臨静(その想い)4 | ナノ

※「 retroactive」サンプルです(4)
〜中略〜





この日の悪夢は忙しなかった。

朝起きたら波江に嫌みを言われるし―…逆に、嫌みを言われなかった日もないけど…―、
定期健診の予約をしようと新羅に電話をかけたら首なしの惚気を強制的に30分も聞かされるし、
午前中に終わるはずの仕事はクライアントの都合で午後までかかるし、
こんな日に限って波江の昼ごはんは手打ち蕎麦で、
作られてから数時間経って不味くなった蕎麦を腹に収めてようやく向かった池袋では、
改札から出て僅か3歩で電車に乗ろうとしていたらしい静雄に見つかって追いかけっこをする羽目になった。




『疑念と水端』





「…夢の中で一日分老けた気分だ」

起きる前から一戦構えてお腹もいっぱいだし、なにより一昨々日の夢からまだ3日しか経っていない。
例え古代の屈強な戦士でもこれでは辟易するだろう。
口直しに二度寝をしたいが、先日その二度寝で更に酷い目に遭った。
仕方なく無理矢理身体を覚醒させて寝室から出て行くと、すでに波江が珈琲を淹れて仕事を始めていた。

「今日は珍しく早いじゃない。味もろくに分からないくせにお高い珈琲が大好きだと言うから毎日淹れてあげてるけれど、無駄にならない時間に起きたのなら冷めないうちにさっさと飲みなさいな」

雇主をまるで尊敬する事なく罵倒して、優雅な仕草でキーボードを叩いている。
湯気の上るまだ十分に熱いだろうコーヒーカップを一瞥し壁に駆けてある太陽時計を見ると、それは朝食時間の終了はとうに過ぎていると示していた。

確かに、すでにランチタイムに差し掛かろうとする時間ではあるが。
まだ一応は午前中だと言える時間帯だ。嫌味を言われる程でもない。…と思う。

そう反論しようとして、今日は13時にクライアントへ仕事の最終報告をしないといけない事を思い出した。
昨晩のうちに情報を圧縮し暗号化していたので、後はジャンクワードに紛れ込ませて送信すれば報酬が振り込まれる手筈だ。
予定の時間よりも少し早かったが、仕事が早い分には問題ないだろうと珈琲に口をつけながらエンターを押下する。
お昼は遅めに摂って午後からは池袋で趣味の人間観察をしようと思っていたのだが、これで、ぽっかり時間に穴が空いた。
それならば、今から新羅のところで定期健診を受けて、昼食は外で済ませそのまま趣味を楽しむ方が効率的だろう。

善は急げと新羅の番号を呼び出してコールボタンを押す。数回のコール音で目的の人物は出た。

『はい、岸谷です』
「もしもし?今日は暇?」
『折原くん…。残念ながら15時からの手術までは予定がなくてとても暇だよ。君が池袋で静雄くんと遊んでくれたら不幸な通行人が列挙して押し寄せてくれるかもしれないけれど。そうだ、今日は池袋に瀕死になりに来る予定はないのかい?』
「…医者の台詞とは思えないね。だいたい、その惨状だと、列の先頭は俺になるって事でしょ?意地が悪いなぁ」
『何言ってるんだい、そうは言っても残念な事に君はそんなヘマはしないじゃないか。ところで、今日は何の用かな』
「うん。そろそろ定期健診を受けようと思ってさ。暇なら今からちょっと診てくれないかな?」
『それなら勿論構わないよ。セルティも仕事で出て行ってしまって丁度暇を持て余していたんだ。ああ、でも、流石天使で優しくて良く気が付いて完璧な僕のセルティだよね。一人残る僕のために手作りのお昼ご飯を作って行ってくれたんだよ!僕は彼女を想うだけで胸がいっぱいで食べ物も喉を通らないと言うのに、お前は仙人じゃないから霞で生き延びる事は出来ないはずだ、ちゃんと食事をしてくれないと私が困るって言ってね…』

油断していたせいで新羅の恋人自慢が始まってしまった。このままではせっかく出来た余剰時間が惚気で消えてしまう。
しかし、何度か話を戻そうと試みたが最近は旧友の静雄にも恋人自慢を出来ていないのだろう。
溜まりに溜まった彼の愛情は昏々と溢れ続け、臨也の携帯に割り込み着信が入った事でようやく中断させる事が出来た。
また後で連絡する、とだけ伝え通話を切り替えると、それは30分ほど前に情報を届けた相手からだった。
何か問題があったのかと出ると、追加で情報を知りたいものがあると言う。
そんな事は先に言え!…とは、言えないので、それでは追加料金でまた後日、と優しく受諾してやったと言うのに、15時までに用意しろと食い下がってきた。
冗談じゃない、せっかくの暇も久しぶりの趣味も台無しになるじゃないかと断ったが、受けなければすでに渡してある情報の代金も払わないとごね出したので、追加金に加え優先と特急料金も請求してやる。
追加の情報自体は、すでに調べていた一部なので3時間も有れば余裕でまとめられるだろうが、これで新羅のところへは行けなくなる。
今すぐに元凶の人物を叩き潰すのは容易だったが、あまりに腹が立ったので金を搾り取った後に足がつかない状態で消してやる事に決めた。
仕方なく新羅にキャンセルをする旨を伝え、裏取りと報告書をまとめると時計の針はすでに14時を過ぎていた。

「…は〜…。なんなの、一体。」

ここまでくると、偶然なんかでは片付けられない。いい加減、デジャブの域だ。そうなると、俺はこの先の展開を知っていた。

「いやいやないよね、それはない」

あり得ないと分かっているのに、今日一日の偶然と言うには乱暴すぎる夢との一致に、きっと今まで見た悪夢は全てこれから起こるだろう未来なのだと確信している。

「波江さん」
キッチンから出てきた波江に声をかける。

「まさかお昼は手打ち蕎麦じゃないよね?そのつもりなら気分じゃないから変更してもらえないかな?」
「あら、そうなの残念ね。もう手遅れよ。2時間前に茹であがって冷蔵庫で冷やしているところだもの」

白か黒かで言わなくても、これはもう真っ黒だ。
2時間経ってコシのなくなった蕎麦を腹に収めて、後はほとんど駄目押しの確信を得るために池袋へと足を運んだ。

そして、池袋に着いて改札から出て僅か3歩。
臨也は更に予定通り、静雄と肩がぶつかったのだった。




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201221

age24