ここの所、冬の寒気にずっと晒され続けていた水の都ヴェネツィアは、春の訪れを感じられるようになった。街中に植えられたアーモンドの蕾は綻び、橋の下をゆっくりと進んで行くゴンドラの船頭の歌声は更に高らかで陽気なものになる。

そんなうららかな陽気に包まれた石畳の道をかつかつと歩き、気分良くカンツォーネを口ずさみながらあるアパルタメントに辿り着いた。がさり、と手に持ったビニールが軽快な音を立てるのにさえ気分が良くなるのだから、今日のおれは最高にイイ感じだ。


アパルタメントにある階段を一段飛ばしで登り、三六五号室の前でぴたりと足を止める。……大丈夫、か?一瞬浮かんだ顔とその人間のヌケた性格を思い出す。多分、そうに決まっているだろう。おれはドアノブにそっと手を掛け、右に回す。開いた。…やっぱり鍵、掛け忘れてたな、と中にいる一人を思い出しながらおれは肩を少し竦めて中に入った。



「ただいま、名前」

「おかえりなさい!シーザー!」



玄関に歩を進めれば、可愛らしいフリルのエプロンを着けたシニョリーナが出てくる。彼女はおれの愛しいひと、つまりは妻だ。ぱたぱたとスリッパの音を響かせながら走り寄ってくる名前をぎゅっと抱き締め、頬にひとつキスを落とす。彼女の髪から香ったやさしい匂いに、心がほっと落ち着いた。これが、帰ってきたという感覚なのだろうか。

ふふ、シーザーくすぐったいよ。と身を捩る名前は、髪の色も目の色も美しい漆黒のジャッポネーゼだ。頬をすぐ赤く染め恥ずかしがるいつまで経ってもうぶな性質さえも愛おしい。鍵の事は、後で言う事にしよう。そんなやり取りをしていた所で、彼女がハッと何かに気付いたように腕から抜け出した。



「大変!パスタを茹でてたの!」

「名前の手料理だったら何を出されても全て最高のランチさ」

「もう…!それよりも、子供たちが首を長ァ〜〜くして待ってるわよ!」



またスリッパの音を騒がしく立てながらリビングの扉に引っ込んで行った彼女を追い掛ける。そうだ、これを早く水に浸けないと。ジャッポーネとは様式が違うイタリアなので、普段通り靴を脱いだりなどせずにリビングへと足を踏み入れた。

さんさんとイタリアの陽光を目一杯取り入れている陽当たりの良いリビングでは、最近買ったばかりのおもちゃで遊ぶ子供の姿があった。二人のバンビーナと一人のバンビーノ、仲良くじゃれあうその三人を見て、おもわず破顔してしまうのは仕方がない事だろう。息子のジューリオと上の娘のアンナ、下の娘のカテリーナ。



「あっ!パードレおかえりなさい!」

「パードレパードレ!ぼく、ひとりでおさらならべたんだよ!」

「パードレ!きょうのかみがたかわいい?」

「ただいま。こら、パードレの耳は二つしかないんだぞ」



しっかり者のアンナが始めで、二番目が泣き虫なジューリオ。三番目がちょっと背伸びしたおしゃまなカテリーナという順番でおれに返事する隙も与えずに好きな事を話し掛けてきた。キッチンから顔を覗かせる名前が口元に手を宛ててくすくすとほほえましそうに笑っている。

この子たち、ずっとシーザーの帰りを待ってたのよ、と笑いながら言う彼女の声を聞く。こんな可愛い子宝にも恵まれて、おれの故郷で過ごせる日々なんて、誰が想像しただろうか。アンナの名前譲りの黒髪を撫でながら、とてもあたたかい気持ちに包まれる。



「そうだ名前、ちょっと話があるんだ」

「なあに?今カルボナーラが完成したの、先に手を洗って席に着いて貰っていい?」

「モチロンだよシニョリーナ!さ、バンビーナ達も手を洗うんだ」

「はぁーいパードレ!」

「カルボナーラだァ〜!ぼくマードレのカルボナーラだいすき!」

「ジューリオ、はやくてをあらうの!」



騒がしく洗面所に向かうおれたちを見ながら、器用に更にパスタを盛り付ける名前。こっそりと水に浸けておいたモノを取り出すと、ジューリオがアッ!と声を上げてそれを言おうとしたので、彼の口を押さえて、それからシィーッというジェスチャーをする。そうすれば、直ぐに意味を理解し自分で口元を押さえ、笑顔でコクコクと頷く彼はさすがおれの息子だ。

アンナはえらいえらい、とジューリオの頭を撫で、カテリーナに至っては目をきらきらと輝かせている。そしてそんな三人を宥め、手を洗わせてからまたキッチンへと戻った。その時おれの手に握られたのは、最初のビニール。



「よし、手洗ったよね?三人とも、席に着いて!」

「それよりも、マードレ、パードレをみて!」

「えッ?…シーザー?」

「名前、おれから君への贈り物(レガーロ)だ。…こんなおれと、結婚してくれてありがとう」

「結婚記念日、覚えててくれたの?嬉しい…!シーザー、こっちこそわたしと結婚してくれてありがとう…!!」



おれが彼女へと差し出したのは、プルメリアの花束。花言葉は、日だまり。やさしい桃色をしたそれを受け取ると、心から嬉しそうに涙ぐむ名前がおれの双眸にしっかりと映る。ああ、なんて、なんて、いとしいのだろうか、おれの日だまりは。

おれは息子たちをこっそり後ろに向かせる。しっかり者のアンナはジューリオの目に手でフタをし、カテリーナは焦ったように後ろに向いた。それを確認すると、おれは大切そうに花束を抱き締めている名前に近付いた。まだ涙の残る潤んだ漆黒がおれを見上げる。



「…シーザー?」

「これからも愛しているよ、マイプルメリア」



そう言いながら彼女にした口づけは、とても甘く、大切に思えるものだった。柔らかな微笑みを浮かべながら照れるまばゆい彼女と、未だしっかりと後ろを向いたままの可愛いい娘たちをこれからも守っていこう。おれは、世界一幸福なイタリア人、シーザー・ツェペリ。






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生存設定で、幸せな家庭を築いたシーザーちゃんでした!

二月二十七日が彼の命日と聞いたのと、BSでもシーザーちゃんが亡くなってしまったので、彼が生きて、幸せになる話が書きたかったんです。

どうか、シーザーちゃんに幸あれ!大好きです。







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