ハロウィン | ナノ

※念のためR15です。義務教育中の方はご覧にならないで下さい。




一日の疲れを熱いシャワーで流す。
1度単位で温度を自由に調整できる最新のバスルームには、マイナスイオンを発生させる機能まで備わっているらしい。かつて、自分の住みかだったボロボロのアパートとは大違いのスペックだ。
キュッとシャワーの蛇口を捻って、静雄は全身ずぶ濡れのままバスルームを出た。ドアが閉まると自動で空調が作動し、人の居なくなったバスルームが乾燥されていく。
用意していたバスタオルでがしがしと頭を撫で付け軽く身体を拭いて腰に巻き、ペタペタとリビングに向った。

もう10月も下旬になり、夜ともなれば寒くて裸で歩き回るなど考えられないが、新宿の明りを眼下に望むこの高級マンションでは昼夜問わず空調が一定に保たれているためあまり季節は感じられない。
冷蔵庫のような冬場の脱衣所や油断していたら風呂場にカビが生えてしまう危険が絶えずあった過去の生活を思い出し、静雄は冷蔵庫から牛乳を取り出した。
残り少なくなった冷たいそれを、コップに注がずごくごくと飲み干す。生活場所がどこだろうが生活パターンが変わろうが、風呂上がりに飲むこの一杯は相変わらず格別に美味い。


池袋最強の喧嘩人形と謳われた平和島静雄が、長年暮らしたアパートを引き払い身の丈に合わないこの高層マンションに引越してから、すでに数ヶ月が経つ。
慣れ親しんだ池袋から居を移すのは、静雄にとっては高度一万メートルからスカイダイビングをするよりも何百倍も勇気と覚悟のいる決断だった。
しかも、世帯主は高校の時から殺し合いの喧嘩を繰り広げていたノミ虫こと折原臨也である。当時を知る者が現在の2人の関係を聞いたら、疑う前にまず決して信じようとはしないだろう。
なにせ、臨也は毎日毎日飽きもせず静雄の人生を台無しにするべく心血を注ぎ、池袋から新宿へ拠点を移す際には嫌がらせと言うには悪質すぎる悪意を置き土産にし、とうとう静雄に身に覚えのない罪を被せ警察沙汰にまでおいやったのだ。
そんな臨也がなにを思ったのか、ある日を境に掌を返して静雄への愛を語り始めた。
当然、今度はどんな嫌がらせなのかと疑った静雄は、片っ端から捧げられるうさん臭い愛を棄てては踏み付け、千切っては投げ捨てた。
臨也の言葉なんて信用出来るわけがなかったし、信ずるに足る要素など何一つなかったからだ。
けれど、いくら無視をしても罵っても終いには勘弁してくれと頼んでも、臨也はがんとして態度を変えず、ただひたすらに静雄へ彼の愛を差し出した。
嫌がらせの代わりに昼夜問わず日々繰り返される、いっそそれすらも嫌がらせの一つではないかと思える熱烈な求愛に、ついに静雄は根負けをした。
仕方がないから疑ってやると譲歩をすると、ありがとうと破顔した臨也の顔があまりにも綺麗で。それから静雄は疑って疑って疑って、疑い尽くして、どれだけ疑ってもそれが真実なのだと判断せざるをえなくなっても、悪足掻きとばかりに更に疑った。
そして、どうしようもなく疑う余地がなくなった頃には、静雄は臨也を好きになってしまっていた。
新宿へ越す日、幼馴染みの闇医者からこっそり「臨也に飽きたり騙されたならいつでも戻っておいで」と言われ、「その時には戻る体がねぇだろうな」と答えたのが静雄の覚悟であり返事であった。
だから、静雄は臨也の所有するマンションのうち池袋ではなく新宿を選んだ。ここが一番臨也に似合う街だと思ったし、彼を心から殺したいと思っていた時に何度か訪れて思い入れもあったからだ。


短い邂逅から視線を移し、空になった牛乳パックを潰してゴミ箱に放り込む。
臨也は朝から半日以上もパソコンと睨めっこをしていたらしく、仕事から帰ってきた静雄に「おかえり」と声をかけただけでまたすぐにインターネットの世界に行ってしまった。
明日からは、せっかくの連休だと言うのに…。風呂から上がった静雄に目もくれない程度には忙しいらしいその様子に、それならば、自分に出来る事は臨也の邪魔になる前に寝る事ぐらいしかないだろう、と静雄は考えた。しかし、仕事をするには遅いが寝るにはまだ早い時間だ。
何か暇つぶしになるものはないか…とリビングを見渡すと、ふと、ソファの前のガラステーブルに見慣れない物を見つけた。
直径10cm程の丸くて小さな缶にオレンジと黒で可愛らしくオバケやお墓の柄がプリントされている。
なるほど、もうすぐハロウィンだ。見たところ飴かお菓子でも入っているのだろう。いわゆる、トリックオアトリートと言うやつだ。
臨也と付き合う前は、うんざりするような嫌がらせをトリックorトリックと毎年毎年…。…いや、やめておこう。きっと今年は一般的な恋人らしいハロウィンが過ごせるはずだ、と静雄はそのカラフルで小さな缶を手に取った。
ひょっとしたら、意外とイベント事にマメな男だから、この10月最後の休日が仕事で潰れる事を悪く思ってこんな物を用意してくれたのかもしれない。女じゃあるまいし、イベントなんて律儀にこなさなくても怒ったりしないのに…そう思いながら、静雄は手にしたその缶を開けようと軽く捻った。瞬間、

「う、わっ!!」

思いの他それは緩く閉められていたらしい。
少しの抵抗もなく開いた蓋と缶は、静雄の手によって左右に別れて中身が勢いよく飛び散ってしまった。
真っ白でふわふわな生クリームのようなそれは、重力に従い静雄の胸元から腹部を白濁で汚し、腰に巻いたバスタオルを伝ってぼたぼたと床に流れ落ちた。

「…んだ?これ」

滑らかで柔らかいそれが生クリームなのかと思い、胸元からひと掬いして鼻先に持っていく。けれど、それは静雄が期待した甘い香りではなく、お香だか紅茶だかごちゃまぜになったような複雑な匂いがした。

「…くせぇ」
「やだなぁ、シズちゃん。それは良い匂いって言うんだよ!」

思わず呟くと、背後から音もなく声が返ってきてびくりと振り返る。
いつの間にこちらへ移動したのか、臨也が小首を傾げて立っていた。もう20代も半ばだと言う成人男性のくせに。やけに似合うその可愛い子ぶったポーズにわざと大きな舌打ちをすると、ぐいっと強く腕を引かれた。

「舌打ちしたいのはこっちだよシズちゃん。あと少しで仕事が終わったのにさぁ!まいっちゃうよねぇ?シズちゃんが構ってって誘うから、いくら真面目で誠実な俺でも一も二もなく誘惑されちゃうよね!シズちゃんてばほんと魔性なんだからっ!」

嬉しそうな顔で魔性だの誘惑だの貶められて、出来る限り不愉快だと低い声を出す。

「…誘ってねぇよ」

静雄はただ、見慣れない缶を開けようとしただけだ。中身を自分の身体にぶちまけてしまったのは意図しない不可抗力である。

「…ッ?!なにしてんだ…ノミ蟲」

湯上りの身体に冷たい体温が這って、びくりと肩が跳ねた。見ると、臨也が、静雄を掴んでいない方の掌で白い綿のようなクリームをぬるぬるといやらしい動きで腹に塗り付けている。

「これ、全身用の保湿クリームなんだよ。全身に塗っても1週間くらいもつからお肌のお手入れに鈍感なシズちゃんにプレゼントしようと思ったのに。一回で使いきっちゃうなんて、シズちゃんてば欲張り!」
「わり… ッ!な…ぁ、ンン!」

プレゼントのつもりで用意したものを、悪気がなかったとは言え台無しにしてしまったのは悪かったと思い詫びようとしたのに。あろうことか、臨也の形の良い爪は静雄の胸の突起を強く弾いてイタズラを始めた。

「あ、ぁ…。やめ…ろ、いざや…!」

ぬるぬるこりこりくにゅくにゅ…。唾液や体液とも違う、その滑らかな、肌を滑るために作られた保湿クリームは、いつもよりも摩擦の少ない刺激を静雄に伝えて快感を呼び出した。

「んん…、は、ぁ」

あまりに滑りが良過ぎるその刺激に、静雄は気持ちが良いのか物足りないのかすら分からないまま身体を高められていく。

「たまにはローションじゃないものも良いね」

嬉々とした声色に、乳首を弄られただけで息が上がってしまった情けなさから、静雄は精一杯の眼光で睨んだ。が。それを見た臨也は、尚興奮してエロオヤジのような笑顔を作った。

「なに?そんな物欲しそうな顔して煽ってくれなくても、たっぷりじっくり可愛いがってあげるよ?」
「何、ほざいてん…だ!ッて、手前、し、ごとは…」

臨也の動きに合わせて跳ねる身体と息が、まるで触れられる事を期待していたようで。恥じ入って、せめて喘ぎ声くらいは上げないようにと必死に堪えて仕事をやれと促したのに…。

「仕事はもう良いよ。今日やってたのは明日と明後日の分で、本当はシズちゃんの仕事が始まる明々後日の分までやっときたかったけど。…まぁ、明後日ほとんど寝られなくても明々後日の分くらいどうとでもなるしね!」
と、さらりと言われてしまう。
その場合、明々後日―…月曜が仕事の静雄は、日曜日にほとんど寝られないような何かを臨也にされて死に体になる、と言うことになりそうなのだが。臨也は静雄にお構いなく2人きりの週末を楽しむつもりらしい。
不埒な指がぬるぬると蠢き、バスタオルで隠されていた下肢へと伸びた。

「あっ!こら、お前…ンあッ は…」
「キモチイイ?まるで、シズちゃんからアロマが香ってるみたいだねぇ。今日は全身くまなくマッサージしてあげるよ」

臨也はその宣言どおり、静雄の身体の爪先から髪の先までを余すところなく延々と、マッサージと言う名の愛撫で溶かし。ゆるゆるとしたその刺激に足りないと静雄が泣き出すまで執拗に撫で回した。



言葉の通り精根尽き果てて、ぐったりと手足を投げ出しベッドに横たわる。隣りでは上機嫌な臨也が静雄の腕を抱きこんで俯せに寝そべっている。
もうすっかり嗅ぎ慣れた、ラベンダーだかカモミールだかの香りが全身から立ちのぼっていて静雄は顔をしかめた。身体中がべとべとぬるぬるするのは、大量の保湿クリームのせいだけではない。何が混ざっているのかは、あえて考えないようにした。

「ラベンダーもカモミールも入っているけどね、ネロリとローズも入ってるんだよ」

静雄に好き勝手出来てご満悦な臨也は、静雄にとってはどうでもいい情報をよこしてくる。
行為の最中、溶けて混ざってしまうのではないかと思うほど身体ごと静雄に擦り付いていた臨也からも、また同じ香りがして、静雄は視線だけを臨也に向けた。
いつもはさらさらと流れる綺麗な黒髪が、しっとりと湿って束になり額や頬に張り付いている。
まるで、2人して同じ体臭になったみたいだな…なんて、乙女のような考えが過ぎてしまい頬が熱くなった。
さりげなく、臨也と反対の方向に顔を背けたつもりだったのに。それを目敏く見つけた臨也が肩に乗り上げて静雄の顔を覗きこんできた。
どこまで気が付いているのか。「いい匂いだね?」と言われたので「くせぇよ」と返すと、臨也は愉快そうに笑った。

「あのさぁ、シズちゃん。君の言う“くさい”って、ひょっとして“良いにおい”と同義語だったりするのかな?だったら俺、随分愛されてたんだね。高校の時から」

一拍置いて、臨也の言わんとする事を理解した静雄が暴れ出す直前。僅かに早く、もう一戦仕掛けた臨也に軍配があがり、静雄は声が枯れるまでけぶるような香りに包まれて身悶える事になるのだった。




20111028

おまけに続く