box02 | ナノ


明かりが灯るアパートのドアを開けてただいま、と言えば部屋の奥からパタパタという足音がする。それは同居人であり、年下の恋人でもある彼女のもので、可愛らしい笑顔で出迎えてくれる。
眠っていたのか、かけているエプロンが肩からずり下がっていた。

「お帰りなさい、クリスさん。」
「ああ、ただいま。」

やはり寝ていたようで、呂律が回っていない。まあ遅い時間だから仕方ないな。
無事でよかった、と言いながら抱きついてくる愛しい彼女。背伸びをしたので屈んでやると可愛らしい音を立てて頬にキスをされた。
お返しだとばかりに額に口づければくすぐったそうに身を捩る。

「ご飯出来てますよ。あと…空港までお迎えに行けなくてごめんなさい。」
「いや、構わないさ。」

レポートは終わったのか?と問えば、先程やっと、と返ってきた。数日徹夜が続いていたんだろう、目の下には隈ができていた。
思いきり抱きしめた彼女からは、我が家の匂いと、石鹸とシャンプーの甘い香りがした。



誰も幸せになれない、救いなんかない戦いに身を投じている。ついさっきまで隣で銃を構えて戦っていた仲間が化け物になって俺に襲いかかってくるような、そんな状況を何度も経験してきた。
倒さないと生き残れない、泣く泣く仲間だった化け物を撃ってはごめん、ごめんと言い続ける。
今でも助けられなかった仲間たちが、人々が夢に出てくるのだ。皆もがき苦しんだ末にゾンビになり、血肉を求めて俺の方へ歩いてくる。
ある時を境にその夢は更に嫌なものへと変化した。こちらに向かってくる化け物が化け物になる前の姿、要するに生前の姿に戻るのだ。そして怯んだ俺を睨んで一言。

『ここまで来るとどっちが化け物か分からねえな、クリス?お前は人殺しだ、助けられる命を助けられなかったんだぜ。』

そこでいつも夢は覚めて、俺は頭を抱える。初めてそれらに遭遇したのはもうおよそ10年も前だと言うのに未だに引きずっているのだ。





『本当に、どっちが化け物なのかしら。』
「すまない。」

またいつもの夢だ。見知らぬ女性が俺を背後から詰った。

『助けられなかったこと、仕方ないって思ってるでしょ。』
「ちが、」
『違わないわ。』

ふと見れば、女性は今隣で寝息を立てているはずの彼女だった。彼女は辛辣に、そして的確に俺の心臓を言葉で刺し貫いていく。肉体は傷つかない、けれど、どんどん心臓がすり減っていくような感覚だった。さっきから冷たい汗が止まらない、Tシャツが体にへばり付いて気色が悪い。

目の前の女性はまるで彼女ではないようだった。いつも優しい色をしている瞳は吸い込まれるような黒で、驚くほど冷えたものだった。細く白い腕が俺の首を掴む。ぎり、と音を立てて綺麗な指が俺の首に食い込む。

「ぐ、」
「ねえ、どっちが化け物ですか?ねえ、」

「っ!」

跳ね起きて思わず自分の首を押さえる、当たり前のことだがきちんと繋がっているそれに安心した。隣で寝ている彼女の顔も穏やかで、俺に殺意を向けてきた女ではなかった。

「…いつまで引きずってるんだ、俺は。」

救えなかった命、掴み損ねた手、様々なものを思い出して自分の手のひらは血にまみれたものなのだと実感させられてしまった。そう思った途端に、本当に自分の手が赤く染まっているように思えてきて、彼女に触ってはいけないような気がした。自分の、こんな血にまみれた手で綺麗な彼女に触ってはいけない。
思わず叫びそうになるのを抑える。俺は、おれは。

「クリスさん?」
「あ、あ…どうした?」
「すごい汗ですよ、何処か具合が悪いんですか?」
「大丈夫だ、気にしないでくれ。」

彼女は心配そうに俺の顔を窺っている。ああやめてくれ、そんな悲しそうな顔をさせるつもりじゃなかったのに。

「大丈夫だ。」
「大丈夫って連呼する人は大丈夫じゃないんです。」

そう言いながら彼女は俺の手を強く、包み込むようにして握った。俺の汚い手なんて触ってはいけないと離そうとしたのに案外、彼女の力は強い。

「聞かせてください。」

何処までも真っすぐで綺麗な瞳が俺を見つめる。小さな手は俺の汚くて無骨な手なんかとは違って真っ白で、か細かった。

怖い夢をよく見るんだと、その内容を話してから俺の手は血にまみれていて汚いんだと言えば抱きしめられた。細い腕が首の後ろに回される。夢で見たような冷たい手ではなく、あたたかい小さな手だった。

「クリスさんの手は汚くなんてありません。」
「…」
「わたしのことを守ってくれるのは、ほかの誰でもない、クリスさんのこの手です。汚いだなんて言わないで。」

 彼女は泣いていた。俺の手を握って、その手に頬ずりをしながら泣いていた。

「泣かないでくれ。」

涙で濡れている伏せられた睫毛が綺麗だと思った。俺のために涙を流してくれる人が居たんだと分かったら、視界がやけにぼやけた。
きっと俺は、誰かに大丈夫だとお前はここに必要なんだと言われたかったんだ。そう言われて、抱きしめられたかったのだ。ついに伝い落ちた涙を拭ってくれながら、彼女は笑った。

「泣いてるのはどっちですか、もう。」



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