ソファに座ってテレビを見ていると、大きな欠伸が後ろから一つ。
振り向くとお風呂上がりのクリスが冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して飲んでいるところだった。真っ白なTシャツにシンプルなスウェットを履いている。
あー、髪乾かしてあげないと。本当にこう言うところだらしないよねえ。まあ風邪なんか引かないんだろうけど。
タオルを持って彼に近づいていく。
「クリス、眠い?」
「ああ、少しだけな…」
必死で背伸びしても、180センチを超える大きな体を持つ彼の頭には届かなくって、困っていると苦笑しながら屈んでくれた。すっかり機嫌がよくなったわたしはわしゃわしゃと彼の頭をタオルで拭く。
「母親みたいだ」
「誰がですか!」
少しむくれながら言うとはいはい、と頭を撫でられる。上手くはぐらかされた!ちらり、部屋の隅に目をやればスーツケースが寂しそうに置かれていた。
「クリス、わたしもお茶飲みたい」
「ほら」
差し出されたのは彼が飲んでいたペットボトル。それに口をつけながら、彼の身体を見つめる。傷だらけ。噛み傷、刺し傷、弾痕も。きっと今回も危ない場面をくぐり抜けてきたんだろう。
わたしの彼は死線を幾つもくぐり抜けなければならないような場所で仕事をしている。わたしはただの一般人。彼のお手伝いなんか一つも出来なくって、いつもいつももどかしい。待つことしか、わたしには出来ないんだ。
「包帯、巻き直そっか」
「いや、自分で出来るが…」
「やらせて」
クリスをソファに座らせてからわたしは救急箱を持ってくる。その中から包帯を取り出して、まずは腕から。
「ゆるくない?」
「いや、ちょうどいい」
あちこち傷だらけの体に包帯をくるくると巻いていく。付き合ってもう何年目だろう、もうこの作業もすっかり慣れてしまった。逞しい腕に真っ白な包帯を巻いていく。彼が今日帰ってくると言うから買ってきた包帯だ。
「随分手際がよくなったな。」
なんてクリスにまで褒められる始末だ。役に立ててることは嬉しいけれど。
この腕で彼は何人もの人を救っているのだ。直接的にではないけれど、彼が戦うことでたくさんの人の命が助かっている。
そんな腕にわたしは触れる。確かに脈打っていて、規則的に行われるそれに涙が出た。驚いた彼に向かって違う、と首を振る。
ぽたり、涙が包帯を濡らす。
「クリスが生きて帰ってきてくれたのが嬉しくって。」
「帰ってくるに決まってるだろう?…お前を残して死んでたまるか。」
「うん。」
「嬉しいなら笑ってくれ。」
「ごめ、」
お前が謝ることはない。いつも待っていてくれてありがとう。低い甘い声で囁かれる。彼の膝に乗せられて、あやすように頭を撫でられる。思いっきり抱きしめられた先は彼の胸の中。嗅ぎ慣れた煙草の香り、彼の好きな銘柄だ。
それに加えて自分のとおんなじ石鹸とシャンプーの香りが鼻をくすぐる。
首に腕を回すとまだ少しだけ水分を含んでいる襟足に触れた。そのままぎゅうぎゅうと彼にくっつこうとする。もういっそのこと溶けてしまえばいいと思う。そしたら離れずにすむ。
「落ち着いたか?」
「ん…」
「ベッドルームに行こう、ほら」
言うより早いか、彼はわたしをひょいと抱き上げる。いわゆる、その、お姫さまだっこ。やたら恥ずかしいんですが!聞いてますかちょっとクリスさん!
ぼふん、と柔らかいベッドに転がされる。今日布団を干したばかりだからお日さまのにおいがする。
「もうちょっと丁寧に扱ってよ」
「すまない」
ぼふん、と彼も隣に寝ころぶ。ぎしり、とスプリングが悲鳴を上げた。またぎゅうっと抱きしめられて、あったかいなあなんて思った。そう言えば、ムキムキってあったかいんだとなにかで聞いた気がする。
クリスが電気を消して、わたしたちは抱き合って眠った。
・
・
・
ふわふわとした意識の中、クリスがわたしに背中を向けて走っていく夢を見た。何度呼んでも彼が振り返ってくれることはなかった。いつもの彼ならわたしを置いて何処かに行くと言うのは有り得ないのに。
「クリス!待って、置いてかないで…!」
「おい、大丈夫か?」
「ク、リス、いた、よかった…」
彼が起こしてくれたようだ。頭をそっと撫でられた。体の大きな彼がそう言う動きをしている様はなんだか少し可愛らしいように思えた。だってこの人普段素手で人の首折れちゃうような人だから。
すりすり、彼の胸に懐くように頬を擦り寄せる。
「うなされてたぞ。置いていくな、って。」
「クリスがどっか行っちゃう夢だった。」
彼は、少しだけ眉を下げた。苦虫を噛んだような顔って言うのはこういう顔だろうか。
「悪いな。いつも辛い思いをさせて。」
「別に、クリスが悪いわけじゃ…」
「いや、それでも俺はいつもお前を置いて遠いところに行っているからな。不安にさせてると思う。」
「そんな、わたしは待ちたくて待ってるから…」
「なあ、頼みがある。」
身を起こされて、向き合う形になる。なんとなく背筋を伸ばして正座をしてみた。肩に手を置かれて、彼と目線が合う。
「俺と、結婚してほしい。」
時間が止まったみたいだった。静まり返った寝室に音が響くんじゃないかと思うくらいに、心臓が高鳴った。
クリスが、わたしと?
「もちろん、無理にとは言わない。お前が今のままじゃないと嫌だって言うならこのままでいい。でも俺は出来れば、お前とずっと歩いていきたいと思ってる。」
「あ、」
なにか言わなきゃいけないと思うのに言葉を全部忘れてしまったみたいに何も言えなくなってしまった。
その代わりだと言うようにあたたかい涙が溢れた。うれしいときにはほんとに涙が出るって言うのは、この人に会ってから知ったことだ。
前を見ると、目の前の彼が不安げだったので思いっきり抱きついた。
「受けて、くれるのか?」
「あ、たりまえだよ…」
「ありがとう。」
ちゅっ、ちゅっと額にキスを落とされた。軽く落とされたそれらにはこれほど無いぐらいに親愛が含まれていて、なんだかむずむずする。
お返しに頬にキスをした。
「ぜったい、ぜったい何処に行ってもちゃんと帰ってきてね。わたしもぜったいクリスのこと待ってるから。」
「ああ、約束する。必ずお前が居る家に帰ってくるからな。必ずお前のことを幸せにする。」
「二人で幸せになろうね。」
「ああ、約束だ。」
おどけたように笑って小指を絡ませ合う。彼の目はとても穏やかで、いつか皺くちゃのおばあちゃんになっても、この瞳の中に映っていたいと、そう願った。
か ぞ く に な ろ う よ
タイトルは某曲より。
別サイトでこっそりひっそりと上げてたものをこっそりひっそりと持ってきました。
多分これが初書きクリスです。