【ただ1度きりの】3 | ナノ

いつもなら頭の片隅にすら過らないような、下らない事をだらだらと考えてしまう…。
その理由は分かっていた。

静雄の思考回路を蝕む2日前の光景。

人通りの少ない路地裏で、男が女を捨てていた。
遺棄とか放棄とか事件性のあるものではなく、関係を切り捨てるといった、そのままの文面の有り触れた ただの男と女の修羅場だ。
けれど、女を捨てた男は今時珍しい黒髪のストレートで、捨てられた女はこれまた今時珍しい金髪のセミロングだった。

つまり、似ていたのだ。自分と忌々しいあのノミ蟲に。

外見が似ていただけではない。内容が、腸が煮えくりかえるほどに他人事とは思えなかった。
要約すると、捨てられた金髪女は好きでもなかった黒髪男とセフレになり、いつの間にか愛情を抱いてしまったらしい。
そこで、正式に付き合おうと申し出たものの当然のように男にそんな気はなく。面倒臭い事を言い出した女をあっさりと切り捨てた。それならセフレのままで構わないから今まで通り逢ってくれ、と涙を流し縋る女に、うぜぇ死ねよ、と男は無情にも往来で罵ったのだ。

トムさんを待っていて、そんな一部始終を見てしまった。
いくらメイン通りから少し離れているからといっても、天下の往来で繰り広げていい修羅場ではない。
別に自分は、セックスをしていてもノミ蟲なんか好きでも何でもないが…―当たり前だが、大事なことなので強調しておく―…最近は少し絆されている自覚があったので、その男の態度には少なからず腹が立った。
ヤるだけヤってそりゃないだろう、と、女の代わりに軽くこずいてやろうかと足を踏み出そうとした処で名前を呼ばれ、それは叶わなかったのだが。

「やっぱりあん時殴ってやればよかった…」
仕事をほうっておく訳にはいかなかったので、そのまま後にしてしまったが。手酷く捨てられた女の泣き顔と、泣きじゃくる女を蔑むように見ながら、いかにも退屈だと薄ら笑いを浮かべてあしらっていたムカつく男の顔が忘れられない。
人の顔を覚えるのが苦手な自分が通りすがりのモブ男の顔を覚えてしまっているのだから、よっぽどだ。
おそらく、認めたくはないが、自分は無意識に自分と臨也の関係に名前を付けるならセフレなんだろう、と思ってしまっているのだ。
だから、こんなにもいらいらしている。

せっかく、今日は久しぶりの休日で。身体は重いが幽の誕生日プレゼントの下見でも…と思って遠出しているのに。
胸糞悪いことを思い出してしまった。
今年は少し奮発しようと、わざわざ池袋にはない新宿の老舗の百貨店まで来ている。そのせいもあってか、池袋とは違った雰囲気に気疲れしてしまい、少し休むつもりで座った石のオブジェで考えなくても良い事を考えてしまっていた。
街頭の時計に視線を移し、そこでようやく、結構な時間ぼーっとしていた事に気が付いて狼狽える。

あの腐れノミ蟲のマンションとは逆方向だし、今日は私服だからそうそう見つかる事はないだろうが。なんと言っても相手は抜け目のない情報屋だ。
昨日の今日で遭遇し、ないとは思うが、また盛られて襲われてしまっては流石に身体がもたない。
ほとんど朝まで、…今から10時間も経たないだろう明け方まで、しつこく責められ喘がされていたのだ。遭わずに帰るに越したことはないだろう。
自身の醜態を思い出し、再び心臓がもやっとした。
これでは堂々巡りだ。
ひとつ嘆息し、そろそろ動くか…と、腰を浮かそうとした瞬間、「こんにちは、お兄さん!いくら?」と上から声が落ちてきた。

「ぁあ”?」

お兄さんて誰だ?と思い、きょろきょろと周りを見てみるが、生憎近くには自分と声をかけてきた相手しかいない。
自分相手に声をかけるなんて、しかも、いくら?だなんて。何なんだこいつ、と思ったが、今日は私服だしここは池袋ではない。
バーテン服を着ていなければ目の前の男が平和島静雄だと気がつく人間も少ないのだろう。

しかし、いくらって何がだ…。

平和島静雄になら、金を払って用心棒だとか喧嘩の尻拭いだとか依頼が来てもおかしくはないが、どうやらそうではないらしい。
ポン引きにしても時間が早すぎるし、いくらです、と言われたのではなく、いくら?と、疑問形で訊かれた。
ならばなんだ…と、考えて、静雄はここが新宿で、目の前の男が先ほど回想で出てきた金髪女をボロ雑巾のように捨てた黒髪男だと気がついた。

ああ、なるほど。今時マンガやドラマでもこんな萎え展開はあり得ない酷い偶然だが…。つまりこいつはゲイってやつで、それもバイって言う、男も女もイケる口なのか。…どこまでも糞ノミ蟲と一緒ってわけだ。

もはや、静雄には目の前の男が臨也の劣化版にしか見えない。
この前は直接自分自身とは関係がなかったが、今回はわざわざ自ら火の中に飛び込んで、喧嘩人形と謳われる自分に声をかけてきたのだ。
セクハラすんじゃねぇよ、と、思いっきりブチのめしたって正当防衛にしかならないだろう。
そんな極端な言い分を正当化しながら、うんうんと静雄はうなずいた。

しかし、何発殴ってやろうか…と、思案したところで、めずらしく、静雄は暴力以外で目の前の男をぎゃふんと言わせる方法を思いついた。

殴るよりもきついお仕置き。
この場合、男にとって一番堪えるのは、ヤれると期待して昂ぶり怒張した状態で長い時間おあずけを食らう事、に違いない。特に、目の前のヤる事しか考えられないような男には、かなり有効なはずだ。

本来、こういった嫌がらせは、良くも悪くも実直型の静雄にしては思いつく事もない、ありえない類のものだった。
けれども、まるで静雄の嫌悪する臨也が好んでするようなその嫌がらせを思いつき、実行しようとしてしまったのは、彼自身が自覚する以上に、精神的にも肉体的にも追い詰められ疲れていたからに違いなかった。
或いは、知らず慣れて些細ながら感化でもされてしまったのか―…
いずれにしても、深い意味も大した理由もない出来心だった。
あの女と同じ気持ちをこの男にも味あわせてやりたい。静雄は、ごく自然にそう思った。

しかし、そうは言っても男同士で売春だの買春だの、いくらが相場なのか静雄にはさっぱり分からない。
高くしすぎて逃がすわけにはいかないが、安くしすぎて警戒されては元も子もない。
自身の価値など計った事はないが、高いと渋られたら値下げすればいいだろうと思い、とりあえず高めに。「いちまんえん」と、目の前の男ににっこり笑って伝えてみた。






たまには小悪魔のように
遊んだって、罰は当たらない…

20110422

つづく