box02 | ナノ


北風がびゅうびゅうと吹いてきて寒かったからわたしは首に巻いていたマフラーを鼻辺りまで引き上げた。微かにあったかくはなったけどそれでも寒い。真冬だから仕方ないとは思うけど、耐え難い!寒い!
早く帰ってしまわなくては。もう辺りは真っ暗だった。くそ、遅くまで図書館に残るんじゃなかったなあなんて軽く後悔しながらアパートの近くの角を曲がる。ここまで来ればもうすぐだ。鍵はあったっけ、鞄の中を確認しながら歩く。あー、エアコンのタイマー設定してくるの忘れた。寒い部屋に帰らなきゃいけないのか、少しだけ憂鬱になる。

なんとなく見上げた古びたおんぼろアパート、いつもは真っ暗なはずのわたしの部屋に明かりが灯っていた。

わたしには同居人がいる。同居人っていうかルームシェアしてる人がいる。クリス・レッドフィールドさんっていう人。年齢は30代で、わたしとは一回りよりちょっとだけ年上、という人だ。

何でも両親の若い頃からの親友らしく、わたしも知らないわけではなかった。小さい頃に、たまに遊びにきていたのは覚えているし遊んでもらったこともあった気がする。

わたしが大学に入学して、一人暮らしをすることになったのと同じタイミングでクリスさんも引越しをしなくてはならなくなったらしい。しかもちょうどその付近のアパートは開いておらず、もうこうなったらわたしとルームシェアしてはどうか、という話になったそうだ。
若い女の一人暮らしは不安だし。と言った理由もあったらしい。ならクリスさんはそういう暴漢の類に入らないのか?という話だが、両親は彼のことをすごく信用していたし、クリスさんは二人の信頼を裏切るようなことはしていない、今のところ。

クリスさんは世界中を飛び回ってバイオテロと戦う仕事をしているから、あまりこの部屋には居ない。シェアを始めて二年半が経つけど、クリスさんがこの部屋にいる時間を日にちに換算すると恐らく一年一緒に暮らしたかどうか分からない、と言った具合だった。
帰ってきている間は一緒に過ごすわけだけど、その中で知ったのはクリスさんはとても誠実で紳士的な人であるということだ。

明かりがついていると言う事はすなわち、クリスさんが任務から帰ってきているということだ。夏の終わり頃から行ってたから大体四ヶ月ぶりかな。
鉄の階段を上って、部屋のドアを開ける。ドアノブがひやりと冷たかった。

リビングに上がるとソファに寝転んでぐっすりと眠っている彼が居た。シャワーは済ませた後のようで、彼は寝るときのゆっくりとした服に身を包んでいた。
ハンガーにコートをかけていると彼がぱちりと目を開けていた。

「ん、おかえり。久しぶりだな。」
「ただいまです。クリスさんもおかえりなさい。」
「ただいま。」
「無事ですか?」
「ここにこうして寝転がってるからな。」

よかったです。笑いながらキッチンに向かう。エプロンを着けて夕飯の準備だ。朝早く起きてカレーの支度をしてから出たからあとは野菜を炒めてルーと煮込むだけだ。でもごはん、ごはんは一人分しか用意できてない。だって今日帰ってくるなんて知らなかったから。どうしよう。
なにかないかと漁っていると、昨日買ってきたフランスパン一本とシチューのルーが一箱あった。カレーとほぼ食材は一緒だから肉を鶏肉に入れ替えてシチューにしてしまおう。そう決めて冷蔵庫から鶏肉のパックを出してくる。

「すまん。作ろうと思ってたんだが寝てしまった。明日からは俺が作る。」
「いいんです、ゆっくり休んでくださいね。今回もお疲れ様でした。」
「ああ、ありがとう。」

キッチンのすぐ後ろにあるテーブルにクリスさんが座る。もう少しかかりますよ、と言ったんだけどいいや、待ってるという返事が返ってきた。なんだか緊張する。クリスさんは一人暮らし歴が長いだけあって料理の手際がいいのだ。

「今日はシチューか?」

スン、鼻を鳴らしてクリスさんが言う。

「そうですよ。」
「そうか、きみが作る料理はどれも美味いから楽しみだ。」

さすが人生経験が多いだけあってお上手だと思う。とりあえずありがとうございます、と返しておく。うわあ、自分の力のなさになんだか泣きたくなる。

にんじんに火が通っているかどうか確認してルーを投入する。ぐつぐつとお鍋が音を立てる。部屋はすっかり暖まっていて外の寒さなんて嘘のように思えた。だって何処もかしこもあったかいんだもん、本当に。
でも手だけは冷え切ったままだ。やっぱり手袋忘れたのがいけなかったんだと思う。まだ感覚が戻っていないくらいには冷たい。

トントントン、包丁で野菜を切る音だけが台所に響いていた。
クリスさんは何やら書類の束に目を通している、今回はどれぐらいお休みをもらったんだろう。
書類の文一つ一つを追う彼の目は真剣そのもので、そこには不思議な色気があった。心臓が跳ねる。
わたしは彼に対して他の男の子には抱かない感情を覚えている。
それは恐らく始めは大人の男の人への、あこがれだったんだと思う。いつからか、それは段階を上げて、すきになった。彼を異性として意識するようになった。
帰ってくるまで彼のことが心配で仕方ないし、出来れば危険なことはしてほしくないと思う。
彼もたぶんそれには気が付いている。有り難いことにその感情を迷惑だと思ってないんだということもなんとなく分かる。

打ち明けてしまえばいいのかもしれない。でもなんとなく感じたのだ、彼にこの気持ちを言ってはいけないんだということ。

彼は大人だから今までと態度を変えずに接してくれるだろう。それでもどこかズレが生まれて、そのズレはたぶん修復されない。そんなのはいやだ。それぐらいなら今の関係で充分だ。

知らないふりのわたしと、気付いているクリスさん。


サラダに使う野菜を洗って蛇口を締めて、シチューを煮込んでいたコンロの火も止めた。
本当に無音状態になって、なんだか気まずい。わたし一人だけなんだろうな、そんなこと思ってるのは。

ぐう

「え。」
「……すまない。」

クリスさんのお腹が鳴った。
彼は恥ずかしそうに顔を手で覆っている。

「すみません、もうすぐ出来ますから!」
「…いや、なんか、すまん。」

頭をがしがしと掻いて突っ伏してしまった。そんなに恥ずかしいんだろうか。
あ、そう言えば冷蔵庫に。

「あの、クリスさん、顔上げてください。」
「ん?」
「甘いもの大丈夫でしたっけ。」
「ああ、なんでも大丈夫だが…」
「口、開けてください。」


なにをされるのか理解されてない、といった様子の彼はそれでも素直に口を開けてくれた。あ、なんか可愛い。

昨日作っておいたトリュフを口に入れてあげる。

「きみが作ったのか?」
「ええ、まあ。」
「ん、美味い。」

もぐもぐ、クリスさんはなんでも美味しそうに食べる。決して会話は多くないけど、食べるのが好きな人なんだろうなぁと感じさせるような食べ方をする。
わたしは彼のそんなところが好きだ。


「激務の後ですからねー、もう一ついかがですか?」
「もらってもいいのなら。」
「もちろん。」

フォークとチョコが入ったタッパーを手渡したときに、いたずら心が騒いだ。
タッパーは手渡さずにフォークにトリュフをそのまま突き刺して、彼の口元へ持って行く。

「はい、あーん。」
「な、いきなりどうしたんだ。」
「いいじゃないですか!」
「…きみは俺をいったいいくつだと思ってるんだ…」

困ったように言う彼に冷静になった。うわ、なにしてるんだろ恥ずかしい!

「す、すみませ…」
「まったく…」
「え、」

フォークを渡そうとしたわたしの手首を掴んで、そのままトリュフを口に運んだ。

「く、クリスさ…」

手からフォークが奪われて、トリュフを口元に持ってこられる。クリスさんがわたしをまっすぐに見つめていた。顔が熱くなるのが分かってしまう。

「ほら、きみもあーん。」
「あ、あの!」
「俺だけじゃ不平等だろ?」

ニヤリ、と意地悪い笑い方をしている。こんな笑い方初めて見た。それでもときめくわたしは本当にどうしようもない。
ぱくり、と口に運べば甘い味が広がった。うん、なかなかいい出来だったみたいだ。


「いいか、これに懲りたら大人をからかうなよ?」
「ごめんなさい…」
「よし、物分かりのいい子だ。」
「こども扱いしないでください…」

そう言うと彼は苦い顔をして笑った。

「…こども扱い出来ないから困ってるんだ。」
「え…?」

一瞬何を言われたのかが分からなくてフリーズすると彼はくるりとわたしに背を向けて食器を出し始めた。

「あの、クリスさん、」
「…今日の晩飯も美味そうだ。」

はぐらかされた。でも、これはもしかしたら。
彼の耳がちょっとだけ赤いのは寒さの所為じゃないはずだ。だって彼はずっと暖かい部屋に居たんだから。

もうご飯と一緒に喉からでかかった言葉のかたまりを噛みしめなくてもいいのかなあ、なんて少しだけ期待しながら、彼の隣に並んだ。


言わないから言えない



1205
食べてしまおうさまに参加させていただきました!
「はい、あーん」って素敵だと思います。夢主にあーんさせるかクリスさんにあーんさせるか迷った挙句、両方にしてもらいました。
ありがとうございました!

牧田
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