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「生まれて間もない赤ん坊は、その教会の前に捨てられていた。包まれていた上質な布から、貴族以上の高貴な生まれの子なのだと判断したが…村は貧しく、他人の赤ん坊を一人養う余裕など、その村に住む人間には無かったのだ…。だから、私が引き取った」
「彼女は…その事は?」
 少女が恐る恐る問うと、笑顔が返ってくる。悲しい真実に気を配ってくれた優しい少女に、とても好感を抱いたからだ。
「勿論、知っておるよ。子供の頃からずっと、真実を聞かせているからね。けれど…この娘は私を父と慕い実の娘の様に接し続けてくれた。とても…とても優しい娘だ。神殿巫女の職も、皆に請われて引き受けたぐらいだ」
「神殿巫女っ!?それって…確かかなりの地位にある役職よね?…って、ゴメンナサイ」
 驚きのあまり話の腰を折ってしまったことを謝罪すると、ダルムトは気にするなという様に首を横に振って続けた。
「だがね、私は知っていたのだよ…。この娘が何故、高貴な生まれにも関わらず捨てられたのか…その事実を」
「事実…?」
「雪の降り積もる寒い季節…藤で編まれた籠に何重にも質の良い布で包まれ捨てられていた。こんなに愛されて生まれた赤子が、何故無下に捨てられたのか…?フィルディリアへと戻り、冷えたその体を温めてやろうと、風呂へ入れてやった直後…その理由は判明したのだ」
 喉が渇くのか、しきりに冷めた紅茶を口へと運びながらダルムトの話はなおも続けられた。
「体温が上がったせいか、赤子の背中に浮かび上がったのだ…ある紋様が」
「紋様…?」
「そうだ…。伝承より伝え聞く、血と戦の女神ヴェンディーヌの忌まわしき紋様の痣が」
「ヴェン…ディーヌ…?」
 おうむ返しにその女神の名を口にする少女。ダルムトは問い掛けに肯定を示した。
「恐らくこの娘の生家の者は、その紋様を見て赤子を忌避したのだろう。だがいざ捨てに来た…恐らくは遣いの者だろうが、死にゆく赤子を哀れに思い、託す様に教会の前に捨て去った。私は、そう予想している」
「冗談じゃないわっ!クラディエンスに続いてヴェンディーヌの伝承まで間違って伝えられているなんて!大地の民はどうなってるのよ!?」
 ダルムトの話を、再び遮るようにそう叫んだ少女は、憤懣やるかたない様子で机を飛び下り腰に手を当て立ちはだかった。
「彼女は愛する者とその祖国を守るために戦に身を投じ、自ら汚名を浴びた自己犠牲の人よ!それを…まるで邪神みたいに呼ぶだなんてっ…許される事じゃない!!」
 悔しさからか…少女の目に涙が浮かぶ。
「ありがとう…」
「えっ…?」
 だがダルムトが漏らした礼の言葉に、それをこぼすまでには至らず引っ込めた。
「例え真実がどうであれ、今現在の伝承のみを知る人々は聞く耳を持たないだろう…。だが、そなたのその言葉は…私にとって、何よりもの救いだ。礼を言わせてほしい…」
「ダルムトさん…」
 深々と頭を下げられ、居心地が悪い。端から見れば、地位のある男性が子供に向かって頭を垂れるなど…非常におかしな構図だ。
「あのね、ダルムトさん」
「何だい?」
「この人…ミファールさんだっけ?この町から出ていかなきゃならないんでしょう?」
「そう…だな…」
 成す術無い状況を思い起こされ、彼の眉根に皺が寄る。
「私ね、これから…旅をするつもりでいたの。クラディエンスの真実を求めるために。事実は…もう分かっちゃったけど、それに至った本当のところは、まだ全然掴めてないわ。だから、彼の事をもっと深く知りたい。そのための旅をするの」
「危険だっ…そなたのような子供がおいそれと足を踏み入れて良い領域ではないぞっ!!」
 少女から告げられた驚愕の理由に、ダルムトは血の気の引いた顔で反論する。
「もちろん、承知の上よ。でも、多分大丈夫…これでも、魔法に関しては自信があるの」
 満面の笑みで返され、脱力した彼は背もたれにぐったりと身を預けた。
「そう…だな。そなたはきっと、私の様な人間には、及びもつかぬ程の何かがあるのだろう」
「それほどでもないけど……月の民の伝承は、ご存知かしら?」
「ああ…伝説に残るのみではあるがな。神話に伝わる物語の、その神が住まう地…鏡の月が、『月の民』と別に呼ばれる神々の故郷なのだと聞いた事がある。まさか…?」
「良かったわ。その話までもが捩じ曲げられていたら、それこそどうしようかと思った!」
 否定をしない少女に、ダルムトの握り締めた手がわなわなと震える。彼はいま、伝説を目の当たりにしているのだ。
「クラディエンスも、ヴェンディーヌも…元は同じ月の民よ。だから私は、私の知らない真実を求めてこの地へ降りてきたの。少しの危険は想定内だわ。それに、身を守る術もある」
 ニコニコととんでもないことを言ってのける少女は、続けて先程の話を口にした。
「その旅に、彼女に付いてきてもらいたいの。あ、当然彼女の意志が第一よ。目が覚めたら、ちゃんと聞くつもりだから。月の民と関わりがあるのなら、旅の途中で必ず彼女の生い立ちに触れる事もあると思う。たとえ…その人達から受け入れられなかったとしても、このままこの町に住み続けることが叶わないなら…その方が幾分は建設的で良いでしょう?」
 思いもよらぬ提案に、ダルムトは深く掛けていた腰を浮かせた。震える両手で少女の小さな手を包み込み、堰を切ったように止まらぬ涙を拭いもせず、何度も何度も頭を下げた。
「すまない…すまない…本当にありがとう…」
 父の深い愛を知り、少女の背後で一人静かに涙を流していた愛娘には気づかないままに…。


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