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 その姿は、さながら鬼神の舞いの如く…─


 血塗られた剣をまるで我が身のこどく軽々と振るい、自らへと向かって集まってくる魔物の数々を、殺戮を心の底から楽しむかの様な笑みさえ浮かべながら、ただひたすらに葬り続ける彼女の顔を見た瞬間…エーレンは全身の血液が凍りつく錯覚に陥った。
「ッ……─!!」
 声が、出ない。
 まるで喉が焼けただれ塞がってしまったかのように。
 今すぐに名前を呼びたかった。呼んで、その人が己の親友と全くの別人なのだと、ハッキリ確かめたかった。けれど…どうしても体が言うことを聞いてくれない。それほどに、恐ろしい光景が眼前に繰り広げられていたのだ。
「ミ…ファー…ル」
 辛うじて、絞り出したその名前。常に微笑みを絶やさず、優しく穏やかだった同室の彼女の名前。世話焼きなエーレンが放っておけない位に、時々とても手のかかるボケを見せる親友…大好きだった親友の、名前。
 だがそんな微かな呟きなど、遠く離れた相手の耳に届く訳も無く…。
 フィルディリアの町を襲った魔物の軍勢は、ミファールの手にかかって次々に倒れてゆく。中へ戻るのは危険だと門番の兵士に力いっぱい引き止められたエーレンが、今立っているのは西側の門の上の見張り塔だ。遠目なのだから、きっと目の錯覚だろう。そう何度も言い聞かせながら、必死に事実を否定しようとし続ける。
(そう…あんなに優しいミファールが、こんな恐ろしいこと…出来るはずも無いのよ)
 両の腕をさすり心を落ち着かせようとする。たとえ、先刻会ったばかりの─ショールを身に付けていないままの─彼女と、寸分違わぬ服を着ていようとも。
「化け物だ…」
 だのに…違う、と叫びたいのに、傍らに立つ兵士の口から漏れた蔑みを含んだ畏怖の言葉に対して、怒りの感情が湧いてこない自分がいるのも事実だった。


* * * *


「物音が…止んだ…?」
 神殿の周囲に張り巡らされた結界がそろそろ効力を失うだろう頃合い…それまで建物の隅で無我夢中でそれが破られないことを祈っていた警備の兵士が、ふと異変に気付いた。
 結界は破られはしなかった。それどころか、さっきまで聞こえていた魔物達の鳴き声が全然聞こえてこない。一体どういうことだろう…?不思議に思った彼は、無意識に階段を上がって二階の通路へと出た。入口の真上に備え付けてあったステンドグラスの窓の前に着くと、その中の色が付いてない部分からそっと外の様子を窺った。
「これはっ…!?」
 彼の目に飛び込んできたのは、おびただしく広がる…赤い海。そして、そこに転がる無数の魔物達の死体。
「なっ…一体何が起きたのだ…?こんな…何故こんな事が…」
 思わず窓から二、三歩後ずさって、手摺りに背中がぶつかると同時に床へ崩れ落ちる。
「おい!どうかしたのか?」
 同僚の異様な行動に気付いた別の兵士が声を掛けるが、彼からは何も返事がこない。不審に思い、同様に二階へ上がり再び呼び掛けると、返事の代わりにひどく震えた右の手がゆっくり外を指した。
「外…?外に何かあるというのか?」
 素直に従うと、先程同僚が見たのと同じ光景を目にして言葉を失う。
「なっ…何なんだこれは…!!」
 慌てて階段を駆け降り、皆のいる大聖堂へと向かう。
「神殿長よ!この入口の他に、どこか出入口は無いのか?」
 問われたダルムトはまだ憔悴しきったままの顔を上げ、それでも請われた通りに小部屋の先に備え付けられた裏口へと彼を案内する。
「この扉を開ければ…そなたは結界の加護から外れるぞ。承知の上か?」
 不可解そうに彼の行動を見ながら、念を押すようにしてダルムトは尋ねた。
「元より、命を懸けて町を守るのが我々警備兵の仕事だからな。いや、だが確信があるのだ。恐らくは…既に魔物達は全滅している」
「なんと…!」
 力強い兵士の言葉に、神殿の長は驚愕する。あれだけの軍勢が、ものの数十分も経たぬ内に全滅するなど…どの様な理屈にせよ有り得ないことだからだ。
「さっき上から外を見た。この神殿の周りは…魔物の死体で溢れている。鳴き声一つ聞こえてこない。よしんば全滅してないとしても、何が起こったのかを確かめる必要があるだろう」
 使命感に満ちた若い兵士は、そう言って裏口のノブに手を掛けた。その右手を、ダルムトが己のそれを重ねて止める。
「神殿長…?」
「私も参ろう。ミファールの安否が気掛かりでならぬのだ」
 切実そうな彼の瞳に、神殿長と神殿巫女との関係以上の物を感じ取った兵士は、黙って頷きそっと扉を開いた。途端、鼻腔に広がったむせ返る程の強烈な血の臭いに顔をしかめながらも…足を一歩踏み出す。
「何が…起きたというのか…」
 ダルムトも自分の目が信じられずに呟いた。累々たる魔物達の無惨な姿…それらには全て、剣による裂傷が見て取れた。
「まさか…まさかな…」
 神殿の周囲、見通しの良い大通りをぐるりと迂回しながら、神殿前にある噴水広場まで歩を進めたところで、ふと…そこに倒れ伏していた人影を見付け、ダルムトはサッと青ざめた。
「ミファールッ!!」
 彼が探し求めていた神殿巫女がそこにいた。身につけていた服は血まみれだったが、彼女の体に目立った傷はひとつも無い。微かだが息もしており、最悪の結果を免れた事にひとまずはホッと胸を撫で下ろした。兵士と二人がかりで彼女を神殿内へと運び込み、他の兵や神殿内の職員達に事実を告げ、安全確認を促した上で、慌ただしく町の住民たちを解放した。
(何故…あのような場所に倒れていたのか…)
 ダルムトの胸中に首をもたげた疑問は、彼は決して口には出さなかった。出してしまえば、きっとこの娘は何処か遠くへ行ってしまう……そんな予感がしていたから。


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