【ただ一度きりの】8 | ナノ


ふと目を開けると、自分の物ではないスプリングのきいたベッドの上だった。

見慣れぬ天井に、ここは何処だろうか…としばらくぼんやりしたが、身じろぎをした瞬間 全身を縛るように走った鈍痛に、気を失う前、酷いセックスを強要された事を思い出した。
自身のあられもない醜態が断片的に脳内で再生され、顔に熱が集まるのを感じる。
途中からほとんど記憶がないのが救いと言えるのかどうか…。記憶の途切れる瞬間は覚えていなかった。
事後を思い起こさせるべたつくような嫌な感覚がないため、気を失っている間に臨也が後処理をしてくれたのだろう。
ヤるだけヤって放置と云うのが常なので、その行為は珍しく、正直気持ちが悪かった。だいたい、いつもならここまで酷い状態になる事もないので、自分で簡単に処理をしてからマンションに戻り丁寧に身を清める事が多い。
何より、セックスの後は顔を合わせると気まずい…と言うよりも、虚しく馬鹿らしくなるので、お互いなるべく無視をして別れると云うのが暗黙の了解だった。はずだ。


…なので、今のこの状況は、明らかに全てがおかしいと言える。

「おい…。なにしてんだてめぇは…。」

いつもなら泊まる事のない部屋で、いつもなら居るはずのない人物が隣りで寝ている。

「なにって、自分のベッドに俺が居たらいけないの?それに理由がいるの?」

いやいや、てめぇのベッドにてめぇが居る分には何もおかしい事はないけども。
俺が訊きたいのは、俺が寝ているベッドにどうしててめぇも潜り込んでいるんだっつー…だな。
眼前に広がる異様な光景に、突っ込みたい内容は次々と沸いて出るがセリフが追い付かない。

………・・・。そうか、俺が悪いのか。そもそも、いくら身体が動かないからって、俺がノミ蟲のベッドで呑気に寝ていること自体が間違っているのか…。

もう面倒だから、自分が悪い事にしたら良いかと考えかけて、いやいやそうじゃねぇだろうと思い直す。

「俺はてめぇのせいでどうやっても身体が動かねぇんだから、その場合は俺が動けるようになるまで手前がどっか外をぶらついてやり過ごすってのが、俺たちのルールで日常だろう」

危ないところだった。つい、ノミ蟲のベッドを占領している自分が悪いのかと思うところだったが、どう考えたってこんな風になるまで無茶をしたノミ蟲の方が悪い。それはもう、10対0くらいの割合で歴然に。

これ以上調子を狂わせられたくなくて、静雄はさっさとベッドからもマンションからも臨也を追い出そうと試みる。
もそり、と身動ぎした臨也にようやく安穏が訪れるのかとほっとしたのもつかの間、白い腕が静雄の視界を横切り、なんだと反応をする前に更に悪化した状況に気が付く。胸元に落とされた重力に、もはやため息すら出てこなかった。

「…一応訊くが、お前は死ぬのか」
静雄の体は、二本の細い腕と身長のわりには長い脚に絡みつかれている。

いわゆる抱き枕と言うものか、俺が…。
良かったな、ノミ蟲。これが昨日ならお前の腕が目の端に入った瞬間にすでにお前は死んでいたはずだ。
天井の向こうを見つめながら、静雄は臨也の幸運を呪う。

「死なないよ!てゆうか、殺さないでよ。いいからちょっとしばらく黙っててくんないかな?俺だってシズちゃんが健やかに寝てる間、一晩中考えてたんだからね!」

健やかになんか寝てねぇよ気を失ってたんだよどこぞのクソノミ蟲のせいでな!…と嫌味を言ってやりたかったが、それを口に出したところできっと嫌味にもならず、逆に、ノミ蟲を喜ばせる結果になりそうだったのでぐっと堪える。
しかし、何をどうしたらそうなったのか知らないが、一晩中考えた結果が抱き枕とは哀れなものだ。当然、臨也の頭がである。
この、合理性を愛でる男にしては随分とくだらないことに時間を使ったものだ。

「やっぱり…シズちゃんが誰かと寝るのは許せないんだよねぇ…」

静雄の疑問を置いてけぼりにしたまま、ぽつりと呟いた臨也の声が同意を求めない自身への確認だったので、静雄は精一杯の力を振り絞って絡みついた腕を払いのけた。

「どうでも良いから放せ、そしてここから出て行け」
「いやだよ。出て行かない」
「何でだよ。恋人じゃあるまいし、こんな温い時間なんて気持ち悪いだけだろ」
「恋人なら出ていかなくて良いの?そんなら恋人になってよ」
「………はぁ”?」

頑なな臨也に面倒くささを隠しもしないで付き合っていたが、突如返ってきた突拍子もない切り返しに、流石に呆気にとられてしまってぽかんと口を開けたまま固まってしまう。
どうやら臨也は完全におかしくなってしまったようだ。
原因は何だろう。俺が、寝ている間に無意識にこいつの頭を殴ってしまったのだろうか。
それとも、3日前の殺し合いで外したと思っていた自動販売機が掠っていたとか…。もしくは、新羅あたりがうさん臭い薬でも作ってそれを臨也で臨床実験してみたのかもしれない。
何にしても迷惑なことだ。

静雄が臨也のおかしくなった原因をわりと真剣に考えていると、言っておくけど俺は正気だからね、と前置きをして
「シズちゃん誰とも付き合ってないでしょ?だったら俺と付きあってよ。俺と付き合えば君は他の男と寝ないんだろ?」
と、臨也は淡々と述べた。

間違っても、それは愛の告白ではない。交際を申し込む手順でもない。ただ、恋人と云う言葉を免罪符に堂々とセフレの関係を持とう、と申し入れられただけだ。
臨也がどうしてそんな事を言い出したのか、静雄は完全に置いて行かれてしまってこれ以上ないくらいに混乱をした。
セフレの関係を続けたいなら、今のままの方が束縛もなく後腐れもなく都合が良いのではないだろうか。
自由でなければ生きていけないような男が、何故わざわざ自ら狭い檻に飛び込むような真似をするのだろう。
ひょっとしたら、これも何かの企みのひとつなのかもしれない。
用心しながら、静雄は是とも否とも取れない返事をする。

「体目的で好きでもない奴と付き合うテメェの神経が分からない」

けれど、臨也は静雄の懐疑を払拭する事無く更に続けた。

「じゃぁ、毎月100万払うから俺としか寝ないで。」
一回一万で毎日3回シズちゃんが稼いだと考えれば、悪くないでしょ?もちろん毎日寝る必要はないよ。なんなら月に一回だって構わない。足りないならもっと出すし。

悪気もなく続けられる言葉に、困惑とともに腹の底からふつふつと湧き出る怒りを感じる。
金銭が発生するならそれはもはや援交だ。割り切った関係なら問題ないのかもしれないが、それは同時に、今までの関係を貶められ馬鹿にされたと同義にもなる。
こいつは俺がウリをやっているなどと本気にしたのだろうか。
なにより、そこまでしてセフレに執着するなんて、臨也にどんなメリットが有ると云うのだろうか。
他人とドンブリしたくないにしても、潔癖にも程があるだろう。
静雄を金で囲って関係を続けるくらいなら、高校の時のように女でも作ってそこで欲を満たせばいい。
臨也に心酔する女なら、臨也以外の男と寝る事もないだろう。

男も女も両方いけるんだから何も自分でなくとも…、と考えて、少し気持ちが沈む。
それはきっと、金なんかで動く安い男だと侮辱された事に対する屈辱感からだ…。と静雄は結論付けた。





20110601

つづく