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 それは…よく聞くおとぎ話の、そのひとつに過ぎなかった短い物語…。

 月に住まう女神─メルヌリュースと、大地を守護する神─クラディエンス。互いに守るべきものを持ちながらも、惹かれ合う各々の心には逆らえず…。周囲の反対を乗り越えて結ばれた二人の神の恋物語。
 二人の恋は月に、そして大地に混乱を招き、次第に世界は不安定さをあらわにしていった。メルヌリュースを深く愛したあまり、大地の神たるクラディエンスの意識は守るべきその大地へと向かなくなっていく。急速に田畑は枯れ、水は濁り、人も村落も徐々にその数を減らしていった。その結果…強い想いとは裏腹に、引き裂かれてしまった愛し合う二人の仲。それも、メルヌリュースの死…という、最悪の形で。
 大地の民は、平穏な暮らしを揺るがせた己が神ではなく、そんな神を誘惑たらしめた女神にその矛先を向けたのだ。もちろん、真実など…彼らには必要無かった。ただ鬱積した気持ちの捌け口が欲しかっただけ…ただ、それだけだ。
 守るべき存在に最愛の人を奪われ、哀しみと絶望に暮れるクラディエンス…。この物語は、続きを書く事をやめてしまったかの様にそこでブツリと終わっていた。


 幼い頃、母の私室にあった一番大きな本棚の奥の、鍵が掛かった引き出しの中に、その本はあった。
 母が留守していた隙にコッソリ忍び込んで、強い魔法で何重にも掛けられた鍵を興味本位で外したその先にあった本に、最初はガッカリもしたものだ。なにせ、これだけの厳重な鍵だ…きっと私の様な子供には見せられない程の凄い宝か何かが隠されてるに違いない。そう踏んでいたのに、ふたを開けてみたら…そこにあったのはただのおとぎ話を記した本が一冊だけ…。悔しくて仕方なかった。
 けれど…最初の一ページをめくると、そんな感情はいつの間にかどこかに消えていた。
 何の変哲も無い、ただの神話だ。取り立てて珍しくもない。なのに…手放すことが惜しくて堪らないくらい、惹かれていた。夢中でページをめくっていた私は、挿絵のある場面を開いたところでハッと我に返る。もうそろそろ、母が帰宅する時間だと気付いたからだ。
 私は迷わず、その本を持ち出す事を決めた。為されていた鍵の魔法を完璧に元通りにして、引き出しを開けた事実を決して母に悟られないように。用心深く、部屋に帰ったあとで表紙を別の本の装丁にすり替えるのも忘れずに。そうして手に入れたその物語を、今でもまだ夢中になって読み込んでいる。でも…今更になって、その物語に対する疑問が浮かんで私の心を支配していた。
「ねえ、レイシー?」
「何でしょうか、姫様?」
 庭で咲いた香りの強い、朝露の付いたままの白薔薇を花瓶に生けながら、首だけでこちらを振り返り答えた侍女のレイシーに、折から気にかかっていた疑問をぶつけてみる。
「神様の出てくるおとぎ話って…ほとんどが、大地の民が書いた物なのよね?」
「ええ、そうですよ。そんなこと…聞くまでも
ないでしょう、フローラ様?」
 そうと承知の上で敢えて尋ねたのだけれど…仲良しのレイシーは違いの立場なんて全く意に介していないので、盛大な溜息を交えつつ想像していたそれ以上に演技かかった風でガッカリされて、ついついむくれてしまう。
「大地の民の歴史なんて、とっくの昔に授業で学ばれたではありませんか。私たちは神という存在を信じたり、書物に記したりなんて決して致しませんよ。だって…」
『大地の民が書く物語の神とは、我々月の民の事なのだから』
 最後のレイシーのセリフに、全く同じ言葉で被せて言うと、「解ってるんじゃないですか、もうっ!」と、ぷりぷり怒られた。そのまま、レイシーは花を生ける際に落ちた葉や花びらを捨ててきますと告げて部屋を出る。
「神は……実在する。だとしたら、あの二人の物語だって…きっと更に続きがあるはず…」
 理屈に当てはめたならば、メルヌリュースもクラディエンスも血の通った人間だった筈だ。あの本は物語なので、二人の関係が終わった後は描かれなかった…それだけだろう。
「やっぱり…知りたい。クラディエンスがその後どうしたのか。どうなったのか…」
 知ったところで悲劇なのは目に見えている。だというのに、困った事に一度芽生えた好奇心は全く離れてくれない。むしろ膨らむ一方だ。
「よし、善は急げ!ちょうど今日は一族会議で夜通し母様もいないし、今夜が絶好の抜け出し日和だわっ」
 そう自分に言い聞かせながら、腰掛けていたベッドを勢いよく飛び降りた私は、急いで仕度を始めた。…とは言え、前々からすでに密かに行っていた荷物やその他の諸々をまとめるだけなんだけれど。脳裏にチラッとレイシーの号泣する姿が浮かんで罪悪感も抱いたけど、それは後でいっぱい謝って許してもらおう。
「ちょっとだけ…続きを聞いたらすぐ帰ってくるから、いいよね?」
 呟いた言葉はレイシーへの言い訳か、自分への物か…考えても答えが出なかったのでやめておこうと思う。


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