‡3‡

 アレクの歩みに揺られ、ミストは心地良さを感じていた。ここのところ毎日の悪夢による睡眠不足も手伝って、段々と眠気を覚えてくる。
「………ふふ、眠い?」
 トロンとした目元に気付いて、アレクは微笑んだ。
「すっ…すみませんっ!!アレク様の方がお疲れだというのに私…」
「ホラ、それ!」
「えっ…?」
 急に厳しい口調で指摘され、ミストは驚いて言葉を続けるのをやめる。
「………少し座ろうか?」
 後ろで仲間たちが別方面へ向かったのを確認して、アレクはそう切り出した。しばらく歩いて人の気配がしない池の辺を選び、そっとミストを下ろす。
「アレク様…あの」
「君が後々どんなに悩むか承知の上で、君をこの街に残したんだ…」
 アレクはミストには向かずに、じっと池を見つめながら語り始めた。
「まずは、そのことを謝らせてほしい。…すまなかった、ミスト」
「そっ…そんな事なっ…」
 つい彼の謝罪を否定しようとしたが、今までの様々な思いが頭の中を廻って、その先の言葉を続けられなかった。
「ミスト…俺が君をこの町に残した理由はただひとつ。君のその、俺への態度にあるんだ…」
「えっ…!?」
 今度はまともに目を見つめられながら言われ、ミストはその胸にチリッと痛みを覚えた。
「私の……?」
「俺は…怖かったんだ。君は俺に対して遠慮しすぎで、俺を庇って君が殺されるかもしれない…と思ったから。だから、連れて行けなかった。君が何よりも大切だったから…」
 『そんな事無い』とは言えなかった。恐らく自分なら迷わずそうするだろう…彼の危惧は正しい。
「だから、言って?俺のいない間、君が思ってた事…辛かった事を全部」
 親友ローズの言動から、痛いほど理解していた。残されたミストが、どれだけ傷付いていたかを。
「そんな事っ…」
「そう言うと思ってたよ…。でも今日は話してほしいんだ。…君がまだ俺の事を嫌いになっていないなら」
 彼の澄んだ瞳が、自分の心の奥に入り込んでくる様な気がして、ミストはそれ以上抵抗が出来なかった。
「……ずるいです、そんな言い方」
「うん、俺は卑怯なんだ。分かってて、そう言ってる」
 ミストの綺麗な長い髪へそっと口づけが落とされる。彼の行為に顔が熱くなるのを感じた。
「…夢、見てるんです。ずっと…貴方がいなくなってから。同じ夢を何度も」
 深呼吸をして、ゆっくり話し始める。彼の瞳を見ながら言う事は出来なかったけれど…
「夢?」
「はい…。貴方が私と別れたあの時の事を、繰り返し…毎晩のように」
 ──大切だから──その彼の言葉すら信じられなかった自分を恥じるように、伏せ目がちになりながら。
「本当にアレク様が言ったわけではないはずなのに、貴方に置いていかれた事が苦しくて…とても苦しくて…。言われた言葉の裏ばかりを考えてしまって…」
 流すまいと思っていた涙がこぼれた。本当に、心の底から痛かったのだ。彼の言葉だからこそ、辛かったのだ。
「私…もう嫌なんです。例えアレク様に疎まれても、二度とこんな思いをしたくありません……ッ!!」
 声を上げて泣いた。そんな事、今まで一度もした事は無いのに…。
「ミスト……」
 アレクはそんなミストを抱き寄せて、耳元で誓った。
「俺もこの旅で解ったんだ…君がいないと、駄目なんだって。もう…離れない。離したくないよ…」
 切実な心が伝わってくる彼の言葉に、ミストも胸が熱くなるのを感じていた。
「愛してる…大切なんだ」
 そして、アレクはそっとミストの唇に自身のそれを押し付けた…。
「足…痛むだろ?」
 小石で出来た切り傷や擦り傷の目立つミストの足を見て、アレクは痛々しそうに顔をしかめた。
「あっ……少しだけ。アレク様が帰ってきたかもって思ったら、心が急いて靴を履くのも忘れてしまって…」
 また彼に『遠慮してる』と言われると思い、痛くないとは言わなかった。
「爪……割れてるじゃないか」
「こんなのたいした事ないです。だって…アレク様はもっとずっとつらい思いをしてきたんですから」
「そんな事ない…君の痛みに比べたら」
 気がつくと、足に触れていた彼の手が温かい…。
「ホイミ……?」
「このくらいの魔力なら、まだまだ充分残ってるよ。傷になったら大変だろ?」
 優しい彼…別れた時と全く変わらない彼の姿に、ミストは胸が熱くなる。
「あ……ありがとうございます」
 アレクが疲れているからなのか、または呪文の効力か、妙に彼の手が熱く感じられて、ミストは顔を赤らめた。
 そんな彼女の様子に感づいて、アレクはミストが思ってもいない行動に出る。
「キャアッ!!ア……アレク様っ!?」
 熱のこもった唇が、這うようにミストの足にキスを浴びせる。
「やっ、ダメですそんな…んっ!!」
「いや?」
「嫌というわけではないんですが…でもダメです…」
「なんで?」
 続けざまの意地悪な質問に、ミストは照れの境地に立たされてそれ以上反論ができなかった。
「だって……アレク様、お疲れだし…」
「俺は平気だよ。…むしろ、もっと君とこうしていたい」
 最後の言葉の砦を崩されて、成す術が無い。
「だって……三ヶ月もおあずけだったんだよ?」
 ニヤッ、と人の悪い笑みを浮かべて、勇者がこう言う。
「…ミストを、くれる?」
「っ………」
 彼に言われれば逆らえないって、彼も分かってる。アレク様…やっぱりズルイ人。
「ミスト…愛してる」
 ───それでも、嫌いにはなれない。嫌いたくない。だって彼は私の全てなのだから…。私から彼を奪ったら、きっと私…生きてはいけない。未来に向かって歩いていけない。
「………私もです」
 彼だから嬉しい。彼の言葉だから涙が出る。きっと…他の誰にだって代わりはできないのだ。
「ふ……ん…」
 綺麗な月明かりの夜…池に映り込んだその光は、つと涙が出そうになるくらい美しかった…。
 アレクからとろけそうなキスを貰い、ミストは全身の力が徐々に抜けていくのを感じていた。
 首筋に、アレクの熱のこもった吐息を感じて、ミストは微かに息を漏らす。
「は………んッ」
 彼の手が肌に触れる度、心臓が喉まで出てくるような感覚を覚える。優しく、けれども力強く彼は自分に触れてゆく。汗ばんだ手がミストの肌を、そして心を刺激した。
「んふっ………ふぁ!!」
 彼から貰う深いキス。
 今だに慣れなくて、息が苦しくなってしまう。
「ふふ……」
 そんな初々しさを失わないミストが、アレクは堪らなく愛しかった。苦しそうに、だけど艶っぽく荒く息をするミストの首筋を強く吸い上げる。
「────ッ!!」
 一瞬、噛まれたのかと思う様な微かな痛み。触れてみるが血は出ていない…。
「俺のミストなんだ…って印、だよ」
 笑顔で彼は言う。
「そっ……こんな見えるところに!?」
 触れた跡は彼の唇の熱を燈していた。
「ゴメン、嫌だった?」
「そんなことは……」
 いつだって強気な彼。そんな彼を嫌う気持ちなんて、ある筈ないのだ。
「嫌なら嫌って言ってよ。でなきゃ俺、また君を悲しませるかもしれない…」
 一瞬、微妙に瞳を曇らせたアレクは、そう言うとそのまま唇をミストの胸元へと落とした。
「キャッ!!」
「正直に言ってくれないともっと増えるかもね。見せられない痕……」
 さっきのセリフも表情も、全部が彼のいじわるの一部だったと悟ったが、既に遅かった。
「やっ…あぁ!!ダメですアレク様ぁ…」
 自分でも抑え切れない、衝動。そこに好きな人がいてくれるだけで、変わってゆく自分。他人から見れば、恥ずかしい事なのかもしれない。…けれどアレクにとっては、すごく純粋な気持ちだった。
「いっ……嫌です!付けるなら見えない所に…っ!!」
 やっとミストの本音らしい本音を聞くことが出来て、アレクは口許を緩めた。ミストから見たらそれは人の悪い笑みにしか見えなかったのだけれど。
「ははっ…分かったよ」
 今まで自分に遠慮して、言いたい事があっても決して何も言わなかったミストの口から『してほしい』を聞けたこと。それはアレクにとってはすごく重要で、とても価値のあることだった。

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