あの日の数日後、私はいつもの如くテニスコートに来ていた。竜持くんに自分の好きな事をやったらいいよ、と言ったものの、やはり三つ子がいたら試合とかが出来るんだろうなあ、と思った。駄目駄目、小学生の夢は応援しなくては。私は首をふるりと振って気分を変えた。
今日も今日でいいお天気だ、春の陽気は心地がいい。今日は私の好きなパン屋のチョコクロワッサンも買ってきた事だし、気合いを入れていこう。ふふ、と笑った所で近くにいた猫がにゃーお、と鳴いた。
「あーお腹空いた…!いただきます!」
気が付けばもうお昼になった、時間が過ぎるのが早いなあ。練習を一旦切り上げ、楽しみにしていたチョコクロワッサンを取り出す。飲み物はコンビニで買ったカフェオレだ。そっとそれを口元に運んで、一口それを咀嚼する。
「んんー!美味しい!」
サクサクした外のデニッシュ生地と、なめらかでふわふわな中の生地。口に入れた瞬間広がるチョコの味に思わず声を上げて喜んでしまった。そのままカフェオレを少し飲む、ほぉ、そう息を吐く。
コート内に備え付けのベンチに座ったまま空を見てみれば、綺麗なスカイブルー。いい天気に気分が良くなった所で扉が開く音がした。やばい、次の人かな、カフェオレとクロワッサンを持ちながら立ち上がる。でもコートはまだ余っているため、ホッとしてそのまま座り直した。<>
すると、クスクス、と笑い声がしたかと思うと聞き覚えのある柔らかい声が聞こえた。これは幻聴だろうか、確かもうテニスコートで聞くことはないと鷹を括っていた声のはずなんだけど。
「嫌に挙動不審でしたね、苗字さん」
「…一人で遊んでたのか?」
「いやいやいや違うから!虎太くんもそんな変な人を見る目をしないで下さい…」
「よう、変なお姉さん」
「凰壮くん私は怒ったぞ」
気が付けば三つ子が前に見たジャージを来て目の前に立っていた。明らかに挙動不審だった私を笑いながら茶化す彼らに突っ込みを入れながら、私は内心動揺を隠せなかった。え、サッカーはどうしたの。思わず目を瞬かせてしまった。
その視線の意図に気付いた竜持くんは、いつも通りの少し生意気そうな声でつらつらと「ぼくたち、サッカーをこれからずっとやるって言ってませんけど」と当然の様に言ってみせた。えぇぇ!あんなに楽しそうだったのにどうしてなんだ、凰壮くんに目で訴えてみる。
「それはいいんだよ。それより、何食ってるんだ?」
「近所のパン屋のチョコクロワッサン。美味しいよー」
「へえ、ちょっと分けてくださいませんか?」
「それは無理です…これは私の好物…ほら、また教えるから」
肝心の凰壮くんはというと、話を自然に逸らした。無理だったか。そうしていると、竜持くんが私の手の中にあるクロワッサンを素早く少しだけちぎり、持っていってしまった。私のクロワッサン…。
「なかなか美味しいじゃないですか、御馳走様でした」
「うん…ドウイタシマシテ…」
「竜持もういいか?早くテニスしようぜ」
「そうですね、凰壮くん。苗字さんもやります?」
いきなり私に振られた言葉に頭が追い付かなかったが、理解すると同時にテンションが上がる。私、現金だぞ。そう自分を諭しつつも、しっかりさっきのゴミを片付け、私はラケットを握ってコートに入った。今度こそは勝たないと、カウントを始めた凰壮くんの声と共に、涼しい風が首もとを抜けた。試合開始だ。
− − −
試合が中盤に差し掛かって、今回は私とペアの虎太くんが綺麗なスライスを決めると同時に、扉が乱暴に開く音。何事かと一斉にそちらを振り向くと、そこには髪の毛をスポーツ刈りのようにしたしかめっ面をした黒い服の少年が立ってこちらを睨んでいた。
そしてその少しがっちりとした体格の少年は、三つ子の方向を睨みながら大声で言い放った。
「やっと見付けたぞ、降矢達!!!」
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