部活の最中、タオルを取りに部室へ帰ってロッカーを開けたら中に女がいた。断じて間違いではない。俺の、ロッカーの、中に。大事なことなので二度言った。 考えること0コンマ2秒、俺は扉を閉めた。我ながら懸命な判断だったと思う、ここまでは。だけどこの後にとった行動はどう贔屓目に見たって、正しかったとはとても言えない。 ロッカーの中に女、しかも髪の毛で顔が隠れて顔が見えないような奴(名付けて髪の毛おばけ)が入っているなんて、ありえない。きっと見間違いだ、急いでいたこともあってそう決めつけた俺はあろうことか、もう一度扉を開けてしまったのだ。 ぱちり。今度は目があった、気がした。そして今度は俺が扉を閉めるその前に、女は、なんと、俺めがけて勢いよく飛びかかってきた。
「ひっ……」 「三国せんぱいいいいいい!!!」
ちょっと待て、今なんつった。
「うわああああああん三国せんぱいい」 「待ておま……はな、離れろ!」
耳元で三国先輩と連呼する髪の毛おばけを力任せに引き剥がす。髪の毛おばけのばたばたと振り回す手が俺の顔にぶつかった。にゃろう。
「てめぇ…香月か!?」
わんわんと泣き声をあげる髪の毛おばけはよく見れば、俺たちのマネージャーに違いない。何やってんだこいつ。
「離してー、狩屋はなしてよー!」 「てめえが飛び付いてきたんだろうが」 「だって三国先輩だと思ったからあ」 「なんでだよ!」
だってー、だってーと喚かれても残念ながらろれつが回っていなさすぎて人外の言語にしか聞こえない。目元を真っ赤に泣き腫らす香月は、元からちんちくりんな顔がさらにひどいことになっているがいいのだろうか。 そう指摘すると香月は止めていた腕をまた振り回し始めたので、慌ててその肩をつかんで引き離した。こうしてしまえばいくら暴れられたって、背丈も腕の長さもちんちくりんな香月の攻撃では届かない。たまに腕にへなちょこなパンチが当たるくらいだ。
「もー!!狩屋のばかあー」 「はいはい……ったく」
くそ、なんで俺はこんなガキのお守りみたいなことをしてるんだ。俺か。俺が悪いのか。いや違う。霧野先輩のせいだ。俺がタオル取ってきます、って言ったら霧野先輩が「早く帰ってこいよ」なんて言うから、俺は思慮も浅くロッカーを開けてしまったわけだ。……いや違うな。香月のせいか。ロッカーの中に潜むとかこいつマジなんなんだよ、解せねえ。 俺に攻撃を封じられて、なおも無駄な抵抗を続ける香月に俺は深いため息をついた。そのときだった。背後でういーんと電子音。とっさに頭に浮かんだのは昔、リュウジさんに教えられた「噂をすれば影がさす」という言葉――
「おい狩屋、何してんだ遅いぞー」
…はあ。最悪だ。振り向いた先に立っていたのは、さっきまで俺の脳内で話題にあがっていた雷門の誇る(笑)美形(笑)エース(笑)ディフェンダー、霧野先輩。よりによってこの人だなんて。天馬くんとかだったなら適当にだまされでもしてくれたのに、この人相手にこんな状況どう言い訳すりゃいいんだ。いじめていると思われるのが関の山である。それともこんなときにリュウジさんなら「人を呪わば穴二つ」とでも言うのだろうか。 ロッカールームに踏み込んできた霧野先輩は案の定、むせび泣く香月とそれを押さえつける俺とを交互に見やって目を丸くした。
「狩屋…」 「……はい?」 「お前、部室に女連れ込んで泣かせるとか、神聖なサッカー棟で何やってんだよ…」 「あんたは頭の中までまっピンクなんですか!?」
内心、ほんのちょっとのごくわずか、非常に少々、少しだけドキドキしながら言葉を待っていれば、これだった。なんだこの人、ありえねえ。おまけに「そういうことは家でやれよ」とかバカなんですか死ぬんですか。どうしたらこんなちんちくりんな女をどうこうしようなんて思うっていうんだ。
「先輩が脳内桃色だからって人で変な想像しないでください!」 「ははっ、そんな怒んなよ。冗談だって」 「……本当かよ」 「じゃ、俺行くな。ほんとはお前呼びにきたんだけど、先輩たちにはてきとーにごまかしといてやるから香月のこと、ちゃんと慰めてやってから来いよ。じゃあな」 「ちょ、待っ…」
行ってしまった。正直、適当なところでほっぽって練習に戻ろうかと思っていたのだが、そうもいかなくなってしまった。あんのピンク野郎、余計なことしてくれやがって。 自分は面倒事を避けるのは得意な方だと自負していたはずだが、こうまで上手く行かないとそれも疑わしい。 いや、だけどこんなに物事が思い通り行かないのは雷門に来てからだ。要するに俺の世渡りスキルは変人相手では発揮されないようである。たとえば、外から中までいかがわしい色で一色の先輩とか、ロッカーの中に忍び込む女とか。 さて、その変人女はといえば、相変わらず俺の目の前でぼろぼろと涙をこぼし続けている。ひょっとしてこいつ、霧野先輩が来たことにすら気付いてないんじゃねーの。 香月は疲れたのか、暴れて喚き叫ぶのはやめたみたいだ。俺も疲れた。ずっと香月の肩をつかんだままだった手をやっと離す。だけど解放されたと思ったのもつかの間、今度は香月の頭が俺の胸に倒れこんできた。 えぐえぐと泣き声をもらす香月に俺は大きく息を吐く。こいつ、まじでガキみてえ。普通女子に泣きつかれるって、なんだ、もっと緊張したり、ドキドキしたりするもんじゃないのか。そうさせないのは香月から溢れ出るちんちくりんオーラのなせる技に違いない。 こうして泣いている香月の相手をしていると、まるで園のガキどもでも見ている気分だ。むしろ混ざっててもおかしくない。そう思うと変に親心のような物まで芽生えてきて、俺は香月の頭をぽんぽんと叩く。あ、いい音した、こいつアホだ。抗議するように顔をあげた香月の兎みたいに真っ赤な瞳と目が合う。
「ひっく、うぇーん…かりやあー」 「あ?」 「…狩屋の顔見たらもっと泣けてきた……うわあああああん」 「はああ?」
失礼な女だ。だけど、色気のいの字もない大声をきいているとなんでもよくなってしまうから不思議だ。本当に、とことん要領が悪くなったものである。「あ、おい」「なに?」「お前、ユニフォームに鼻水つけんなよ」「……もうつけた」
やっぱりなんでもよくねえ。
(そのあとグラウンドに戻って倉間先輩に「霧野に聞いたぜ、大してたら便座にはまって抜けなくなったんだってな」とニヤニヤ顔で言われたときは殴った。香月を。)
/マシュマロクライシス 120317 title by カカリア
泣くのは必ずしも弱いことじゃないと思うの
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