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 貴方と一緒なら…

 ねえ、きっと…貴方と一緒なら、私…どんな事が起きても笑えると思うのよ?



 その言葉に、パパスは目を見張った。
「私のしている事は、貴女を荒波に放り込む様なものだ。それでも…それでも、そう言ってくれるか?」
 己の脇に横たわる友の背を優しく撫でながら、花のように微笑んで、その人は言う。
「ええ…それでも。貴方は私を『人』にしてくれた…それだけで、もう充分」
「マーサ…」
 ふわり、ふわりと揺れる彼女の黒髪を一房すくって口づける。それだけしか、今のこの気持ちを表す術が無かったのだから。
「マーサ…私のマーサ…」
「ふふふっ…どうしたの?なんだか急に甘えん坊さん」
 すべてを見透かされているかのようなマーサの瞳に、パパスは苦笑いを浮かべ黙るしか無かった…。




 此の人を初めて目にしたのは、ほんの悪戯心で城を飛び出した初夏のある日。

 供の者を付けることを嫌い、その日も一人でこっそり城を抜け出した。父も、口煩いお付きのサンチョも、自分がここにいるなどよもや思いもしないだろう。
 だが、一人の楽しさばかりが先んじてしまい、一人故の恐ろしさになど考えも至らなかった。
「うぅ…」
 痛む左の足を引きずりながら、霞む目を必死に開いた。先刻襲い掛かってきた魔物の、鋭い爪の痕が生々しい。
「なんという…事か…」
 腕に自信があったパパスも、不意打ちには成す術が無かった。深い森の中で、突然魔物に襲われ反撃するだけで精一杯だった。体中に深手を負い、満身創痍で意識も朦朧としてくる。
(このままでは…せめて…誰か人のいる所に出られれば…)
 その意思だけに縋りつつ必死に前へ、前へと進む。だがそんな願いも虚しく、意識は次第に遠退いてくる。
「もはや…これまでか…」
 その呟きを最後に、彼はその場に倒れ込む。その後の記憶は、無い。



「………」
「まぁ、気が付かれましたか?」
 何かがそっと額に触れる感覚に気付き目を開くと、視界に飛び込んできたのは艶やかな黒髪の間から覗く白い肌と朱い唇だった。
「……あ…」
「あまり喋らないで…。回復はしましたけれど、まだ傷が塞がりきってないの」
 鈴の音の様な、軽やかで…それでいて穏やかな声。女の、声。
「ここは…」
「貴方の来たところから、だいぶ北方に位置する森よ」
「北の…?」
 段々と輪郭を取り戻した視界に、会話をしていた相手の顔がハッキリと浮かび上がってくる。
「…ごめんなさいね。貴方を助けたくて来たのだけれど、こんな所にまで連れて来てしまって。あの場所だと気の立った魔物がたくさんいたものだから」
 そう哀しそうに微笑んだ彼女の姿は、パパスが生まれて以来一度も見たことが無い程に美しかった。
「……何故…そなたは…」
「この子がね、教えてくれたんです…。大怪我を負って倒れてる人がいるって」
 長く細い指に撫でられて大人しくしている、その者の姿は…──
「まっ…魔物!?」
 長い爪、鋭い牙と真っ赤なたてがみを頂いた、立派な体躯。だが、人の目には怪しく映るその姿。獰猛で恐れられる、魔獣キラーパンサーだ。パパスは慌てて起き上がった。
「………ッ!!」
「急に起き上がらないでっ…。また傷が開いてしまうわ」
「おぬしっ…魔の類か!?」
 力の入らない右手で、剣の柄を握る。引き抜くまではしなかったが…。
「……お黙りなさいっ!!」
「!?」
「傷が開くと言っているでしょう?早く横になって下さい!」
 強い瞳に睨まれて、パパスは二の句が継げなかった。成す術も無く、ただ彼女の言葉に従う。
「む…ぅ……」
「そう恐い顔をしないで。私は、貴方を助けたくてここまで来たのよ。その言葉に偽りはないわ」
 彼女の言う事は、何故か信じることが出来た。言葉に力強さすら感じる。
「私はマーサ。ここより少し北にある…とある町に住んでいるの。貴方は?」
「私はパパスという。南のグランバニアから来た旅人だ」
 そこまで名乗ると、彼女は堪えられずに突然笑い出した。
「ふふっ…アハハハ!随分冒険心旺盛な旅人さんね!ねぇ?王子様」
「なっ…何故それを!?」
 敢えて伏せていた自分の身分を簡単に見破られ、パパスは慌てて問い返した。
「さっきこの子が言っていたのよ。見た事のある顔だって。南の国の、お城の人だって」
「なっ……!?」
 呼ばれてひょこりと彼女の肩から出てきたのは……これもまた異様な外見の、翼を持った魔物であった。
「ドッ…ドラキーまでおるのか…。一体おぬしは…?」
「この子達は、友達なの。人間のお友達がいない私の唯一の友達」
「友達…魔物がか?」
「魔物だって、心を通い合わせれば友達だわ。魔物だけでなく、きっとどんな命とも友達になれるの」
 マーサのその言葉は、今までパパスが考えたことも無いものだった。

───魔物と…命と友達。

 ともすれば危うさを含む言葉ではある…しかし、不思議とパパスの心を捕えて離さない。
「なんとも…面白い考えをする者もいたものだな」
「ありがとう。嬉しいわ」
 素直に礼を言われ、柄にも無く照れて顔を背けた。
「さて…そろそろ帰ろう。城の者も心配する頃だ」
「そうですか…名残惜しいわ。帰りは、どうするんです?」
 よろめきながらも立ち上がった彼に、素直にそう尋ねる。
「ああ、ひとつだけキメラの翼を持ってきたからな。帰りは心配ない。…助けてくれてありがとう。命拾いした」
「…どういたしまして。私の回復魔法がお役に立って、とても嬉しかったわ」
 微笑む彼女の手を取りながら、パパスは気になっていた事を聞いた。
「また…会えるだろうか」
「貴方が空に願ってくれれば、またここに会いにきますわ。ただし…あの山までは越える事が出来ませんけれど」
 南側にある山脈をを指して言う。
(空に…ときたか。これではまるで…)
 その言葉に、彼女が天空に住まうものではないかと疑いすら抱いてしまう。
「本当に…不思議な人だ」
「え?」
「いや、会えるだけで充分だ。この礼もしたい。また……会ってくれるか?」
「ええ、喜んで」
 彼女の返事を聞き、パパスは生まれて初めて、仄かな気持ちを自覚した。




「恋…か…」
 窓際で腰掛けながらしみじみと呟いた主君に、サンチョは目を見開いて問う。
「なんと!恋されたんでございますか!?お相手はどなたですっ!?」
「…………お前に聞かせた私が間違っていたよ」
「なっ!!何故ですか!?」
 ふぅ…と溜息ひとつ呆れ顔で、パパスは部屋を後にした。
「マーサ…」
 あれから何度も逢瀬を重ねた少女の顔を思い浮かべる。
 城に戻ってからのしばらくは、やはり傷の療養の為に城の外に出させては貰えなかった。だが傷さえ癒えれば誰も彼の事を捕まえておくことは出来ない。
 二度目はお礼と称して、マーサを呼び出した。自分でも珍しく、綺麗な白い花を花束にして彼女に贈ったのだ。
 その次には、会う理由を深く悩んだ。大した用も無いというのに呼び出すのを躊躇われたからだ。だがいざ会ってみたならば、そんな悩みなど軽く吹き飛んでしまった。彼女はそんな事など、かけらも気にしてはいなかったのだ。

 会えば会う程、募る彼女への想い。

「恋…か…」
 先程と同じ言葉を呟き、また同じ溜息もついて、パパスは高い空を見上げた。

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