‡1‡

 時々、見る夢がある。

 幸せな今、幸せな時間。それが…足元から崩れてゆく夢。必死に手を延ばそうとしても、どんどん君が離れてゆく夢。そんな夢を見た朝は、決まって目覚めは最悪だった。

───怖い……コワイ…

 自分でもどうしようも無い現実の闇が渦巻いていて、この場から消えてしまいたくなる。
「ハァ…ハァ……」
 今日も…そんな夢を見た。汗をかいて冷たくなった自分の体を強く掴む。
「フローラ……ッ!!」
 涙が、止まらなかった。
 彼女を想えば想う程に、心はどんどん締め付けられていった。
 フローラを愛しているのに、その事に何故か平穏でいられないのが悔しい。

 この苦しみは一体いつ終わるのだろう…考えても答えが出る筈も無かった──




「具合が悪いって聞いたけれど…どう?大丈夫?アンディ」
 不安げな表情で僕の部屋に入ってきたフローラは、その片腕に抱える程の花束を持っていた。
「ああ…フローラ、心配かけてゴメン。もうだいぶ良いんだ。…その花は?」
「ふふっ…隣のおばさんから少し頂いてきたのよ。アンディのお見舞いに」
 すぅっと息を吸い込むと甘い花の香りがして心が和む。
「わぁ…ありがとう。とても綺麗だね」
「ええ。花を見れば、少し心も休まると思って」
「……うん、そうだね」
 不意に表情を曇らせた僕に気がついたのか、彼女は花束を僕に預け自分は花瓶を取りに部屋を出た。

「また…やっちゃったか」
 溜息ひとつ、反省をする。このところ素直に笑顔じゃいられない自分がいた。

 そう…───思い返せば、あの結婚式からだ。

 フローラに心配かけまいと必死に笑顔を繕うけれど、ふとした瞬間に心の内が漏れてしまう。よくよく気をつけないといけないな…。

 やがてフローラが静かに花瓶を抱えて戻ってきた。僕は立ち上がり、手にしていた花束をそっとその中に活ける。
「この部屋は日当たり良いから、きっと元気に咲くと思うわ」
 微笑むフローラが、陽の光と重なって見えて眩しい。
「………うん、そうだね」
 だから僕は、そう返事するだけでもう精一杯だった。
「それじゃあ、私は家に帰るわ。今日はゆっくり休んでね…アンディ」
「あっ……フローラッ!!」
 振り返った彼女を、思わず呼び止めてしまった。けれど彼女の笑顔を見ると、何も言葉が出てこなくて…。
「…?…どうかしたの?」
 不思議そうな顔をしてこちらを向いたフローラに、僕はただ一つの言葉を絞り出すだけしか出来なかった。
「……いや、ありがとう」
「どういたしまして」
 そっと扉を閉めて去りゆく彼女の後ろ姿に、僕は言葉に出来ないほどの焦りと不安だけを感じていた…。


 僕はだんだん眠りにつく事自体が恐くなっていた。最近見る頻度が高くなったあの夢を見る事が、どうしても耐えられなかったからだ。
「ちょっと……散歩に出てくるよ」
 心も体もフラフラな己を、両親にすら悟られたくなくて、僕は家に居着かなくなっていった。毎日毎日陽が昇ると散歩に出る。何かする気力も全く湧かない。
「フゥ……」
 散歩だなんて、口実だ。歩けばすぐに疲れてしまい、座り込みたくなる。
「僕は……一体どうなってしまうんだ」
 木漏れ日に向かって問う。返るのは、風に揺らされた木擦れの音だけだ。
「………」
 柔らかな陽射しと爽やかな風に包まれながら、僕はそっと静かに目を伏せた。数日振りに、眠気を覚える。明るい陽の光の中では、眠ることへの恐怖心は少しだけ薄れていた。



「………ぅん…?」
 ふと何かが触れたような気がして目を覚ますと、隣に黙って座っていた誰かに気が付いた。
「あら……目が覚めた?」
「フローラ…?」
 彼女は読んでいた本を閉じてこちらを向く。
「ふふふっ…あんまり気持ち良さそうに眠っていたものだから、起こすの悪い気がして一緒にひなたぼっこしちゃった」
「僕………寝てた?」
 まだ虚ろな頭でフローラに尋ねると、彼女はクスッと笑いつつ答えてくれた。
「ええ……一時間くらいかしら。今日はいい天気だものね」
 短い間とはいえ、あの夢を見なかったのか…その事実に少し驚いた。
「君が……いてくれたからなのかな?」
「え?」
 なんの気無しに呟いた言葉に、彼女が気付いてくれたのが嬉しい。
「いや、何でもないよ」
「あら隠し事?アンディにしては珍しいわね」
 上目づかいにその澄んだ瞳で探られると、僕はどうしても彼女に勝てないや。
「いっ…いや、その…」
「………クスッ。フフフ。やだ、何だかすごく困らせちゃったかしら?」
「じょ…冗談だったの!?」
「そんな事はないのよ?でも慌てているアンディの顔があまりにおかしくて…」
 そんな情けない顔をしていたかなぁ?ちょっと気にして頬を揉んだりすると、更にフローラの鈴の音みたいな笑い声が響いた。
「やだ、もう…アンディったら!そんなに笑わせないで」
「ふふっ、そんなに変な顔してた?僕」
 彼女の声がもっと聞いてみたくって、僕は精一杯おどけてみせた。その様子を見て、フローラは真っ赤になって笑ってくれる。僕も一緒になって、訳も解らず笑い続けた。
「アハッ……フフフッ。こんなに笑ったのなんて、子供の時以来だわ」
「そうだね…あの頃みたいに何も考えず毎日を笑って過ごしていた事が嘘みたいだよ。懐かしいなぁ…」
 こんな風に、毎日笑えたなら幸せだ。些細な事に負けずに、小さな事に幸せを感じる毎日なら、恐らく…あんな不安な夢も見ないだろうに。
「そう…か…」
 天を仰ぐ。陽の光が、僕の目に優しく降り注いだ。
「アンディ…?どうかしたの?」
「…ねぇ、フローラ。今から西の塔まで行かないかい?」
「え、今から…?でももうそろそろ日が暮れるわよ?」
「構わないよ。もしも君さえ良ければ、僕は」
 唐突な僕からの誘いに、少しだけ困り顔を見せたけれど、それでもフローラは笑顔でこの誘いを受けてくれた。
「ええ、行きましょう!久し振りだから楽しみね」
「決まり!さぁ行こう!」
 子供の時の様にフローラの手を取り、僕は街を駆け出した。




「ハァ…ハァ…やっと頂上に着いた」
「ゴメンよ、辛かった?」
 息の上がったフローラを案じて、僕は尋ねる。
「いいえっ!そんな事ないわ。久し振りに駆け足で昇ったものだから」
 ふわりと揺れるスカートをそっと手で押さえ、彼女は笑顔で答えた。
「やっぱりいい眺めね…。日が沈む瞬間まで見えそうだわ」
「うん…」
 どうやって切り出そうか悩む。人目を避けたのは、誰にも聞かれたくなかったからだ。彼女は…どんな返事をくれるのだろうか…?
「ねぇ、フローラ…」
「なぁに?」
「黙っててゴメン。この間から具合悪くしていたの、実は原因は…」
「あら、知っていたわよ」
「えっ!?」
 驚いて思わず彼女の方を向いた。
「おばさまから聞いてたもの。アンディが最近全然眠れないみたいだって」
 そう言うフローラの表情は少し苦笑い気味だった。
「そ…そっか。知っていたのか…」
「アンディが私に言う程の事じゃないと考えていたのなら、私が無理に聞いては良くないと思って…ずっと黙ってたの」
「違うんだ…っ!!」
 無意識に、つい声を荒げてしまった。慌ててその事を謝る。
「ご…ごめん!大声出してしまって…」
「……いいえ。全然気にしていないわ。続けて?」
 微笑む彼女の笑顔は、子供の時のそれとは違う。少しだけ寂しくもあり、でもとても心が穏やかになった。

 ──僕の大好きな彼女が、ただそこに居る。

 その事実が、僕に勇気をくれるんだ。

「ずっと……夢を見ていたんだ。途切れ途切れの、夢」
 震える唇を強く噛み締めて、ゆっくりと話し始める。
「君を失う夢。君が僕から去り行く夢。僕が…君に嫌われる夢。とても…とても怖かった」
 フローラは黙ってその話を聞き続けてくれた。
「君に…話さなかった訳じゃないんだ。話せなかった…心配をかけたくなかったから…。いや、きっと…こんな情けない自分を知られたくなかったっていうのが正しいのかもしれない…」
 握り締めた掌に爪が食い込んで痛い。それは心の痛みを伴って、ズキンと僕を締め付けた。
「ありがとう…アンディ」
「えっ!?」
 不意に発せられたフローラの礼の言葉に、僕は意味が理解出来ず問い返した。
「全てを話してくれたこと…。とっても嬉しかったわ」
 突然ギュッと背中から抱きしめられ、そう伝えられた。あまりの出来事に僕は混乱し、体が硬直してしまう。
「なななっ…フローラ!?一体どうし…」
「もう貴方ひとりで苦しんだりしないで…日に日にやつれていくアンディの姿を見ることがどんなに辛かったか…貴方は気付いていたかしら?」
「………フローラ…」
 せつない瞳が胸を突く。自然と、体が解れてゆく。
「もちろんだよ…。もう君をこんな風に悲しませたくはないからね」
「アンディ…」
 そう言って彼女の方を向くと、やっと微笑んでくれた。やっぱりフローラは、笑顔が一番似合っているよ。…と口には出して言えない僕を許してほしい。

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