拍手お礼(約束B) | ナノ







そして、あれから10年が経った今日。
俺の元に1通の手紙が届いた。

「嘘だと知ってた」

ただ、一言、それだけが書いてある。消印も差し出し人もない。
10年越しの亡霊からの手紙だった。



「嘘つきは君じゃないかシズちゃん」

10年焦がれて探し続けた人が目の前にいた。
少しだけ日に焼けた肌と、染められていないダークブラウンの髪。記憶のままに美しい肢体。自分を見つめる強い意志のこもった綺麗な瞳。
田舎のあぜ道に初夏の眩しい緑が踊る。高い太陽に追いやられて、地に縫われる影は足下で窮屈そうに縮こまっていた。
ざり…と、微かに土を踏みしめる音が響く。

「嘘じゃねぇよ。平和島静雄は10年前に死んだんだ。」

ずっとずっと待ち望んでいた音が、耳を侵して鼻の奥を擽る。懐かしい声だ。
けれど、10年前より低く落ち着いた印象のそれは初めて聴いたように新鮮だった。
擽られた鼻の奥がツキンと痛む。

「平和島静雄は化け物なんだろ?化け物たらしめるその力が無くなったら、てめぇの言う平和島静雄じゃなくなるんだろ?」
俺にはもう、あの化け物じみた膂力も回復力もないんだ。だから、てめぇが嫌いでてめぇを嫌いな平和島静雄はもう居ないんだ。

無口なはずのシズちゃんが、10年の時を埋めるように言葉を声に乗せる。

「10年前、俺の力は日に日に弱くなっていった。俺は怖かった。このままだとてめぇと対等な喧嘩もできなくなるし、てめぇの認めた化け物の平和島静雄ですらなくなる。
俺は、俺が生きたまま死んでくようで怖くて仕方がなかった。
だけど、あの日、俺が死んだら一緒に死んでくれるって手前が言ったから…嘘でも冗談でも 俺は、嬉しかったんだ」

そう小さく呟いてシズちゃんが俯くと、目許には色濃い影が落ちた。
不純なものが一切ない透き通った硝子玉のように綺麗なクールブラウンが隠れてしまって、もったいない。
足元なんかじゃなく、俺をもっと見て欲しい。

「嘘なんてついてないよ。折原臨也も平和島静雄を追って死んだんだから」

彼の機嫌を損ねないように、咎める色を含まないように、出来る限り優しい声音で返す。
シズちゃんがきょとんとした顔でこっちを見た。10年経っているのにその表情は無垢だ。
変わらない彼の清廉さに知らずほっと溜め息をつく。

「君を嫌いで君が嫌いな情報屋の折原臨也は、人間観察が趣味だった。人間観察は物心ついた頃にはすでに息をするより自然にしていたし、それをしない折原臨也はもはや折原臨也じゃない。別の人間だ」

詭弁のような真実を述べる。

「君が居なくなって、俺の世界は悲しくなるほど何もなくなってしまったよ。あれほど愛しかった人間も、ただの置物以下の価値になってしまった」
だから、止めたんだよ。人間観察を。情報屋を。興味ない物に囲まれて死んだように生きるなんてごめんだったからね。

シズちゃんを怒らせないように傷付けないように、慎重に言葉を選んでそう伝える。

「その時、情報屋の折原臨也は化け物の平和島静雄を追って死んだよ」だから、「今ここに、君の前に居る俺は、ただの しがない 塾の講師だ」

一生を優雅に10回送っても余りあった財力は、平和島静雄を探すために全て使い果たしてしまった。
それでも、購入していた高級マンションの賃貸収入で何とか毎月人並みに暮らす事はできたけれど。
平和島静雄のいない日々で何もしないままぼうっと過ごすには、1日24時間と言う時間は俺には長すぎた。
趣味はない仕事もない。目に映る世界に色も匂いも喜びもないその時、自分が暇をつぶすために出来た事は、未来ある子どもを相手に過去を偲ぶ、塾の講師くらいだった。



20110709

つづく