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 男が城門に着くと、重く閉ざされた扉が彼の行く手を阻んだ。閉鎖的な北国の王都は外部の人間を簡単には受け入れず、石造りの城門の上に立っていた二人の見張りの兵士のうち、西側の者が入門の許可証を求める。
「旅人か。この王都フィルディリアへと入るのならば、許可証を提示してもらおう」
 門の上から声を響かせて伝えた兵士に、男はそっと何かを差し出す仕草を見せる。
「おお、許可証を持っているようだな。そこで待っていなさい。すぐ確認に向かう」
 西側の兵士がそう告げて、急いで階段を駆け降りる。東側の兵士は、何かが起きた際に対処出来るように上で待機するのが決まりなので、そのまま黙って男の様子を見つめていた。
「待たせたな。どれどれ…?」
 人の良い兵士は、旅人を待たせ煩わせた事を
軽く詫びながら、提示されたものを確認した。
「こっ…これは…?」
 男から受け取ったのは、何も書かれていない白紙の許可証…─そう気付いて何かを言おうとした矢先、男の手が彼の首元へと伸びた。
「おい、どうしたっ!?」
 東の兵士が異変を感じて声を掛ける。しかし返ってきたのは何とも呑気な笑い声だった。
「はっはっは…いやぁスマン、スマン。署名の部分がひどいクセ字で読めなかっただけだよ。署名も印鑑も正式に南のリグレスタの物だな。おぉい!門を開けてやってくれ!」
「何だよ…脅かしやがって。了解だ!」
 返事と共に扉を開閉するハンドルが回され、人一人が通れる程の隙間が開いた。
「さぁ、通ってくれ。ようこそ、我が王都へ」
「………」
 一瞥しただけで礼も言わぬ男を気にも留めぬまま、兵士は笑顔で彼を迎え入れてやる。だがその瞳が虚ろに宙をさ迷いながら、何も映していないのを…上にいた相方の兵士が気付く事は無かった。

* * * *


「まったくミファールったら!この寒い早朝にストール無しに出掛けるだなんて無防備だわ!相変わらず、天然なんだから…」
 ズルリ、ズルリと不気味に歩を進める男に、最初に気が付いたのは神殿に勤めるシスターのエーレンだった。
 ミファールと同室の彼女は、目が覚めてまずベッドに残されたままの親友の防寒具に、サッと青ざめる。比較的暖かい陽気の朝とはいえ、一歩町を出れば身を刺す様な寒さが待っているのだ。コートを身につけていても、この一枚があると無しとでは全く違うだろう。そう思って着替えたのち、ミファールを追って急ぎ宿舎を飛び出していた。
 男に気が付いたのはそんな届け物の最中だ。
「あの人…」
 神殿前にある広場の噴水を挟んだ向こう側…男は宛ても無く右へ左へ、虚ろな眼差しをしたまま歩いている。
「嫌だわ、こんな朝から…酔っ払いかしら?」
 眉をひそめ、男を警戒しながら城門へ進む。絡まれでもしたら、面倒だ。エーレンは無視を決め込んだ。
「ちょいとアンタ!」
 そんな矢先に、背後で威勢の良い声が男の事を呼び止めるのが聞こえた。振り返り見れば、見慣れた顔だ。いつも広場の市で野菜を扱っているマティッカおばさんが、酔っ払い男の肩を掴んで振り向かせる瞬間を見た。
「冬のフラウディアの朝に、そんなになるまで酔っ払うなんて自殺行為だよ!そこらで寝たりしたら、それこそすぐに死んじまう」
 そんなおばさんの心配をよそに、男の口から出たのは意味不明な問い掛けだ。
「女神…女神はどこにいる…?」
「ハァ?女神?女神って言やぁ…アンタの目の前だよ。この建物がイリェネディール様を奉る神殿だ。見て分からないかい?」
「違う…女神…女神がいるのだ…」
 要領を得ない男のやり取りに痺れを切らし、マティッカおばさんがその腕を掴んで怒鳴る。
「酔っ払いにゃ付いていけないよ!ひとまず…兵士の詰め所に連れてってやるから、アンタのその女神とやらを探してもらいな」
 ぐい、と力を込めたが男は微動だにしない。
「女神を…探す…。邪魔を…するな…」
 エーレンがマティッカおばさんの声を聞いたのは、これが最後だった。まばたきをしただけの、ほんの一瞬…一瞬だ。その直後、赤い霧が男の周りを静かに舞った。何が起こったのか、全く理解出来なかったエーレンが目の錯覚かともう一度まばたきをする。目を開けるのと同時に、何か崩れ落ちる音がした。
「う…そ……」
 さっきまで威勢良く男と対峙していた、あのおばさんが…そこに倒れていた。
「嘘よ…嘘…嘘だわ…」
 カタカタと歯が鳴る音を聞く。エーレンの体は震えていた。みるみる血の海に沈むおばさんは、どう見ても生きているようには見えない。ピクリとも動かず横たわっている。
「キャァァァァァァアァァァーッ!!」
 耳を裂くような悲鳴…自分のものではない。そろそろ住民達が起きてくる時間帯だ。こんな惨たらしい場面を、誰が目にしてもおかしくはない。エーレンは混乱する頭の中で、けれどもどこか冷静にこの瞬間を見つめる自分を感じていた。
「…面倒なことになった。仕方がない…一気に片を付けてしまうか」
 男がそう呟き、懐から何かを取り出す。その手には、黒く濁った色の水のような物が入った丸い容器が握られていた。
「我が眷属達よ、来い─」
 言葉とともに地面へ叩き付けられた容器は、黒い霧となって吹き出し辺りを覆う。ようやくエーレンの目が慣れた時、そこには…先程より更に悍ましい光景が広がっていた。
「魔物ッ─!?」
 異形の姿をした、様々な怪物達が広場を埋め尽くしていた。年若いエーレンが見た事もない恐ろしい魔物だ。長い牙、ぬめる唾液、不気味な肌の色、地の底から響くような低い唸り声…種類も大きさもまばらだが、とにかく命の危機だけは感じ取れた。エーレンはハッと我に返ると、矢も盾もたまらず城門へと向かっていた。
(何で…?何でこんな事になっちゃったの?)
 涙が止まらなかった。それが恐怖からなのか…見知った人間が惨殺された現実からなのか…混乱した頭では判断などつかない。ただ今は、とにかくこの場から一刻も早く逃げたかった─


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