臨静(その想いの)1 | ナノ

※「 retroactive」サンプルです(1)



目が冴えてしまって寝れない…。

シックながら高級感のある家具で統一された、けれど殺風景で生活感のない部屋に似合いなキングサイズのベッドの上で、真っ黒な寝着に身を包んだまだ若い男が細く息を吐いた。
暗い室内に光を添えるのは大きな窓から遠慮がちに差し込む高層マンションの明かりだけで、柔らかな月光や忙しいヘッドライトは摩天楼に遮られ、あるいは届く事も叶わず遥か眼下で地を這っている。
いつもなら上質な眠りをもたらすはずの触り心地の良いシルクのシーツや羽根のように軽い上掛けは、彼を未だに眠りへ突き落としてはくれない。それでも眠らなければ、と、先程から躍起になって無音の世界の端っこを掴もうとしているのだが…。
その不眠に悩む黒い塊。折原臨也は、新宿に居を構え大学に通いながら情報屋と言う、それを耳にすれば誰もが顔を顰めるような あこぎな職業を生業としていた。
世に溢れる情報を収集し操作すると言った類のその仕事の内容は、おままごとの延長のように学生の頃から楽しんでいたけれど。幸か不幸か結果的に情報たちは臨也の元に我先にと集まってきたし、それを捌き如何に最適なタイミングで扱えば最も効果的な結末を手にする事が出来るかを、臨也は天性も偶然も必然も味方にして操り楽しむ事ができた。
そしてそれを利用し、金を得る事も他人を利用し貶める事に罪悪感を覚える事も後ろめたく思う事もなく、この20年を生きてきた。

その結果、学生であり僅か20を過ぎたばかりの若輩にもかかわらず、その年齢には少々不釣り合いな高層マンションの一室を事務所兼自宅として使用出来ている。

そんな臨也にも、天敵と言わざるを得ない苦手なものが居た。
天敵では生ぬるい、仇敵や怨敵、不倶戴天の敵とでも表した方がよっぽど相応しいその相手は、臨也の用意した罠も、何カ月も…時には年単位にわたって緻密に練った計画も、その出鱈目な化け物のような膂力であっさりと台無しにした。それは正に天災。否、天災の方がよほどイレギュラーとしても回避が容易く、臨也にとっては可愛い問題だった。
あいつさえいなければ、と何万回天を仰ぎ、怨嗟をもって口に出したか分からない。
臨也と高校時代から校舎を破壊し殺し合いの喧嘩を5年以上も続ける池袋最強と歌声高いその相手、平和島静雄は折原臨也が最も嫌い疎みこの世から抹殺したいと願う相手だった。
この手で殺せるならばそれに越したことはないけれど、それは物理的にも社会的にも難しかった。
臨也はいつどんな時でも、自分の手を汚す事も自身が巻き込まれる事もない安全な場所で、世界と言う自分の玩具箱を好きなようにぐちゃぐちゃにしたいのだ。
薄い絹ごしに現実を観るように、世間と隔絶された蚊帳の外で感動する事なく感激し観劇をする。例え、その中のひとつの具象の原因を辿って誰かが折原の名に辿りついても、それと自分との因果関係を立証することはできない。そして、手をこまねき嘆き悲しむ愛しくも矮小な人間の姿を見て、歪んだ愛情を満たしたいと思っていた。
だから臨也は、理屈ではない理不尽な力で法などお構いなしに幾重にも張った防護壁を突き破り、数多に用意した罠を蹴散らして咽喉元までその切っ先を突き付けてくる化け物を心から嫌悪し、何度も幾度も社会的に精神的に追い詰めてその身の内から殺してしまおうとした。
けれど、それはいつも寸でのところで破綻してしまい、それどころか、その常識外の化け物に関係がないはずの悪だくみさえもことごとく粉塵に帰され踏み潰される。
結果、臨也はその化け物を人間でも動物でもなく最悪最低の“事象”として扱い、極めて熱心に、思い出す事も気に留める事もしないように、意図的に思考を遮断する事を努めてきた。無意識下での深層心理に彼を住まわせることも、彼を殺す夢を夢見る事すらも、決して、自ら行う事がないように。


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臨也は何度も寝がえりをうった。理由は分かっていた。夢を見たのだ。安眠を邪魔する悪夢を。
夢の中で、憎い仇敵は、かつての眩しい金色に負けない位のきらきらと輝かしい笑顔を惜しげもなく振り撒いている。
その対象は、腐れ縁で幼馴染の闇医者でも信頼し犬のように後を着いて行く上司でも心を許した首のない親友でもたった一人の大切な弟でもなく―…。
情報屋の自分でさえ誰だか分からない、どこにでも居そうなただの女とちいさな子供だった。
よく見れば、物を壊し畏怖を創り出す彼の両の腕に抱えられたその子供に、人間になりきれなかった化け物の面影を見つけては、吐き気と僅かな絶望を感じて。息苦しさと背中を伝う気持ちの悪い汗の中、臨也は目を覚ました。



『明るい未来』




「気色悪い夢…」
立て込んでいた仕事に片が付き、せっかく久しぶりにゆっくり眠れると思っていたのに。意味のわからない夢で起こされてから、臨也はちっとも眠る事が出来なかった。
あれはきっと、物好きな女と家庭を持ち絵に描いたような幸せな未来を持つ…という、化け物が一生叶える事が出来ないささやかで下らない反吐が出そうな夢の夢、なのだろう。
ほんとうに、くだらない。
問題は、何故自分が他人の。それも、天敵で殺し合う仲である化け物の願望を、夢になんて見てしまったのか…と言う事だ。
しかも、写真でしか見た事のない彼本来の髪の色―…深い焦げ茶の髪をふわふわと揺らして、その化け物は花の綻ぶような笑顔をたたえていた。
そんな姿を、自分は一度として目にした事などがないのにも関わらず、だ。


ギシリ、と音を立ててキングサイズのベッドから降りる。
冷えたミネラルウォーターを冷蔵庫から出して、コップに注ぐ。良く冷えた咽喉越しの良い液体はするりと胃の形をなぞり、すうっと身体を冷ましていった。次いで顔を洗うと、悪夢の中身も目を覚ました時の体中を掻き毟りたくなるような後味の悪さもようやく薄れた。

「さて、と。今日も、愛する人間たちの愚かで愛しい行動をほんの少しの猜疑と愛で掻き混ぜてあげないと」

そのためには、化け物の事に気を割いてやる時間など一秒たりともない。
あんな化け物が一丁前に人並みの幸せを掴むなどと言う、全くもって現実味のない夢なんかにかまっている暇などないのだ。



自称、無敵で素敵な新宿の情報屋は、玄関から一歩足を踏み出すとともに今朝の悪夢を綺麗さっぱり忘れる事に成功した。



20111023

age20