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 フラウディア王国、首都─フィルディリア。数ある大陸内の国において北に構えるこの国の冬は、諸国の中でも指折りの長さだ。冬の訪れを告げる雪は九月の時点で降り始め、五月の頭になるまでは決して降り止むことがない。春や秋などは、あって無いようなものだ。
 人々は長い長い冬を乗り越えるため、様々な知恵を凝らした。その一つが外壁に取り付けてある街灯だ。雲の厚い冬の空は、昼間でも陽の光を多分に遮るので、昔はひどく薄暗かった。先々代の国王は時の魔法使いと相談し、街灯に火の精霊を封じ込め、町を明るく…また暖かく保つ術を手に入れた。そのため、国民は北方に構える国にも関わらず、苦痛を感じる寒さから逃れ平和な暮らしを営んでこられたのだ。
 そんなフィルディリアの町の中央には、他国に類を見ない規模の大神殿がある。生命を司り人々からは最も信仰を集めている大陸の母神、イリェネディールを奉る神殿だ。他国は大きな町ごとに神殿を据えるが、フラウディア王国は王都こそ広く立派であるものの、その他の村や町はそれほど裕福ではない環境のためこれ程の神殿を設けられず、必然的に王都の神殿の規模が大きくなっていった。それもまた、この母神の信仰の厚さの賜物だ。
 フィルディリア大神殿の東にある、神官達の宿舎の一室に、ミファールは暮らしていた。
「おはようございます、マティッカおばさん」
「おはようさん、ミファール。今日もよく雪が降るねぇ」
 彼女からの朝一番の挨拶を受けた野菜売りのマティッカは、嬉しそうに目を細める。献身的で心優しいミファールのことを、彼女は大好きだったからだ。
「本当に…でも昨日より雲が薄くて明るいし、今日は少し過ごしやすいかもしれません」
「そうだと良いねぇ」
 布張りのテントの露店に朝採れたての野菜を並べながら、相槌を打つ。街灯の火の精霊達のおかげで、雪の中でもこうして凍らないままの野菜を売る事が出来るのがフィルディリア住民の自慢だ。
「今から湖かい?」
「はい。今日はそれほど冷え込まなかったので…少しだけ寝過ごしてしまって」
「何言ってるんだい!いつもより数分遅いだけだろうが。アンタは真面目過ぎる」
「ふふっ…そうでしょうか」
 ミファールが気に病むのを懸念してか、そうお説教をするマティッカに心の中で感謝して、ミファールは日課である豊饒の湖での水汲みへ向かっていった。

* * * *

 神殿で使われる聖水は、豊饒の湖から毎朝に汲まれた水が使用されている。水の精霊が多く住む清らかな湖なら何処でも良いのだが、幸いな事にフィルディリアは歩いて数分位の場所にこれを擁していた。この水を汲む仕事は、神殿巫女という役職に就く者が必ず任されている。ミファールも、その神殿巫女の一人だ。
 神殿巫女は、言うなれば…神の舞姫。
 神を呼び、神の声を聞く為の舞を踊る役目。数ある神職の中でも、ほんの一握りの者にしか任されない。そんな己の役割を、ミファールはとても誇りに思っていた。毎朝の水汲みの苦労など、その誇りを前にすれば微塵も感じない。
「あら…?」
 湖へと向かう道すがら、ふと視線を上げると向こうからこちらへと歩み寄る人影が見える。雪除けのためか目深にフードを被り、すっぽりと長いローブを身につけた男だ。
「おはようございます。フィルディリアにご用ですか、旅の方」
 つい無意識にそう挨拶をする。だが相手は、ミファールの質問には答えずにその目を見つめ続け、やがて…静かにその口を開いた。
「女神は………何処だ?」
「…女神?イリェネディール様の事ですか?」
「女神が…いるのだ。この町に…女神が…」
「はぁ…そうなのですか。もし神殿にご用事がありましたら、町の中央の大きな建物ですからきっとすぐにお分かりになると思いますよ」
「………」
 ミファールの心遣いには反応を示さぬまま、男は彼女が来た道を真っ直ぐに歩いていった。どこか虚ろな瞳と、安定感の無いその歩き方が酷く印象に残る…。
「こんな早朝に人がいらっしゃるだなんて……珍しい旅人さんですね」
 ふう、とため息を吐く。雪に阻まれもう微かにしか見えなくなった男の背中を見つめつつ。言動を含む男の、どことない怪しさを不思議に思いながらも、ひとまずは日課である水汲みを済ますため、ミファールは湖へと向かった。


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