お試し3 | ナノ


※おためし3☆

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ひどく甘くて優しい時間は、あの一度きりだったな、と、随分昔の僅かな邂逅を思い出す。
あれから7年が過ぎて、臨也も静雄も彼らを取り巻く環境も、何もかもが変わってしまった。
ただ、悪しくも純粋な想いだけをあの時、屋上に置き去りにして。
あの頃の自分は、運命を侮蔑すると同時に、その蜜のような誘惑に焦がれてもいた。
陳腐だろうが滑稽だろうがそれに縋り、静雄を手に入れたいと願っていた。
今自分は、幸せな記憶の残骸を掻き集め、必死に彼をつなぎ止めるために池袋に脚を運んでいる。


朝靄がひどい。

ほんの数メートル先も見えない濃霧に、夢の中のようだ、と臨也はアルコールの抜けない頭で考えた。
昨晩はいつものように池袋の街を使って深夜の逃走劇を繰り広げ、転がるように逃げ込んだバーでしこたま酒を呑んでしまった。
一向に縮まる事も離れる事もない静雄との距離に、自棄になっていたのかもしれない。
気が付いたらカウンターにキスをしていた。

靄の中、吐き気に堪えながら脚を進める。
ふわふわと浮き沈みする意識に、寝ているのか起きているのか酷く曖昧だ。
まるで、昔読んだ小説のバミューダ海域で靄に包まれて気が付いたら異世界に飛ばされていた飛行機乗りのような気分だ…。そんな、とりとめのない事すら考える。
霧のせいで、空はおろか近くの建物さえ満足に確認できないが、ほんのり周りが明るいためきっと今は明け方なのだろう。
現在地を特定するために小さな交差路で電信柱の住所を確認する。
そう言えば、この辺はシズちゃんの実家の近くだ。…そう思うと同時に、ドンッと何かにぶつかった。

ああ、なんだ。夢の中のようだと思っていたが、やはり、ここは夢の中で俺はまだ夢を見ているらしい。

目の前には、自分とさほど身長の変わらない見慣れた金髪。
高校の夏服から覗く未発達な白くて細い手足。
大きく目を見開き、きょとんとした顔でこちらを見ている。
これは、俺が失くしたシズちゃんだ。

9年前、俺の前から奪われた。高校1年生のシズちゃんがそこに居た。


小首をかしげてぱちぱちと長い睫を瞬かせる。
華奢な腕を掴んでみるとびくりと身体を跳ねさせた。

「臨也…?」

声変わりして数年しか経っていない少し高い声。
当時は、自分ももっと背が低くて声が高かったから、シズちゃんの体格も声も現在と変わらないように感じていたけれど。
年を取った自分と成長期の彼をこうして並べて比べてみると、随分幼く可愛く見えた。
現在の彼の、地を這うような低く唸る声は自分に怒鳴り続けた結果だろうか…と思うと、少し気分が浮かれる。
それでは、あの時、他の誰かではなく俺がシズちゃんを犯していたなら、シズちゃんはどう変わっていたのだろうか。
そんな凶悪な願望を感じ取ったのか、シズちゃんの表情が強張る。
夢なのに随分察しがいい。否、夢だから察しが良いのか。

「俺が臨也じゃなきゃ誰が臨也なの?」
「だって、お前…」
「ああ、君の相手をするなら学ランの方が良かったかな?
でも残念。そこまで都合よく変われないみたいなんだ」
「?何のこと…」
「あは!夢とは言え、俺の前でこんな無防備なんて…
高校生のシズちゃんは可愛いね?」

戸惑うばかりのシズちゃんを袋小路に誘導し、壁に押し付けて笑ってやると、シズちゃんはぼっと音が出るくらいに顔を真っ赤に染めた。
俺の願望を具現化した夢と言えど、ここまで理想通りだなんて。

本当に、憎い。

9年前、俺がもたもたしているうちに、きっとこんなふうに顔を染めるシズちゃんを手籠めにした人物がいるのだ。
しかもそいつはシズちゃんから憎からず想われている。
温かな感傷が、どす黒い嫉妬に取って替わられた。

どうせなら、このまま俺が犯してしまえばいい。

夢の中でしか望みを叶えられないなんて、卑怯で情けないけれど。
夢の中だから、それを知って嫌悪に陥るのも俺だけだ。



「やめろっ…手前ぇ!!」

華奢な体を壁に押し付け、シズちゃんの制服のネクタイで彼の両腕を後ろ手に縛る。
ネクタイなんかじゃ抑えつけられない事は分かっていたが、流石、俺の夢の中だ。
シズちゃんの抵抗は弱く、本気の反撃をしてはこない。
折れそうに細い首に手をかけてじわじわと力を籠めても、シズちゃんは心底訳が分からないといった表情で瞳に薄い膜を張らせて肩越しに睨んでくるだけだ。
苦しさに目元を染めて泣きだしてしまいそうにも見えるその顔は、はっきり言って煽情的で誘っているようにしか見えない。

「なんて言うか…、ここまで性的なんてありえないよね。
もしも、シズちゃん本人が実際にこんな反応したら…ビッチすぎて気持ち悪いよ」

そんなシズちゃんを求めている自分が一番最低だけど。それを棚に上げて、自分の妄想で作り上げたシズちゃんに八つ当たりをする。
はぁ、と呆れたように溜息を吐くと、同時に、シズちゃんの瞳からぽろりと涙が零れた。
首から手を離し、激しく咳き込む首筋に舌を這わせ、スラックスの中に手を差し入れる。
僅かな抵抗をされたので、耳元で「シズちゃん可愛いね。そんな抵抗じゃやめてあげられないよ」と出来る限り甘く囁くと、その抵抗さえもなくなった。

甘い啼き声とはしたない水音が濃い霧の中で響く。
そろそろいいか、と下着を取り除き日焼けをしていない白い臀部を掴むと、それまで大人しかったシズちゃんが突然抵抗をした。
夢の中の想像でさえ思い通りにならないシズちゃんに、湧きあがる怒りのまま殴りつけ抑えつけ無理矢理、狭いそこへ欲望を突き入れる。
泣き叫ぶシズちゃんを好き勝手に揺さぶり、熱い体内に9年間叶わなかった想いを吐き出した。




目を開けると寝室の天井が見えた。
まだ頭が鈍く痛い。完全に二日酔いだ。
時計は5時半を差していて、窓から差し込む光は朝焼けなのか夕焼けなのか判別がつかない。
何時どうやって帰ってきたのか覚えていないけれど、おそらく何とかタクシーでも捕まえることが出来たのだろう。
それにしても、やたら生々しい夢を見た。
時々、まるで現実のような体感を伴う夢を見る事はあるが、大概は、生々しければ生々しいほど目覚めるのも早くなる。
それが、今までにない生々しさでしかも最後まで行為をする夢だなんて…。どれだけ自分がシズちゃんを犯した相手に対抗心を燃やし羨ましいと思っているのか、己の醜い執着を思い知らされるようで苦々しい。
寝汗を拭おうと手を上げると、自分が何かを握りしめている事に気が付いた。

「ネクタイ…」

それは、学生服の、来神高校のネクタイだった。
俺は3年間一貫して学ランだったから、ブレザーの付属品であるネクタイなんか当然持っていない。
誰かからプレゼントをされたり、誰かのを失敬した過去もない。

じゃあ、何で…

そう考えるより早く、ベッドから飛び降り玄関の閉まる音を背後で聞いた。

どう云う事だ。9年前の記憶と7年前のやり取り。今朝の夢。まさか、まさか…と頭の中で全てが繋がりぐるぐるとまわる。

けれど、だけど、そんな非現実的な事が…――。



どうやら、時間は夜の17時半だったらしい。
闇に包まれ電飾で飾られていく街を駆け抜けながら、自身の所有する首の存在に、非現実など此処には存在しないのだった、と他人事のように思い出していた。





20110702

次はシズちゃんのターン(の予定)です