※激しくドM仕様

恍惚と、満足げな顔で笑う竜持くんは本物の悪魔だと思った。

家に帰ると、竜持くんがリビングで紅茶を飲みながら待ち構えていた。
「りゅ、竜持くん?」
「おかえりなさい、なまえさん」
おばさんはたった今でかけましたよ。竜持くんがにっこり笑った。
「そっか……ひ、ひさしぶりだね」
「そうですね。最後に会ったのはなまえさんが高校に上がられる前でしたから」
「うん……竜持くんは今、六年生?」
「ええ」
じりじり。靴下をすって後ろへずりさがるわたしを、竜持くんは値踏みするような目でながめる。
早く、早く。できるだけ早くここからいなくなりたい。早く会話を終わらせて、自分の部屋へ。
荷物を抱えたままの後ろ手をめいっぱい上げ、必死で、だけどなるべく落ち着いて見えるようにドアノブの位置をまさぐる。
あった。「あ、竜持くん。わたし……制服着替えてくるね」。ドアを開いたわたしを見て、竜持くんは黙って紅茶に口をつけた。ああ、よかった。背中を向けて密かに胸を撫で下ろし、右足を踏み込む。その時だった。
「なまえさん」
語尾に音符マークのつきそうな調子で名前を呼ばれた。反射的に、肩が跳ねる。振り返らずに返事をした。
「な、なにかな」
「いいモノ、持ってますね」
竜持くんの赤い舌が口の端をぺろりと舐めた。
踏み込んだ紺のソックスがフローリングの上を滑る。

昔からそうだった。竜持くんと二人きりでいいコトが起きたためしなんて、たったの一度だってなかった。
「ケーキ、ですか」
「う、うん」
「ケーキ屋さんでアルバイトしてるんでしたっけ。そこのですか?」
「うん……」
勝手知ったる他人の家。わたしが抱えていた箱を開けて中身を知るや、竜持くんは戸棚から、わが家でいちばん豪華なケーキ皿と、レースのペーパーナプキンと、銀のフォークを持ってきた。
フルーツケーキは器用な手つきで箱からお皿の上に移されて、ちょこんとかわいらしく座っている。
「へえ、いいじゃないですか」
「竜持くん、甘いもの好きだったっけ?」
「いいえ?」
それじゃあ、どういうつもりなのだろう。こんなことして。自分まで右手にフォークを持って。
首をひねっている間に、目の前のカップにとぽとぽと紅茶が注がれる。
「ありが、とう」
「いえ」
竜持くんはポットを置いて立ち上がった。「へ」。正面に座っていた竜持くんが、わたしの右側の椅子を引いた。
「竜持、くん?」
「ケーキ」
「え?」
「食べないんですか?」
「え、うん……食べる、よ」
本当は、今食べるつもりじゃなかったのだけど。お夕飯を食べたあとの、デザートにしようと思ってたのだけど。
竜持くんは頬杖をついてケーキをながめている。口には何も出さないけど、視線は確実に、早く食べろと言っている。
「い、いただきます」
銀のフォークの冷たさを指先に握りながら、先端をケーキの端に突き刺した。ケーキが、右へゆっくり動いた。
「……え」
竜持くんがお皿の端をつまんでいた。「竜持くん?」
竜持くんは笑顔で手に持ったフォークをケーキへ振り下ろした。
刺すのではなくて、押し潰した。フォークの背で、ぐしゃりと潰した。
「なっ、何するの!」
思わず振り上げた右手は竜持くんの左手に簡単に捕まってしまった。
崩れたケーキは、右へ右へと動かされていく。
「やっ……やだ竜持くんやめて!」
竜持くんは何も言わない。何も言わずに、くすくす笑ってスポンジと生クリームの山にフォークの面を押し付け続ける。
千切れたスポンジは白いクリームに塗り込められて何度も練られる。スポンジの間から飛び出した果物が、容赦なくフォークで潰される。苺の果汁がこぼれ出て、ペーパーナプキンの白をじんわり染める。クリームがテーブルクロスに飛び散った。お砂糖と少しのラムの、上品な甘い匂いが香り立つ。
目の前がくらくらっと傾いた気がした。
ケーキ。わたしのケーキ、初めてのバイトのお給料で買った、わたしのケーキが。細かなデコレーションがかわいくて、やっとひとつに決めたフルーツケーキが、跡も残さず潰されてる。
じわりと瞳が熱を持った。同時に目頭に水気を感じて、私ははっと我に帰った。
「竜持くん!」
一際大きな声が喉から出た。竜持くんは、ようやく手を止めてわたしを顧みた。
「なに、するの、急に、こんな……」
「なまえさん」
「なに、よ」
「泣きますか?」
竜持くんは、笑っていた。もしも悪魔が人に化けたら、きっとこんな風なんだと思った。
いっぱいにたまった涙をこぼすまいと、わたしは精いっぱい瞳を見開いた。チェックのスカートを握りしめると、ぐちゃっとシワが寄る。
高校生になっても竜持くんに泣かされてしまうだなんて。こんなに年下の男の子に泣かされるなんて、もう御免なのに。
なんとか涙を飲み込んでキッとにらむと、竜持くんは涼しい顔で左手に掴んだわたしの手を解き、紅茶をすすった。悔しくて奥歯をきつく噛んでいると、唇に冷たい物が当たった。竜持くんの握ったフォークだった。
「お口開けてください?」
誰が開けるものか。よけいに固く唇を結ぶと、フォークの先をねじ込まれる。舌の先に、甘いものとが触れた。
竜持くんはくすりと笑ってフォークを引き抜く。そしてわたしの目を覗きこんでにっこり訊いた。
「おいしいですか?」
その瞬間、ほっぺたの上を熱い物が滑り落ちていった。最悪だ。こんなの、さいあ、く。
さっきまでは堪えていられたはずの涙なのに、一度流れはじめてしまえばとどまるところをまるで知らない。ぶんぶん、と首を振るとさらに涙があふれてくる。
「おいしくないんです?」
おいしいわけないじゃない。言葉は声にはならず、小さな嗚咽になって消えた。フォークに残った生クリームを舐めとった竜持くんが、ぽろぽろ涙を流すわたしを前に「ぼくはおいしいと思うんですけど」と声を弾ませる。
竜持くんなんて嫌いだ。


/さんかくしかく
130417


われながらひどいものをかいた

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