あお | ナノ


蘭丸、蘭丸。

わたしが縋るようにそうよべば、蘭丸はおおきな目をこっちにむけてなに?とにっこりほほえんでくれる。その綺麗なえがおを見ると、わたしはどうしようもなくくるしくなる。
蘭丸、蘭丸。
ギュッと蘭丸の左うでにしがみつく。蘭丸はすこしおどろいたようだったけど、ひざの上においたサッカー雑誌をよこにどけてやさしく髪を撫でてくれた。蘭丸のほそいゆびがわたしの髪のあいだをするするすべっていく。ゆれる桃色はきょうだって、いともたやすくわたしの視線をうばう。

ぱっちりひらいたおおきな目と、それをふちどる長いまつげ。微風にもなびくつやつやの髪。透きとおるような白磁の肌。ほっそりした肢体。しっとりとついた力強い筋肉。蘭丸をつくるなにからにまでが魅力的。
蘭丸を知る女の子はだれだって、その髪の一房にすら恋い焦がれる。

そばにいるだけでむねがうずく。こみあげるおもいにたえかねて、なまえをなんどだって呼びたくなる。
すき、だいすき、蘭丸。おもわずくちばしって仕舞いそうになったそのことばをのみこんで、かわりに視線にのせてみつめれば、蘭丸はてれくさそうにしてわらった。ほそめられた瞳から零れる青がまぶしい。


「凜」


あたまの上からふりそそぐ、やわらかいアルト。蘭丸のくちびるがわたしのなまえを紡ぐそのたびに、わたしの心臓がどきんとちいさくはねあがる。蘭丸が口にしたことばはみんな、魔法をかけたみたいにかがやきだすのだ。わたしのなまえはもう、何度かがやいたことだろう。蘭丸のまわりはいつだってきらきらしている。


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だけれども。きらきらとかがやく蘭丸のせかいのそのとなり、わたしのこころに人しれずわきあがるこのきもちがこんなにも可笑しくて醜いだなんて、一体だれに言えたものかしら。
しっと、だなんて。
蘭丸からつたわる温度があまりにもあたたかくって、わたしはふいになみだをながした。蘭丸といるときのわたしは、どうしたってこんなになみだもろい。そんなじぶんに嫌気がする。


「凜?」


蘭丸のこえ。わたしを、しんぱいするこえ。
それをきいたとたん、わたしのなかがトポトポとみたされてゆくのをかんじる。ああ、蘭丸のすぐそばにありながら、なんだってわたしはこんなに醜いのかしら。


「どうして、泣いてるんだ?」


わたしにといかけるそのこえはどこまで覗いてもやさしくて、それがわたしのなみだをあおることは避けられない。
嫉妬している、だなんて。
だれがこの、せかい中の良心をおしかためてできたみたいな蘭丸に、そんな厭らしいこと言えるだろうか。
蘭丸はきっと、そんな汚い感情はしらない。蘭丸のしっている嫉妬はきっと、みにくくないのだ。

それでも、あまりにしんぱいそうなかおをする蘭丸にもうしわけなくなって、わたしは蘭丸に「やきもちやいたの」とだけいった。
ああ、わたしの世界は醜いわ。


「やきもち?」


ちがう、ちがう。ほんとうはそんなかわいらしい感情じゃない。
だって、きっとやきもちって、同性の子にたいしてするものだ。わたしの蘭丸にちかよらないで、とか。
だけど、わたしのやきもちはもっと、はいたてき。

蘭丸とおはなしできる、すべての人がわたしはきらい。学校のおんなのこも、サッカー部のひとたちも、先生も、コンビニの店員さんも、蘭丸とおはなしするなら、わたしはみんなきらいになる。
蘭丸がわらいかける、すべてのものがきらい。みちゆく人も、のらねこも、もし蘭丸がそうするなら、草花だって、きらいだ。
蘭丸にふれる、すべてのものがきらい。
蘭丸がなまえを呼ぶすべてのものがきらい。
蘭丸を見るすべてのものがきらい。蘭丸にみられるすべてのものがきらい。蘭丸のこえをきく、蘭丸を知る、蘭丸のいしきにはいりこむ、すべてのものが、わたしは、きらい。

こんなにも攻撃的で、排他的で、ドロドロしてる、欲望まるけの悲しい感情を、やきもちなんて、そんなあいらしい表現するわけない。これは、醜い独占欲だ。
わたしの、きれいに繕ったそとみの、そのなかみ。


蘭丸、蘭丸。
なんどもなんどもなまえを呼びながらぽろぽろとなみだをながすわたしを見て、蘭丸はかなしそうに眉尻をさげる。どうして蘭丸がそんなかおをするの。
蘭丸はときどき、ぶきようだ。だけど、そんなぶきような蘭丸だから、わたしはこんなにもどうしようもなく蘭丸がすきなのだ。

蘭丸、蘭丸。
わたしのあたまを撫でる手はひどくあたたかくて、そしておとこのひとの手だ。
やさしい声音も、しなやかな動作も、それからほしをばらまいたような笑顔だって、みんなうっとりするほど綺麗なのに。

すき、だいすき、蘭丸。

ろれつのまわっていないそれは、ちゃんと蘭丸のみみにとどいたのかしら。
もっとも、蘭丸がわたしのことばをきき零したことなんて、いままでただのいちどもないのだけれど。


「凜」


夜空のほしがきらめくようにしずかなこえ。
蘭丸になまえをよばれたそれだけで、こんなにざわついていたわたしのこころはいとも簡単におちついていく。


「凜」
「うん」
「泣かない、で」
「…うん」
「凜」


蘭丸のやさしいアルトがわたしのなまえをよんだそのとき、そのときだけ、わたしのこころははらはらとみにくさをおとしていく。


せかい中の良心と、やさしさと、きれいなものをおしかためてつくられた蘭丸。
その綺麗な容姿も、やさしいこころも、みんなわたしのものにしてしまいたい。
だけどそれがかなわないというのなら、せめてわたしのなまえを呼んだそのこえだけは、わたしのもの。わたしだけが、ひとりじめ。
ゆっくりこころのうちで反芻するとそれは、きらきらと零れおちるようにして消えていく。

あしたも、あさっても、蘭丸がわたしのなまえを呼んでくれますように。
一年後も、十年後も、蘭丸がわたしのとなりにいますように。
そうねがいながら、蘭丸のしろくてながい綺麗なゆびとわたしのそれをからませる。そして、くすぐったそうにわらった蘭丸の瞳のオリオンブルーに、わたしはそっと××××かんをとかすのだ。


/120326
オリオンブルーの星屑
title by route A
   
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