七夕 | ナノ


昼間なのに薄暗い。
初夏の五月蠅い日差しを完全に遮断し 熱気を地上に閉じ込める事に成功した曇天を見上げ、今日は静かな一日になりそうだ、と平和島静雄は考えた。

7月7日。

いわゆる、七夕。一年に一度、彦星と織姫が再会する事を許された日。晴れならば、だが。
正直、ロマンチックなイベント事なんてどうでもいい自分にとっては、七夕だろうが海の日だろうが優先順位は変わらない。むしろ、ただの平日と何一つ変わらない。
強いて言うならば祝日な分 海の日の方がやや重要だろうか…とは思うが、それも取り立て屋などと言う世間とは休日が真逆な自分にとっては、まったく意味をなさない重要性だ。
だいたい、バレンタインだとかクリスマスだとか、そんな世間がざわめくイベントでさえ、周りの誰かから指摘されなければ当日でも気が付かない事もあるのだ。
それならば七夕など、言うに及ばず。

つまり何が言いたいかと言うと、世間の祭りごとにとことん疎い自分が、こうして自主的に七夕を思考に上げるのはかなり特異なことだった。
ならば何故、起きぬけにこうして窓から空を確認しているのか…と問われても、高校時代、生産性のないセックスをしながら憎たらしいノミ蟲こと折原臨也が、来年も晴れたら彦星と織姫のように再会してセックスをしようか、などとほざいたのが理由だなんて口が裂けても言えやしない。
何が悲しくて1年先のセックスの予約なんかしねえといけねえんだ、と切り捨てる前に、どっちが彦星だ、と、肯定するかのようなセリフを吐いてしまった自分の迂闊さが悔やまれる。やり直せるなら、当然、まずはそのノミ蟲を殴って黙らせて、きっちり断ってから疑問を口にする。
ともかくその時の自分は単純な疑問を真っ先に口にしてしまって。「そりゃ、俺が彦星でシズちゃんが織姫だろうねぇ」と笑いながら返され、「ふざけんなこんな図体がでかい織姫がいるか」と事後特有の気持ち悪い空気を払拭するためにノミの頭を潰そうと拳を振るった。
案の定、セックスで気怠い身体のキレは泣きたいほど悪く、室内の淀んだ空気を微かに揺らがせるだけに終わったが、粘着質なムードは一掃出来たので目的の半分は達成できたと妥協する。


高校時代の2人の発展場は、主に理科準備倉庫だった。
理科準備室よりも使用頻度が極端に少ない上に、臨也が教師しか持っていないはずの合鍵をどこからか手に入れてきたからである。

翌年、雨のざあざあふる7月6日の放課後。理科準備倉庫のちいさな窓から空を見上げながら、珍しく会話が成り立っていた。
「つうか、何で彦星と織姫は雨だと逢えねえんだ?」
「雨だとカササギが溺れるからでしょ。何シズちゃん今更そこから?七夕なんて園児でも知ってるのに馬鹿って大変なんだね」
「うるせえな潰すぞノミ蟲。七夕自体は知ってんだよ。ああ…、そう言えばカササギが河に橋を作るんだっけか?」
「そうだよ彦星と織姫はカササギの背中を踏みしめて、二人の間に流れる川の真ん中で出会うんだ。」
「そんじゃ、小雨程度ならカササギ根性だせよって話か。カササギが死ぬ気になりゃ雨でも会えるんだもんな」
「…いや。まぁ…、そうかもしんないけど。シズちゃんが言うとロマンもクソもないね。これはそうゆう話じゃないでしょ」
「黙れクソ蟲。てこたぁ、俺たちが仮に彦星と織姫ごっこをするとして、どんだけ晴天でもカササギがいねえと再会は出来ねえって事になるよな」
「…え、何?突然何言い出しちゃってるの?ひょっとしてこの流れでカササギが…「あ〜残念だなあ俺たちにカササギはいねえしなぁそうなると例え晴れたとしても会えねぇなぁつまり雨でも晴れでもセックスは、しねえ。去年てめえが言ってた賭けは成立しないって事だ。他に言い訳があるなら聞いてやらねぇ事もないが」………」

恐らく出会って初めて見る、苦虫を噛み潰したような臨也の表情に胸のすく思いをして、ほんの少し引っかかれたような胸の痛みには無視をして、さっさと服を着込んで理科準備倉庫を出る。
臨也は俺を呼びとめて、“どうして一年先の予約をしようと思ったのか”を言い訳する事はなかった。
後で七夕の準備をしていた幽に由来を訊いてみると、俗説の一つだけど、と前置きをした後で、彦星と織姫は悲劇の恋人ではなくて爛れた夫婦で離れ離れになった理由を教えてくれたので、7月7日は一生雨でいろと願ってやった。
一方的に取り付けられた約束とは言えない賭けを、これまた一方的に反故にして、それでも万が一晴れてしまったら己に降りかかる判断を無視する事も出来ないだろうから、せめて晴れてくれるなと祈る事しか出来なくて。結局、俺の願いが叶ったのか。それから7年間、7月7日は曇りか雨で晴れる事はなかった。
本物の彦星と織姫には少し悪い事をしたと思っている。


そして、今年も天気は曇りだ。夜には小雨が降るだろう。
彦星と織姫の再会は叶わない。根性の据わったカササギも新宿と池袋を繋がない。
回復の兆しを見せない天から視線を外すと、ぶるぶると携帯が震えメールの着信を伝えた。


肩を雨で濡らしながら仕事帰りに新羅の家のドアを開けると、黒いノミ蟲がソファに巣を作っていた。
「やぁ織姫。彦星が川を泳いで会いに来てあげたよ」
反射的に叩き潰そうとするのをセルティの黒い靄が止める。
「晴れでもなきゃカササギもいねぇのに、よく顔を出せたよなぁ?臨也くんよお?」
せっかく、一年に一度約束された、確実にノミ蟲に会わなくて済む日が台無しになってしまって、気分は最高に絶不調だ。

「何言ってんの織姫。昔自分で言ってたんでしょ?カササギが超頑張れば雨でも天の川を渡って逢えるって!
そしてシズちゃんは、川を渡った俺に逢いにきてくれた。
つまり、俺たちのカササギは新羅だったってことだよ。案外身近にいたもんだよね」

どうゆう事だと新羅を睨むが、気にも留めずにカササギ呼ばわりされた闇医者はあははと笑った。
「いやぁまさか君たちが恋人同士だったとはね!今まで全然知らなかったよ。水臭いなぁ。僕が二人の仲人だなんて照れちゃうけどセルティと二人でばっちりバージンロードをエスコートするから幸せになってね!あ、でも君たちに今更バージンロードなんて白々しいかな?当然セルティと僕ならバージンロードは似合いすぎる程に似合うけれども!!」
何をどう聞いたのか知らないが、理解できない言葉を連ねる間抜けなカササギを川の底に沈めてやろうと身をよじる。
けれど、セルティの拘束と『新羅!彦星と織姫は恋人じゃなくて夫婦だぞ!結婚式は済ませているはずだ!!』と言う言葉に全身から力が抜けてがっくりとうなだれるしかなかった。
池袋に越してきたんだよ同棲しようね、とにっこり笑う自称彦星に、7年ぶりの七夕の逢瀬の後に一度思いっきりぶっとばして、飽き症のてめぇが何で予定が定かでもない気候に頼ってまで馬鹿らしい予約を取り付けようとしたのか その理由を聞いてやるから包み隠さず言ってみろ、と優しく脅してやろうと心に決めた。




臆病者の逢瀬




気だるい身体を抱き締められながら、耳元で愛していると囁く声に適当に相槌を打つ。
実に残念だ。これからは7月7日が雨でも曇りでも関係がなくなってしまう。
もともと、臨也が最初から素直になっていれば、7月7日はいつだって晴れだった。
地上が曇天でも雲の上は当たり前のように雲ひとつない晴天が広がっているからだ。
それだけの理由で、二人が逢う理由がひとつ増える。

きっと、俺を馬鹿にする事が大好きな臨也は一生思いもしないのだ。
俺がそれを、7年前から知っていた事を

俺が、同じ気持ちでいた事も



20110707(20120702加筆修正)

性欲処理なら身体を重ねる事に大した抵抗もないくせに、天気に任せないとデートも誘えない臨也と、運を天に任せるような態度が気に食わない静雄。「臆病者の逢瀬」のルビは「似た者同士の恋」でお願いします。