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 私は走り続けていた。

 辺りは霧深く、とても見通しが悪い。白く濁る視界の中で、けれども目の前にその人がいたから。必死に息を切らして叫びながら、ひたすら追い掛けていた。


「待って…──待って下さい!!」
 涙目になりながら懇願する。けれど、いくら叫んでも視界の先の彼にはまるで届いていないみたいで…。

『君は…アリアハンに残るんだ』
──お前なんか役に立たないからな──

 いつになく、真剣な顔。だけど…何故だろう?彼の口にした言葉に重なるかのように、もう一人の彼が…微笑みながら呟く言葉が聞こえた。

「嫌っ…嫌ですっ!!どうかお願いです!私を…私を置いていかないで下さい!!」
 泣きそうになりながら、それでも必死に追い付こうとする。けれど足元は氷の上を歩いているかの様に、滑って上手く走れない。彼の姿が段々遠ざかってゆくのに、一向に届かない。

『これは…君のためを思っての判断だ。どうか…分かってくれ』
──途中で死なれたりしたら凄く後味が悪いじゃないか──

「それでも…それでも私は…!!」
 泣きそうな顔の彼。口元を歪めて酷く忌々しそうに吐き捨てる彼。そのどちらも…見慣れた彼の顔。私が愛した彼の、そのままの顔。

『じゃあ、もう行くよ』
──もうお前の顔を見なくて済むと思うと清々するよ──

「嫌です…!!置いていかないでっ………ッ嫌ぁぁぁあっ!!」

 ──────……





「…スト──ミストッ!!」
「はっ…!!」
 自分の名前を呼ぶ声に引かれ、ミストは目を覚ました。見慣れた天井が、段々と視界に広がってくる。ようやく自分が夢を見ていた事に気が付いた。
「………夢…?」
「そう、夢なのよミスト。そしてこっちが現実。分かるわよね?」
 ぼんやりする頭でゆっくり起き上がると、自分の顔を覗き込む様に、心配そうな顔で話し掛けてくれた彼女に気付く。
「ローズ……」
 世話焼きな親友の存在に、張り詰めていた心臓は、徐々にその穏やかさを取り戻していった。
「また…あの夢を?」
 自分の事の様に苦しそうな顔をして、ローズは問う。彼女が毎晩のように見るという、その夢の内容を事細かに聞いていたローズ自身も、また胸を痛めていたからだ。
「うん……」
 返事とともに目を閉じると、さっきの光景がフラッシュバックする。思わず、目眩を覚えた。
「忘れられないのよ…忘れることなんて出来ない…。起きてる間ですら、その事ばかり考えてしまうもの……」
 ポロポロと涙が零れた。大好きだった彼───そんな彼の口から告げられた、あまりに残酷過ぎる言葉。そして…その彼の言葉の裏に見え隠れする、心の内の本音。

 弱いから…
 信頼出来ないから…
 何の役にも立たないから…

 実際に聞かされた訳ではない、勝手に自分が創り出した言葉の方が、鋭い刃となって容赦無くミストの心を傷つけた。
「あンの甲斐性無しの大バカッ!!帰ってきたらメラミの一つでもお見舞いさせてやりたいわっ!!」
 魔法使いのローズは、手にしたロッドを前に突き出し怒り混じりにこう憤る。
「やめてローズ…あの人は悪くないの。だから彼を…アレク様を傷付けないで」
 けれど悲しげな瞳で懇願する親友に、苦い顔をしつつも仕方なく押し黙った。
「ミストは…何も悪くないわよ」
「ありがとう、ローズ…」
 弱々しく笑顔で囁くミストに、年上のローズは心の中だけでも、件の彼の事を思い切りぶん殴ってやるわという衝動に駆られていた。




 アリアハン…ルイーダの酒場。

 この店に登録されている冒険者の数は非常に多い。みな、様々な目的を持ってここに集う者ばかりだ。そして、そんな彼らは少なからず密やかに期待を抱いていた。

 ───勇者の旅に同行したい、と…。

 勇者アレクは、アリアハンの…いや、世界中の希望だ。彼の旅の目的は、ただひとつ…魔王バラモスを打ち倒すこと。そんな名誉ある旅に同行できるなんて…まるで夢の様な話。そんな話に、誰もが心の底で憧れを抱いた。ミストも最初はそう思っていた。

 けれど…そんな彼女に、アレクは手を差し延べた。仲間に入れてくれた。
 がんばりやな所だけが、唯一の取り柄…呪文も苦手な自分。神様を信じていたけど、神様に頼ることしか出来なかった僧侶のワタシ。そんな自分を必要としてくれた彼に報いるため、それにアレクのお荷物だけにはなりたくなくて、必死に頑張った。

 いつしか悟りを開くにまで至り賢者として新たな能力に目覚めた後も、彼との長い旅は続いた。


──そして、彼と恋仲になった。

 ほんの少し、勇気を出してした告白。そんな自分を、アレクもまた受け入れて愛してくれた。それだけで嬉しかった。とても幸せだった。
 だが、やっと敵の本拠地への道を突き止めて、いざ乗り込もうという決戦前夜…アレクはミストをアリアハンへと連れ出して言ったのだ。

『君は連れていく事が出来ない』

 彼が発した、第一声。思わず、自分の耳を疑った。
『何故…!?何故ですかっ!?私では力不足なのですか!?』
 激しく彼に詰め寄った。けれども彼は重く口を閉ざして、決して全てを告げはしなかった。
『君が大切だから…連れて行くわけにはいかないんだ…生きて、生きてほしい』
 優しい言葉。でもこれ以上無いくらい残酷な言葉。
 ───何故…?今まで幾つもの危機を一緒に乗り越えてきたはずなのに、何故今更私だけ…?

 そう疑問を感じた時、ミストはアレクのその言葉の裏に気付いてしまった。
『勇者様…アレク様……どうか、どうかご無事で…』
 立っているだけでやっとのミストは、とめどない涙を流しながら、こう応えるのが精一杯だった。
『ゴメン……』
 振り返りざま、呟かれた謝罪の言葉。それがミストが聞いた、アレクの最後の言葉だった。

 それ以来だ。ミストが毎晩のように、繰り返しこの光景だけを夢に見るようになったのは。




「ルイーダさん、おはようございます」
 アレクの仲間達と別れてより、ミストはルイーダの店で働かせて貰っていた。登録するだけで冒険に出るつもりが無い事が申し訳無いのだと、ルイーダが遠慮しても頑固にお願いしたのだ。
「おはよ、ミストちゃん」
 二人の恋仲を知っているルイーダは、ミストに危険が及ばないよう夜の店には決して出さなかった。彼女の仕事は主に掃除等の雑用だ。
「いいお天気ねぇ…今朝は良い夢見れたかしら?」
 キセルをふかしながら、なんの気無しに尋ねる。
「………ハイ」
 事情を知らぬルイーダに心配掛けまいと、ミストは努めて笑顔で答えた。だが様々な人間模様を見てきたルイーダが、その表情の微妙な変化に気付かない筈が無い。けれど彼女を傷付けまいと、それ以上追究はしなかった。
「まだ…連絡はありませんか?」
 朝の挨拶と共に尋ねるいつもの決まり文句だ。彼女がルイーダの酒場を選んだ理由は、何より彼からの連絡がいち早く届く場所だろうから。
「残念だけどまだだよ。それにアイツらが帰ってきたら、真っ先にあんたの所に来るだろうさ」

──それは…無いんです、きっと…──

 唇を噛み締めて思う。
「そう……ですよね。いえ、ありがとうございます」
 しかし心の内に秘めた暗闇には触れずに、ミストは心優しい酒場の女店主へと礼を告げた。

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