ばあん。外へと扉を勢いよく開け放って、急ぎ足で家の周りを見回す。どこ、どこ?玄関と塀の間にある小さな庭で忙しく走り回るわたしは酷く滑稽なのだろう。だが、それも一切気にならなかった。


青く晴れ広がった昼時の空は、その陽光でわたしの希望を照らしだしてくれた。………いた。


視界の先、母の趣味だったガーデニングの花壇があった場所で、いつも通り身体中に葉っぱをくっつけている彼の姿が。ふんふん、としきりに鼻を動かすココナッツはこちらに気付くと、尻尾を振りながら嬉しそうにわたしへと駆け寄ってきた。



「ココナッツ……!!」

「キャンキャン!」

「おまえが居て良かった…ぅ……」



自慢のふわふわな毛をわたしの手に擦りつけながら、ココナッツが元気良く鳴く。わたしは緊張の糸が切れ、急に安堵感が押し寄せたのかもしれない。気付けば、先程は流せなかった筈の水滴が、頬をゆっくりと降下していた。

ココナッツ、あなたが居てくれて、おまえが居てくれて本当に良かった。この世界に突然落とされ、孤独で凍ったわたしの心を温かく融解してくれたのは、他でもない家族の一員だったのだ。わたしの涙を舐める舌がくすぐったくて、塩の味がする雫が余計に溢れてくる。普段家族の前でさえ泣きたくないわたしがどこかへ飛んでいってしまった。このひとときの幸福を、わたしはしっかりと噛み締めたのだった。



 ー ー ー



――時刻は夕方。わたしはじゃれてくるココナッツを撫でながら、これからの事について考えていた。座っている前の机には、夢小説にありがちな編入届と、結構な金額が記入された通帳にわたしの苗字の印鑑。…多分、この編入届に書かれている学校に通い、そしてこの通帳を使えということなのだろう、ご丁寧な事だ。



「問題は、ここが何処の世界なのかって事なんだよね……」

「キューン…」

「うーむ…」



机に乗ったビーフジャーキーの袋を見ながら切なげに鳴くココナッツを無視する。くっ……駄目、駄目だぞわたし…!犬のしつけにおいて直ぐに要求に応えるのは最大のタブー!いくらきらきらと潤んだ瞳で見つめてこようがダメなものはダメなんだ!

取り敢えずココナッツの興奮が落ち着いた後に、ビーフジャーキーを与えてあげた。もぐもぐするの可愛い。―おっと、話がずれていた。いけない。

そう、先程から気になっていたのが今わたしがいる世界が何処なのかという事。これまでわたしがそうだった、オタクと一般に呼ばれるような趣味の方達が目を爛々とさせて喜ぶ様な立ち位置にわたしがいるのか。誰だって、わたしだって画面の向こう行きてえとか言ってたものだ。



「まあ、某庭球のプリンスさまや荒川とかなら平和に暮らせそうだけどさあ…」



残念ながら編入届に書かれていた学校名は聞いた事も無いようなものだった。…これ、もしやヤバいパターン? もし超能力バリバリ使ってバトります!とかのわたしが知らない漫画とかだったら死亡フラグびんびんだ。非常にヤバい。

パラレルワールドっていうパターンもあるし、考えだしたらキリがない。そうだ、ぐるぐる悩んでても仕様がない。そんなのわたしの性に合わない。 いつもの癖で、耳に向かって頬の皮をぎゅーっと伸ばす。此処に来てから痩せていたからか、何時ものブニブニ感は感じなかった。



 ー ー ー



「わ、また知らない道だ。知らない道しかないじゃんよ…」



がっくりとうなだれながら、手にしたメモにそれを書き加える。わたしはしっかりとリードと家の鍵、自室にあった財布とスマホを持って周辺の探索に出ていた。鏡で見た体型と編入届の年齢からして、今のわたしは中三の頃位だと予想できる。まあ人通り少ないし、補導とかはないよね!大丈夫大丈夫。

変なポジティブシンキングになりながら、只今わたしはココナッツと共に日が落ちかけた住宅街を歩いている。探索してみた結果、うちの家は見た目から何から全く変わっていなかったのだけれど、それ以外、街並みや風景はがらっと三六〇度違っていた。…良かったメモ持ってきてて、道を覚えるのが得意なわたしでも、流石にここまでは覚えられない。


そんな事を思いながらさっきの曲がり角を曲がる。すると、ここまでずっと続いてきた住宅街から抜け、周りには水田が広がっていた。わたしの地元も田舎だから水田が多かった。郷愁の念を呼び起こす様な風景に、わたしは思わず歩を早めていた。



「んー…!空気が気持ちいいね、ココナッツ」

「キャウン!」

「ふふ、ここも田舎なのかな?…あ、ホタル」



元気にはしゃぐココナッツを見て癒されていると、さわさわと涼しいような暖かいような風が吹く。ニュースで見た日付では、今は六月でまだ梅雨は来ていないらしい。ジメジメしていない事は非常に嬉しい事だ。 しかも、わたしの地元と一緒でここにも沢山のホタルがいた。

ぽぅ、ぽぅ、と点滅する淡い光は、わたしの心を落ち着かせてくれる。それを暫くじっと見ていると、わたしの方に向かって一匹のホタルが飛んできた。小さい頃からホタルに馴れ親しんでいたわたしは、それをそっと両方の手で包み込んだ。動いている感覚がくすぐったい。



「ほら、ココナッツ。ホタルだよー」

「ワゥン?」



足元でそわそわとしていたココナッツの前にしゃがんで手の平を開けると、手の中で止まっていたホタルが淡い光を放っていた。綺麗。口にした言葉を聞いた様に、さっきよりも強く光る存在に口元がほころんだ。

少しすると、そのホタルは仲間の方へと飛び立って行く。そのホタルが留まっていた手の平には、先程の強く優しい光と感触が、まるでビー玉のような形で残っていた。







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