‡3‡

「はぁ…」
「フフッ、お疲れ様です」
 イクスの背中を見届け、大きな溜息とともに深く椅子に座り直した旦那様に、隣室に控えていたフローラは優しく声を掛けた。
「まさか……あのビアンカを…とはね。思いもしなかったよ」
「あら?無理もありませんわ。だって…ビアンカさん、昔から変わらず、とてもお綺麗ですもの」
 クスッとついこぼれた笑みに任せて、『あの子ったら…意外と惚れっぽかったのね』と付け足して。
「なんか…緊張したよ」
「そうよね。まさかあの子から恋の相談を受けるだなんて…いつの間にそんな年になっていたのかしらね」
 息子らのささやかな成長の積み重ねを見ることが出来なかった、ほんの少しの寂しさを乗せて呟く。
「……どう思う?」
「あの子が本気ならば、私は心の底から応援してあげたいと…そう思いますわ」
「ん…、僕も同意見だ」
 顔を見合わせて、笑う。大好きな息子の、大切な気持ちを守ってあげたい…。そんな親心を抱くようになった自分に、不思議な気持ちになりながら。
「複雑かしら、お父様?」
「どういう意味かな?」
 含みのある笑みを浮かべるフローラに少し苦笑いしながら問い返す。
「昔から仲良しさんだった、幼なじみのお姉さんを取られたような…複雑な気分なのでしょう?」
 上目遣いにそう尋ねられ、思わず脇に置いたカップをなぎ落としそうになってしまう。
「そっ…そんな事ないよっ!!うん、絶対に違う!!」
「ふふふっ…あら、そうかしら?」
「フローラ!!」
 奥様のいたずら心溢れた瞳には、どう頑張っても勝てない気がして、ウィルは堪らず白旗を揚げた。
「暫くの間は…可愛い息子の小さな恋を静かに見守ってあげたいですわね」
「うん、そうだね…」
 いまだ複雑そうな顔のウィルに微笑みかけながら、フローラはそっとベッドに潜り込む。
(…いくつになっても、ウィルさんたら子供みたいなんですから…)
 込み上げてくる微かな笑いに、心の中が暖かくなるのを感じながら…。



 次の日…僕は昨日お父さんから貰った言葉をお守りに、ビアンカさんの村へと向かった。勿論、妹のニーナと一緒に。
「あれ…なんか村の入口が騒がしいね。何だろう?」
「人がいっぱいいるわ…」
 ザワザワとどよめく人垣の向こうに、どこかで見た顔が見えた。
「あっ…あいつだ!!」
 そう、あの日ビアンカさんと話してた男の人。そいつが、村の人たちと向かい合ってる。
「お兄ちゃん…怖い…」
「うん…僕もなんか胸騒ぎがするんだ。行こうっ!!」
「えっ……!?」
 妹の返事を待たずに僕は駆け出した。あいつがいるって事は、ビアンカさんと何かあったんだ。絶対!


「レイザス殿、これは…一体どういう事ですかな?」
 人と人の間を縫って村の中に潜り込むと、ダンカンおじさんが珍しく恐い顔をしてあの男の人に尋ねていた。
「先程伝えたであろう?我々はこの村を取り壊しに来たのだ、と」
「一体何の権限でしょう?この村は私達の村ですよ」
 この間見た時より、更に嫌な顔をして見える彼は、口を開くとこんな酷い言葉を吐き捨てた。
「それも先刻伝えた筈だ。私はこの地が気に入ったのでね。ここに我がレイザス家の別荘を建てるのだ。金ならばいくらでも出そう」
「そんな理由で納得出来るはずが無いでしょう!?」
 ビアンカさんの声だ…。よく見れば、ダンカンおじさんの隣に彼女はいた。
「ふぅ…分からないね。どうしてこんな貧相な村にこだわるのか。言っておくが…これは君のせいなのだよ」
「私…の……?」
 彼の言葉に、ビアンカさんの目が戸惑いの色を見せる。
「そうだ。君がいつまでも、私の誘いを受けずこんな村に執着していたからね…ならば、村ごと無くせば良いと気付いたのだ」
 あんまりだ…その言葉を聞いた瞬間、僕は無意識に人の壁と壁をすり抜けて、前に飛び出していた。
「お兄ちゃんっ!?待っ…」
 ニーナが慌てて止めようとしたけど、そんなの構ってらいれないよ。何だか…お腹の中がおかしくなりそうなくらいにムカついたんだ。
「そんな勝手な理屈なんてあるかっ!!」
「イクス君っ……!?」
 唐突に現れた僕を見て、ビアンカさんは目を真ん丸にして驚いた。
「おやおや…誰かと思えばこの間の少年じゃないか。よそ者が何の用だい?」
「うるさいっ!!」
 僕は生まれて初めて、本気で人を嫌いだと思った。ビアンカさんにどうとか、そんなの関係無い。この人を、僕はどうしても好きになれないなんだ。
「こんな子供に構っている暇など無い。さっさと事を済ましてしまおう。やってくれ」
『ハイッ!!』
 威勢よく返ってきた掛け声を聞いて、満足そうな顔をした彼の前に、ビアンカさんが立ち塞がった。
「やっ…やめてっ!!」
「邪魔をしないでくれないかな?すぐに終わるのでね」
「キャッ!!」
 無慈悲にも後ろの男達に命令する様子と、ビアンカさんを突き飛ばして笑う彼の顔を見て、僕は頭の中で何かが切れる音を聞いた気がした。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
 体中から力がほとばしるのを感じる…僕の魔力の全てが弾けているみたいだ。
 周りの空気がそれに合わせてガラリと変わった…。空は瞬く間にその重々しさを増して、ピリピリと聞こえる程の音をたて始める。
「あれはっ……ギガデイン!?こんな所で使ったらみんなにケガさせちゃうわ…!!誰かっ…誰かお兄ちゃんをっ」
 ニーナが悲痛な声で叫んだ。だけど…どうすればいいのか分からない。怒りに任せて僕は呪文を唱えようとしている…でも…自分でも止められないんだ!!
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「イクス君っ……ダメっ!!駄目よっ!!」
 もう止まらない…そう覚悟をした次の瞬間、背中に暖かさを感じて僕はハッと我に返った。
「…落ち着いて。大丈夫だから…ね?」
 細い腕が、ギュッと力強く僕を包んでいる。耳のすぐ近くに、震える小さな声が聞こえる…聞き慣れた、ビアンカさんの声だ。
「イクス君がそんな事する必要ないのよ…貴方が誰かを傷付けるところなんて、私…見たくない…」
 震えの中に、見え隠れする涙声。痛いくらい抱きしめる腕とは反対に、とても儚く聞こえた。
「ビ…アン…カさん?」
「良かった…気がついてくれたのね?」
 あったかい涙が、一粒…僕のほっぺたに落ちた。
「ゴメンナサイ……僕…僕何をして…」
「謝る必要なんて全然ないわよ。本当に謝らなきゃいけないのは…」
 ふと、ビアンカさんの視線に合わせて顔を上げると、さっきの光景にすっかり怯えきった顔のレイザスさんがいた。
「な…な……ななななっ…。一体何者だその子供は!!あんな恐ろしい呪文なんて知らないぞっ!!ばばっ……化け物か!?」

パァンッ!!

 乾いた音と共に、その男は地面に崩れ落ちた。
「───謝りなさいっ!!」
 ほんの一瞬の出来事だった。僕の首に回してた腕をスルリと解いて立ち上がり…ビアンカさんが思い切り良くレイザスさんの頬を叩いたのは。
「いま吐いた暴言、すぐに取り消して、イクス君に謝りなさいよっ!!」
 さっき彼に酷いことを言われた時よりも、更に悲しそうな顔をしている…。
「何をっ…」
「…言っていいことと悪いことの区別もつかないだなんて、あなたは今まで一体何をしてきたのっ!?人を傷付けて平気な顔してられるなんて信じられないっ!!」

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