ああ、だるい… 静雄は凝った肩を解すようにぐるりと首を回した。 昨晩は遅くまで…―もはや、今朝と言ってもいいような時間―まで、さんざん身体を犯された。 おかげでほとんど睡眠をとれていない。 幸い今日は仕事は休みだが、せっかくの休息日をこんな最悪な体調と気分で過ごしては休みの意味はないだろう。 身体を這いまわる体温の低い手。奥まで突き上げられ、熱い体液に奔流される生々しい感触を思い出し、思わず舌打ちをする。 平和島静雄は、幼馴染から言わせれば奇想天外。高校からの天敵の弁ならば、化け物、と称されるような身体を持っていた。 もちろん外見が、ではない。 内側。…骨の強度だったり、人並み外れた膂力だったり、刃物は当然のこと銃弾さえも貫く事のできない強靭な筋肉だったり、そういったものが だ。 平たく言えば、道路に設置されているような標識を力任せに引っこ抜いて振り回したり、常人なら数人がかりでも持ち上げる事が困難な自動販売機を、軽々と持ち上げ投げ飛ばす事ができる。 なので、普通に考えれば、身体を無理矢理暴かれる、と言った状況は成立しない。 あやしい薬を投与されたり身体の自由を物理的に奪われない限り、無抵抗で体を好きにされることなんてないのだ。 けれど、今朝まで静雄を好き勝手した男は、ただの一般的な成人男性だった。 その男が常に仕込みナイフを携帯していたり、パルクールを体得し静雄の暴力から毎回逃げおおせている事を考えたら、素直に一般的、とは言い難いかもしれないが。それでも、静雄のような出鱈目な膂力や筋力は持ち合わせない、普通の常人だった。 むしろ、その男の体格は細身で華奢と表現してもいい。 そんな優男に、身体を好き勝手暴かれた。 つまり、認めたくはないけれど。どれだけ言い訳をしたところで合意になってしまうのだ。あの男に抱かれると言う事は。 静雄はふと脳裏を掠めた黒い影に目を細める。 忌々しい男だった。 いつも人を馬鹿にしたように笑う。整っていると評される顔も、冷たく光る赤い目も、厭らしく歪む口元も、人を陥れることにしか使われる事のない本来ならそこそこ優秀なはずの脳みそも、どす黒い性格を包んで隠すような全身真っ黒な服装も、すべてが、全部、気に食わない。 静雄とその男、折原臨也は、池袋に関わる誰もが当然のように認識する、水と油。犬猿の仲だった。 静雄と臨也が顔を合わせれば、何処だろうと何時だろうと容赦なく喧嘩が始まり、建物や公共物は破壊し尽くされる。 二人の喧嘩に巻き込まれれば命を落とすかもしれないと言う恐怖から、その喧嘩は戦争とまで揶揄された。 その二人が、ときどき体を重ねている…。 静雄はそれを、合意などと認めるわけにはいかなかった。 確かに、最後はどろどろに溶かされ流されてしまうけれど、些細でも抵抗をしなかった事はない。 うまく切り抜けられれば、煽られ熱が籠った体でも欲を断ち切る自信はある。 うまく切り抜けられた気億なんて、ほとんど皆無だけれど…。 自分が望んで抱かれていると勘違いされるのだけは嫌だった。素直に抱かれるなど、プライドが許さない。 いつから どうして、この関係が始まってしまったのかは、はっきりとは覚えていない。 高校の何年生だったか。季節は夏だったように思う。 ひょっとしたら、気の早い太陽が張り切ってしまった5月頃だったかもしれないし、秋の気温に切り替え損ねた残暑の残る10月だったかもしれない。 もしくは、初めて体を重ねたせいで上がりきった体温が気温なんか分からなくさせてしまっただけで、冬の日の事だったのかもしれない。 それくらい曖昧で、いつからなんて、静雄にとってはどうでもいい事だった。 その日も、ただの喧嘩をいつも通りしているはずだった。 下校時間はとっくに過ぎていて、教室は差し込む夕日で綺麗な茜色に染まっていた。 この教室のようにその身体を真っ赤に染め上げるべく、静雄は目の前の人物に襲いかかる。 いつも通り。机や椅子を、殺すつもりで臨也に投げ、いつも通り、ことごとく避けられた。 お互い荒い息のまま、教室の真ん中にまるく空いた空間で睨み合う。 ほんのひととき訪れた静寂に、そろそろ帰らないと今日は両親が遅いから幽の夕御飯が…と、静雄の気が一瞬逸れた。 その刹那。視界が反転し、気が付いたら静雄は教室の天井を見ていた。 押し倒された、と、思った時には腹部に一人ぶんの体重を感じ、マウントポジションをとられた衝撃で思わず体が固まる。 常人同士の喧嘩ならば、マウントポジションを取られた時点で勝敗は決する。 しかし、常人には危機的状況でも、静雄にとっては危機でもなんでもなかった。 少し驚いたものの、それほど緊張感もなく腹に座る人物を見上げる。 いくら押さえつけられようが、殴られようが、自身の膂力があれば撥ね退け反撃することは容易い。 余裕すら感じる緩慢な動作で、視線を天井から厭らしく笑っているだろう人物へ向け、静雄はそこでようやく目の前の人物が常と違う空気を纏っている事を感じ取った。 見上げた先の顔はいつも通りの人を食ったような笑みではなく、何を考えているか解らないこの人物が普段貼り付けることのない“無表情”だったのだ。 静雄を殴れる喜びを浮かべるでもなく、殺し合いで気を逸らした間抜けさを嘲笑うでもなく、ただ、見下ろしている。 その仮面のような顔の中で、紅い瞳だけがギラギラと光を放ち、異様にねとつくような空気を放っていた。 切欠は 今でも、わからない。 何が臨也をそうさせたのか。何が理由になったのか。静雄には分からない。 その時の臨也が、いつもの臨也ではなかったのだ。 いつも、と言えるほど自分はこの男を解っていたのか。その思考回路に自嘲するいとまもなく静雄は初めて臨也に恐怖した。 何か喋らなければ、せめて声を出さなければ、と、思うものの、舌はのどに貼り付き僅かに唇が震えるだけだった。 これから自分が何をされるのか、どんな目にあわされるのか。理解していなくとも本能が警鐘を鳴らし、その警鐘音のけたたましさに驚いた頭は混乱して、思考の一切を停止する。 体は血脈に鉛を流し込まれたように重く、指先さえも動かせなくなってしまった。 胸元に影が落ち、制服が悲鳴をあげて切り裂かれ、体温のない掌が胸を這いずり回っても静雄は抵抗ができなかった。 胸の飾りを弄られ舐られ、下肢に指が落ちて、ようやく震える腕で圧し掛かる体を押し返そうと試みる。 けれど、未知の恐怖に縮こまる筋肉は常時の100分の1すらの力も腕に伝えず、ぶるぶる震えて臨也の肩口を弱く押さえるにとどまった。 頭も身体も役に立たない。 静雄はその絶望を呪う余裕すらなかった。 日常の壊れる音をきいた それは、あまりに非日常すぎて、気が付かないほど静かに… 20110414 つづく |