僕には無い物が沢山有ります。
無いのに、有るんです。
日本語って不思議ですね。
僕に無いもの。
例えば、“心”。
皆が言うんです。
僕には“心”が無い、と。
でも僕にはよく分かりません。
だって、“心”がどういうものであるか、人は教えてくれないんです。
だけど皆が言うのだから、僕には無いのでしょう。
他には、そう、“自由”。
これも皆が言います。
“自由”を与えてはならない、奪え、と。
奪う、というのは無くすことですよね。
だったら、僕には無いのでしょう。
今は自由ではない、なら、非…じゃない、“不自由”?
“不自由”が今の状態なら、“自由”とはどんな状態なんでしょう?
奪え、ということは前には有ったのでしょうか?
でもやっぱり、僕にはよく分かりません。
何故僕にこれらが無いのか。
分かりません。
けど、誰かが言ってました。 僕は失敗作なのだ、と。
失敗作だから、“心”も“自由”も無いのでしょう。
僕はそういうことなのだ、と納得しました。
それでいいのだ、と。 だってそうでしょう?
それが人の為になるのなら。 僕は人の役に立つためにいる。
そう、言われましたから。
ならば僕はそれに従いましょう。
そう、作られていますから。
それでも願ってしまうことがあります。
欲しいと思ってしまうものがあります。
“心”も“自由”も要りません。
だから、だから。
僕に拍動をください。
一度だけ、聞いたことがあります。
いえ、感じたことがあります。
拍動を。
とくん、とくん、と一定の速さ。
体に響く拍動は、とても心地よかったんです。
自分のじゃない、誰かの拍動。
誰かのじゃない、貴女の拍動。
僕も僕自身の拍動を、貴女に響かせたいのです。
「やはりロボットに思考能力は要らないわね」
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