして話していた。ああでもよく考えると、俺はあの時から那月に惚れ込んでいたのかもしれない。優しく抱き締めてくれる、そんな存在に。
 しかしそんなこともあって、那月は裏切られることの辛さも、一人残される悲しさも、すべてを知っている。そんな那月が、俺と付き合うなんて、幸せな時間が一時限りなのは手に取るようにわかる。もうこれ以上傷つく必要のない那月に、これ以上に傷を作りたくない。

「だからせめて――」
「勝手なことを決めつけないでください!!」

 友達ではいさせてほしい。そんな細やかな願いを口に出そうとすると、さっきの俺のように今度は那月が口を挟んできた。手を握るだけだったのに、脆い存在を扱うように、優しげな手付きで俺を抱き締めながら。

「翔ちゃんは、なんでもかんでも自己完結しすぎです。どうして一人で、全てを抱え込むんですか」
「それ……は……」
「僕は翔ちゃんのこと、なにがあっても好きです。大好きです。愛してます」
「ばっ……ばかか……!!」
「ばかでいいです。それに翔ちゃんは、僕を一人にはしません。それに僕だって、翔ちゃんを絶対に一人にしない」

 翔ちゃんは、僕を存在を認めてくれた大切な人なんです。震える声で、那月はそういった。那月は自由奔放で、いつだってマイペースに生きていた。でも、俺はそれを一度でも否定したことはなかった気がする。つまり、そういうことか。

「大丈夫です。翔ちゃんはもう、安心して僕のことを好きになってください」

 小さな子供をあやす親のように、俺の頭をぽんぽんと叩きながらそう笑った。なんだよ調子乗りやがって、なんだよ好きになってくださいって、自信満々な発言してんじゃねーよ那月のくせに。そう思いながらも、どうしてか心は不思議なくらいに晴れ晴れとしていた。今まで見て見ぬふりを続けてきた恋心はなんだったんだと、そう今では嘲笑うことさえもできる気がしてならなかった。

「ばーか…調子のんなっ」

 涙で顔はぐちゃぐちゃだったけど、できるだけの笑顔を浮かべて俺はそう那月にいった。くすくすと嬉しそうに那月は笑い、改めてキスをされた。触れるだけの幼いものだったけど、すごく嬉しくて、雰囲気をぶち壊すようなはははと声を洩らすような笑い方をしてしまった。


111129
どこまでも幸せです







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