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「ヘンリー様…どこか具合でもお悪いのですか?」
 マリアは心配そうに、ヘンリーの顔を覗き込んだ。ここのところ慣れない政を必死にこなしていた彼は、その激務ぶりに体調を崩しがちになっていたからだ。
「いや…な、何でもないんだ!大丈夫」
 尋ねられたヘンリーはうつむいていた顔を上げ、慌てて腰掛けていた窓枠から飛び降りる。
「それなら良いのですが…どうぞあまりご無理なさらないで下さいね?」
 悲しげな顔を覗かせるマリアに、至極
バツの悪そうな顔をして、「ゴメン!」と一言、ヘンリーはその場を走り去ってしまった。
「ヘンリー様…」
 その背中を黙って見つめる修道女の瞳は、とても不安そうに揺らいでいた。


 ここはラインハット国の王城。
 数ある大陸の中でも北方に位置する国で、つい先日まで国中のあちこちで悪い噂の絶えない問題を抱えていたのだが、それももう無事収まり過去の話となっていた。
 その問題を解決したのは他ならぬ王子のヘンリー、その人だ。十年以上も行方知れずで、恐らく既に死んだのだろうと思われていた彼の生還は、城の関係者は元より国の民、誰しもの希望となった。
 だが彼は自ら王位を継ぐことはなく、あくまで王の補佐役に徹するのだと表明した。その英断が逆に好感を呼び、今やラインハット王家の国民の支持は急上昇している。

 もちろん、ヘンリー自身にはその自覚など微塵も無かった。何故ならば、彼は自分の目の前にある問題を片付けるのに手一杯だったのだから…。



「マリアさんが暫く城に残って下さったお蔭で、兄上のやる気も段違いですよ。本当に助かっています」
 ヘンリーに逃げられた直後、マリアは彼の弟であるデール王に誘われて午後のお茶会の席を共にしていた。
 そこで突然、現・ラインハット国王に満面の笑顔で礼を述べられて、マリアは恐縮しながら返事をする。
「とんでもないです。私なんてこちらにお世話になるばっかりで…むしろ、私の方こそ御礼を申し上げたい気持ちです」
 顔が赤いのは照れからではなく恐らく焦りから。彼女もまだこの状況に、平穏な心ではなかったのだ。
 一緒に苦楽を共にしてきた仲間であるヘンリーが実は一国の王子様で…しかもその弟が国王様で、そんな人と同じ席でお茶を飲んでいるなんて…よもや自分の人生に起こり得ると思ってもみなかったから。
「ヘンリー様には色々とご迷惑をお掛けしてしまっているみたいで…」
 先刻逃げられた記憶が頭を過ぎる。
「兄さんが迷惑に思っているっ!?そんなはずは無いですよ」
 妙にキッパリそう言い切るデールに、マリアは不思議そうに問い掛けた。
「何故…そうお思いになるのですか?」
「あっ……いや、その…(ここで僕から話してしまうと後が恐いからな…)直接兄上から話を聞くまで、僕の口から言う訳にはいきませんので」
 やたらとひた隠しにされて首を傾げずにはいられなかったが、仮にも一国一城の王相手。無理に聞き出すことも出来ずマリアはこの話を続けるのをやめた。
「ごめんなさい…」
 全てを知っているらしい彼は、申し訳なさそうに頭を下げる。
「そんなっ…どうか顔をお上げ下さい!デール様は何も悪くありません」
 マリアは真っ青な顔でその謝罪を否定した。こんな様子で、どうもきまり悪く午後の優雅なお茶会の時間は幕を閉じたのだった。
(ヘンリー兄さんに対して怒ったところで、どうしたってやっぱり子分は親分に逆らえないんだよな〜…)
 ポリポリと頭を掻きながら、デールはいつまで経っても煮え切らぬ兄の態度にケチをつけていた。



 さてその頃、話に上がったヘンリー様はどうしていたかというと…。
「っだぁ──もうっ!!なんで俺は素直に話せないんだよっ!!」
 弟命名『煮え切らぬ』人らしく、自室の角で頭を抱えていた。
「…ただ少し素直になって言っちまえば良いだけなのにな。なんか顔見ると緊張するっつーか何というか…。すすすすす……『好き』ってか!?だぁーっ!!絶対に無理だっつーの!!」
 訂正しよう。『煮え切らないせいで、独り言の多い』ヘンリー様だ。
「あいつに、引け目を感じているのかよ…俺は」
 急にしんみりとしたかと思えば、壁をひと殴りベッドへ飛び込んだ。

 ──あいつ…一体いま頃どこで何してんだろうな…?

 十年もの月日を、ともに過ごしてきた友人。幼なじみ…いや、親友と呼んでも過言ではないと自分では思っている。
 その彼は、今もヘンリーの中で非常に大きなライバルでもあったのだ。
(マリアは……まだあいつの事を…)
 こう考えている事こそ、彼が煮え切れない最大の要因なのだった。


 ───コンコン……

 不意に扉のノック音が響き、ヘンリーは慌てて跳び起きた。彼の中のプライドが、弱気な部分だけは決して他人に見せたがらなかったからだ。
「誰だい?」
 妙にすました声で返事をする。
「…ヘンリー様、私です。マリアです」
「えっ!?ぅあ!ちょっと待ってくれ!!」
 今まさに考えていたその人が現れて、少し戸惑いながらも紳士らしい振る舞いで部屋に招き入れた。
「先程は不躾な真似をしてしまい申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げられ、どうして良いか分からずオロオロしてしまう。
「マ…マリアが謝る必要は無いんだよ」

──自分の中の問題なんだから…──

 そう己に言い聞かせて、いささか心に涙を流したが、顔には出さずにそのままマリアをソファーへと案内する。そして『彼なりに』紳士的な振る舞いでお茶を煎れて出した。
「あっ…ありがとうございます…」
 マリアもマリアで、あまりにすんなりと部屋に招き入れられて、扉の外で話を聞き出す心積もりでいただけに拍子抜けをしてしまって、なかなか話を切り出すタイミングを掴めずにいた。
 そのまま暫く、二人を沈黙が包む。
(マリアが来たってことは、きっとこの頃の態度を指摘しに来たんだろうな)
(ヘンリー様…私を見るなり押し黙ってしまわれたわ。もしかして…話をしたくない程にご迷惑に思ってるのでは…!?)
 二人の悩みは二人の内に秘めるだけにとどまって、話が平行線を辿りなかなか進まない。だがそんな様子を扉の向こうで、爪を噛み噛み気を揉んで窺っている人物がいた。
(…んもぅっ!!ヘンリー殿はご自分から告白しない限り他人が言えば怒るというのに、何故こんなにハッキリしない態度ばかりをとるのであろうかっ!!)
 ヘンリーの継母、現国王デールの母上である。
(私の愚かな行為でヘンリー殿には並々ならぬ苦労を掛けたのだから…せめて、ヘンリー殿自身幸せになってもらわねばと思い根回ししているというのに!!)
 曰くマリアにデールを差し向けたり、ヘンリーの部屋の隣室をマリアの部屋に宛えたり、大臣をはじめ城の者みんなに通達をしてみたり…。
 そんな彼女の、余計な根回し…もとい心遣いも、当の二人には届いているようで届いていない。

 だが、打開の状況はすぐに訪れた。


 ───うわーん……

 どこからか聞こえてきた小さな泣き声に、沈黙を破ってマリアは呟いた。
「子供が…どこかで泣いていますわね」
 ごく自然に話を切り出してくれた彼女に驚き半分感謝半分でヘンリーは問う。
「中庭辺りかな…気になるんだろう?」
 優しいマリアのことだ。泣いてる子供を無視するなんて出来ないだろう。
「ごめんなさい、ヘンリー様…まだ何もお話出来ておりませんのに」
「気にするなって!……というか、俺も一緒に行っても良いかな?」
 マリアと普通に会話が出来ただけで、ヘンリーには嬉しかった。だから無理に聞き出すよりも、彼女から話してくれるのを待てたのだ。
「えぇ、是非お願いします!」
 マリアも同じ気持ちだ。今までの悩みをどこかに捨てたみたいに、飛び切りの笑顔で返事をした。

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