【ただ一度きりの】4 | ナノ

※シズちゃんがやんちゃですみません…



「ボディソ−プもシャンプーも石鹸までピンクかよ…」

バスタブに張ったお湯に入浴剤を沈めながら、静雄はため息をついた。
先ほどまで透明だったお湯は、入浴剤によって禍々しいピンク色へと変わっている。

これからセックスをしますよって時に、ピンクってのはそんなに盛り上げに一役買う色なのだろうか…。部屋を飾る色がどんな色だろうが、真っ裸になって行為に溺れてしまえば大して変わらないのに、と静雄は思う。
まぁ確かに、部屋のどこもかしこも全部真っ青で埋め尽くされていたならば、流石に萎えてしまうかもしれないが。このラブホテルには玄関にお決まりの旗が掲げられていた。
…分かりやすく言えば“ゲイカップルにとても優しいラブホ”なのだ。

通常のカップルで女の好感度を上げるなら、ピンクやフリルは有効なのかもしれない。
けれど、男同士のカップル御用達のホテルで、ピンクにまみれるってのは流石にどうなんだろうか。それとも、ゲイではない自分にはわからないが、ピンクはほとんどのゲイにも受けがいいんだろうか…。
しかし自分をこんな身体にしたノミ蟲は、男も女もイケるゲイだが黒い物ばかりを身につけているし…。

「あいつは蟲だからか…?」

いくらゲイに優しいラブホテルでも、普通に知らず男女のカップルが利用することもある、という可能性に気がつかないまま、そして、実際ピンク色が盛り上げにそれなりに有効だと云う事実を知らないまま、静雄はことさら丁寧に身体を洗っていた。
半身浴をしては身体を流し、また湯船につかる、を繰り返しているので、静雄が入浴してからすでに30分は軽く経過している。
「準備してないから待っていろ。一緒に風呂入るのは狭いし嫌いだから中に入ってきたらヤらない」と言えば、男は大人しく待っていた。
1時間ぐらい焦らしてやりたいが、いつもはカラスの行水な静雄にとって、30分は短くはない。自身に返る業として十分すぎる苦行だった。
指の皮もふやけてきたし、いい加減洗うところももうない。


のんびりとした動作で風呂からあがり、いつもの倍の時間をかけて身体を拭き、髪は殊更丁寧に乾かした。浴室から出ると、期待に胸と股間を膨らませた男が我慢できないとばかりに飛びかかってくる。
想定内の行動だったので、静雄はそれを軽くかわし、お前も入って来いと男に入浴を促した。
「いや、でも、早くヤりたいし…」と、渋る男に、「少しでも汗かいてる奴とはヤりたくない」と言ってひと睨みすれば、男はここで逃げられては堪らないと急いで浴室に向かった。
その背中に、体臭が残ってたら入りなおしだからな、と声をかけ、シャワーの音を確認してさっさと部屋を後にする。


「45分か。結構ロスしちまったな。てゆうか、あいつ、突っ込むつもりだったんか突っ込まれるつもりだったんかどっちだったんだろ…」

今更どうでもいいか、と、煙草を咥えながらホテルの扉を開ける。
薄暗いホテルに順応した目で午後になったばかりの日常に戻ると、世界はことさら眩しかった。目を細めて慣らすように眩い世界に視線を巡らせる。
すると、ホテルの門の前に黒い塊がある事に気がついた。

ほんの10時間前まで一緒に居た…―正確に言うと、散々嬲られ喘がされた相手が何故かそこに居る。
黒い塊を目にして、その存在を確認した瞬間、暴力を使わずに仕返しができた、と、上機嫌だった静雄の眉間に深く皺が寄った。
その様子を見て、臨也の顔があからさまに不機嫌になる。

「掲示板で噂になってたから、まさか、と思ったけど…。本当にシズちゃんがウリしてるとか。ありえないでしょ。なんなの?馬鹿じゃないの?朝までヤってたのにこんな時間からまたお楽しみ?なにそれ。淫乱にも程があるよね」
一息で悪口を言われ、静雄のこめかみに浮かんだ青筋がさらに際立つ。
「ああ?淫乱だぁ?朝まで無理矢理ヤったのはテメェだろ!」

そもそも、この糞ノミ蟲が全ての元凶だ。
突っ込まれて感じる身体になったのも、どこにでもある修羅場を自身に重ねて虚しく感じてしまったのも。

「もういい、散れ。せっかく気分良かったのに手前のせいで台無しだ」

さっさとこの場を離れようと、軽くあしらったのが拙かったのか。静雄の返答を聞いた瞬間、周りの空気が一気に冷えた。
臨也の雰囲気がいつもの喧嘩とは違うものになった事を悟り、しまったと思うが、静雄にしても今さら引けるものではなかった。

「あのさぁ、俺言ったよね?他人とどんぶりするなんて真っ平ごめんだから、他の人とは寝ないでねって。シズちゃんがいくら鳥頭でもそんくらいの日本語理解してると思ってたんだけどなぁ。日本語通じないなら何語で言えばいいの?英語?ロシア語?フランス語?」
大げさに口からため息をつき、両手を広げやれやれといったポーズをしながらにこやかに笑うものの、臨也の目は一切笑っていない。
「…俺も言ったよなぁ?俺が誰と寝ようが俺の勝手だって。俺は手前専用の玩具じゃねぇ、ってよぉ」
「あーそう。…てことは、解っててわざとヤったってことなんだ?そっかそっか。俺とした事がすっかり油断してたよ。まさかシズちゃんがそんな事出来る子だなんて思ってもみなくてさ。認識改めないといけないなぁ。ほんとシズちゃんって思い通りにならないよね。それじゃぁさぁ…」
臨也が何か言いかけたが、突然静雄の腕が後ろから引かれ、前方にばかり注意を向けていた静雄は驚いて振り返った。

「お前1万つったのに…!」

どうやら、部屋に置き去りにしてきた男が思ったよりも早く、静雄が消えた事に気がついたらしい。
髪も乾かさないまま急いで後を追って出てきたとみえ、ぽたぽたと水を垂らしながら静雄の腕を掴んでいる。
1時間近くも我慢したんだ、何が何でもやる事ヤるぞ、と云う意気込みはある意味男らしくもあるが、いかんせん、欲望を向ける相手が悪かった。

男は知らなかったが、池袋では泣く子は黙らずもっと泣く、平和島静雄と折原臨也が二人揃って目の前に居たのだ。
めんどくせぇなぁ、と、静雄が殴って黙らせようとするよりも早く、その男がひぃっと恐怖に引き攣った悲鳴を上げた。
静雄を掴んでいた手の甲からはぷくりと朱色の珠が浮かび、赤い珠が繋がり一筋の線になったかと思うと、ぽたぽたと重力に従い流れ落ちた。
呆然とする男の前で、人好きのする笑顔を絶やさず、けれど、一般人には酷すぎる尋常ならざる殺意を隠そうともしないで、臨也が続ける。

「へー。あんた1万でこいつを買ったんだ。…で?どうだった?まぁ、当然、勿論、良かったよねぇ?だってこの俺が7年かけてじっくり調教してあげたんだもん!良くなかったって事はないよね?サービスしてもらえた?どんな体位で何回ヤったの?ちゃんとゴムつけた?ああ、でもシズちゃん中出し大好きだもんねぇ。ビッチだし一回じゃ収まんなかったでしょ?
まったく…。ほんっとムカつくんだけど。俺はこいつに殴られて、死にそうになりながら快楽を覚えさせたって云うのに。あんたはたった1万ぽっちで美味しい思いができたんだ、とか思うと、…ねぇ?久々殺意も湧くってもんだよ。
死んでみる?てゆうか、死ねよ。おまえの顔覚えたからさ、覚悟したらいいよ。生きてんの後悔するぐらい、焼けた鉄の下駄履かせて躍らせてやるから。
…で?いつまでその間抜け面、俺に見せてんの?今すぐ殺されたいならここにいればいいけど、1日でも長く生きたいなら1秒以内に消えろよ、ほら!」

どこから突っ込めばいいのか。誰がビッチだ、調教してくれなんて頼んだ覚えはない、だいたい自分で長々喋っておきながらいつまで居るのかとは理不尽な。そう悠長に思えたのは、静雄だけだった。
ナイフで切られ、戦場かと思わせる殺気を全身で受け止めさせられた哀れな男は、臨也の言っている内容の半分も理解しないまま、転げるように雑踏に向かって逃げ出した。





20110423

つづく