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「アレスのバカァーッ!!」
 今まで聞いた事がないくらいの母親の大きな叫び声に、エレナはビックリして慌てて駆け寄った。
「おっ……おかあさん、どうしたの?」
 その目にうっすらと涙を浮かべて父の部屋の中から飛び出てきたビアンカに、おずおずと尋ねてみる。
「エレナ!」
 すかさずがっしりとその両肩を掴まれ逃げられない。鬼気迫る勢いの母の様子に、エレナはたじたじになっていた。
「連れてって!ルーラで!!どこでもいいからっ!!」
 いまだ何が起きたのか理解出来てない娘の状況など構ってはいられないのか、必死の形相でビアンカは頼み込む。
「えっ!?いいの…?おとうさんとなにかあったんじゃないの?」
「いいのよっ!!今は女同士、二人だけになりましょ!絶対他の人には内緒よ!!」
 大好きなおかあさんにそう言われ断る事も出来ないエレナは、仕方なくも首をコクリと縦に振った。
「よし、決まりね!じゃあエレナも早く着替えていらっしゃい。薄着のままではダメよ?」
「う、うん…」
 ─どうしちゃったんだろ、おかあさん…こんなにおとうさんとケンカをしたの初めてだよ…─
 理由も分からずに巻き込まれた哀れな少女は、見たことの無い母の姿に戸惑いながらも、急いで外出の仕度をしに自室へと向かった。


「あれ?エレナ、どっか出掛けるの?」
 エレナが小さなリュックにささやかな荷物を詰め込んでいると、後から入ってきた双子の兄がその様子を見て、不思議そうに尋ねた。その声に、思わずギクリと飛び上がる。
「あっ!!カイル…」
「どっか行くんだ?朝には出掛けるとか何も言ってなかったよね」
「しっ………しーーっ!!」
 元気な兄の声があまりにも大きかったので、母親との約束を思い出したエレナは焦ってその口を塞いだ。
「ないしょなのっ!おねがい、カイル!!おとうさんにもサンチョにも、オジロンおじ様にも秘密って約束してくれる?」
 珍しく隠しごとをしている様子の妹に少しの疑問も覚えはしたが、なにか深い訳がありそうだと悟り、カイルは静かに頷いた。
「うん、分かったよ」
 兄の返事にホッ…と胸を撫で下ろし、エレナは分かる限りの事情を説明した。
「おかあさん…おとうさんとケンカしたみたいなの。それで私に『どこでもいいから連れてって』って…」
「そうなのっ!?」
 今まで聞いたことも無い様な事実に、カイルは驚き叫びを上げた。勿論、咄嗟にエレナとの約束を思い出して、自分の口を塞いだが…。
「だからわたしね、おかあさんに理由を聞いてみる。もしできるなら、仲直りをしてほしいの。だから、一緒にでかけてくるね。……いいかなぁ?」
 いつも内気で、兄である自分の後ろに隠れてしまいがちだった妹の、その勇気ある発言に、カイルはニッコリと笑顔で力強く頷いた。
「わかった!行っといで。ボクはこっちで色々と聞いてみるから。おかあさんの事は任せたよ!」
「ありがとう、カイル」
 これで何も大事件が起きていないのであれば、双子の母親は子供達の優しさに打たれ、感激のあまりに抱きしめているところであろうが…まことに残念な話である。
「じゃあ…行ってきます」
「いってらっしゃい!」
 元気な声の兄の見送りを受けながら、エレナは急いで母のもとへと向かった。



 サラボナは平和だった。
 過去に町を脅かしたという魔物の話もすでに廃れ、人々は日々の暮らしを至極マイペースにのんびりと過ごしていた。
「いいお天気ですわね…」
 石畳を愛犬のリリアンと共にゆったり散歩しながら、フローラは暖かな陽射しを手で遮りつつ呟いていた。
「こんなに良い日だというのに…お父様もアンディも、外に出掛けないだなんで勿体ないですわね、リリアン」
 父と夫の顔を交互に思い浮かべつつ、少し膨れてみせながらフローラは言う。二人とも仕事が忙しいらしく、ここ数日まともに屋敷から出ていないのだ。愛犬にも通じたのだろうか、返事をする様にリリアンは一声鳴いた。
「妻の私より舅とばっかり一緒にいるだなんて、私…お父様にヤキモチを妬いてしまいそう」
 心中複雑な様子の若奥様はそう言って深い溜め息をつき、町の入口まで歩いて折り返そうとしたところで立ち止まる。
「あら?あの方は…」
 門より少し向こう、見覚えのある人の姿を見つけて駆け寄ってみた。
「やっぱり…!!ビアンカさん!ビアンカさんですわよねっ!?」
 心持ち大股でこちらへ向かって歩いてくる金髪の女性は、聞き覚えのある声で己の名前を呼ばれハッと顔を上げた。
「あっ!!フローラさんっ」
 よく知った顔を見つけて、ビアンカは笑顔で手を振り返す。
「お久しぶりですわね…皆さんが、あの地から帰ってらっしゃって以来かしら?エレナちゃんも、こんにちは」
 母親に手を引かれて一緒に歩いていたエレナに、フローラは目線を合わせる様に屈んで挨拶をする。
「こんにちは…」
 人見知りの少女は、ビアンカの後ろに隠れながら返事をした。
「今日はまた、急にどうしてサラボナにいらしたんですの?お元気が無い様にも見えましたけれど…」
 サラリとそう尋ねられて、ビアンカは思わず口ごもる。
「えっ!?あ、あの…その……」
 けれど彼女はそれ以上聞き出すことはせず、ポンと手を叩いてこう言った。
「遊びに、行きません?」
「へっ…!?」
「どこでも構いませんわ、息抜き出来る場所なら。せっかくですし、久し振りにみんなで遊びに行きましょうよ!」
 唐突な彼女からの提案に目をぱちくりさせていると、フローラはコッソリその理由を耳打ちしてくれた。
「実はね、私…ちょっとだけ、退屈していたところなんですの。もし宜しければ…お付き合い頂けません?」
 願ってもない提案であった。元より、ビアンカがこのサラボナを選んだのも、フローラに相談したい…という気持ちが心の奥底にあったからだ。
「ご迷惑…でしょうか?」
「いいえ!行きましょう。是非!!」
 笑顔で返事するビアンカに、フローラも嬉しそうに彼女の手を取り微笑んだ。
(ゴメンナサイ、カイル…。やっぱり私じゃ聞き出せないかもしれない…)
 エレナはひとり、そんな母達の様子に付いて行けずに、心中しょんぼりで兄に謝罪していた。



 山奥の村は、相も変わらずにのどかな雰囲気であった。遠くで微かに聞こえる川のせせらぎや鳥の声が、疲れた旅人を穏やかな気持ちにさせてくれる。
「…って息抜きに来るのがどうしてここなの?」
 見慣れた風景だというのに、穏やかになりきれぬビアンカはフローラに問う。
「ウフフ!ゆっくりとお話をするなら、カジノ船よりも温泉の方が良いかと思いまして」
 フローラは笑顔で答えた。
「…だって、なにかご相談事があったのでしょう?それも…恐らく、アレス様とケンカされた…とか?」
「!」
 いきなり核心を突かれて、ビアンカは目を見開いて彼女の方を向く。
「なっ……何でそう思ったの?」
「女の勘…ですかしらね?フフッ」
「…敵わないわね、フローラさんには。それを分かっていたから私を連れ出してくれたのね」
 捕えどころの無いフローラの様子に、ビアンカは溜め息混じりに言った。
「取り敢えずここまで来たんですもの。立ち話もなんですし、どこかでひと休み致しません?」
「どこかっていうか…私の家で良ければ案内するわ。ただ…」
「ただ?」
 渋い顔をしてビアンカは続ける。
「アレスとケンカしたってこと、父さんには内緒ね?」
 バツの悪そうな顔をしながらそう断るビアンカに、フローラはクスクスと笑いを漏らしながら頷いた。

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