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「うわあ、なにこれ。線香花火ばっか」 新聞紙の上にお行儀よく並んだ大量の赤い紐を見て、わたしは思わず声を上げた。 「すいません、虎太クンに頼んだらこうなっちゃいました」 「わりィ」 竜持の声にかぶせるようにして、虎太がけろりと謝罪を口にする。だけどあの顔はたぶん、悪いと思っていない顔だ。後悔はしているが反省はしていない、ってやつだ。 「ま、もう花火ふりまわして騒ぐって年でもねーし、これはこれでいいだろ」 凰壮がカラカラ笑う。虎太が得意そうな顔をしたのが分かった。べつにあんたが偉いんじゃないっての。でも、まあ、 「…うん、そうだね」 みんなでやれれば、なんでもいいのかもね。 草の香りをはらんだ風に吹かれて、わたしはいつになくおだやかで、どこかさびしい心地になるのだった。
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時計の長針が12をさす少し前、わたしが降矢邸の前に着くと三人はすでにバケツやらロウソクやらの準備をしているところだった。 「ごめんくーださーい」 私の背丈を優に越す巨大な門の前で奥に向かって大声を出す。いつ来ても思うのだけれど、この家はちょっと少しかなりとても大きすぎる。 「あ、なまえ」 いちばん最初にわたしに気付いたのは虎太だった。わたしの方まで小走りで来て、門を開けてくれる。 「こんばんは」 「ん」 虎太は短くこたえてクルリと元来た方へ踵を返す。わたしも重い門をがちゃりと閉めて、その後に付き従った。 敷地に足を踏みいれると、草いきれだろうか、湿気を多分にふくんだ熱が押しよせてきた。降矢の極めて巨大な邸宅は、これまた非常に広大な、植物にあふれた庭を望むように建てられている。愛らしい花々に囲まれた煌びやかな花園、というよりは質実な気風や力強さを感じさせる草木でいっぱいの園庭といったかんじだ(それがおじさんの趣味なのか、それともおばさんの意向によるものなのかは、そういえば一度もきいたことがない)。刈り揃えられた芝生の真ん中を、虎太とわたしは無言で進んでゆく。 竜持と凰壮は立派な玄関扉の前、タイル敷きの階段に立って待っていた。 「こんばんは、なまえさん」 「ちょうど準備できたところだぜ」 「こんばんは、お招きにあずかりどうも。これどーぞ」 「お、サイダー?懐かしいな」 「わたし、まだ未成年だからね」 虎太と凰壮が私の手渡したビニール袋を覗きこむ。中にはさっきコンビニで買ってきたペットボトルが四本入っている。買ってまだ数分しかたっていないのに、夏の夜のぬるい空気にあっというまに結露して、中身もビニール袋もびしょぬれになってしまった。 さっそく栓を開ける凰壮を後目に竜持がぱんぱんと仕切る。 「では、全員そろったことですし、始めましょうか」 ……と、その前に。竜持は広げた新聞紙の上にばらされた大量の線香花火に視線をやって、盛大に肩をすくめた。
線香花火しかない花火大会は思ったよりも楽しくて、そしてやっぱり地味だった。だれが一番長持ちするかの競争も、二、三回すれば飽きてしまう。もくもくと四人で線香花火を消費しつづけるだけの花火大会は、きっと後にも先にもこれきりだろう。 だけど凰壮の言う通り、花火でぎゃあぎゃあはしゃぐ年ではない、むしろこれまでにはしゃぎ尽くしたわたしたちには、これくらい地味でもかまわなかった。なんたって、四人がそろうのは久しぶりなのだ。話したいことは、一晩かかったって語りつくせないくらいいっぱいある。花火にばかりかまけていられないくらいには、だ。 「そういや虎太、スペインに帰んのいつだっけ?」 「十五」 「あさってかあ。ていうと、竜持といっしょ?」 「そうですね」 「虎太、サッカー楽しい?」 「おう」 「…虎太の返事は相変わらず素っ気ないなあ」 「虎太クンも、貴女には言われたくないと思いますよ」 「え?」 「昼間、なまえさんを起こしたときとても不機嫌で、全然返事してくれなくて困ったんですから」 「は、お前まだ寝起きに機嫌悪いの直ってないのかよ」 「もう子どもでじゃないんですよ」 「うう、うるさいなあ!それにあれは…」 言いかけて、やめた。これは今、しかもみんなの前で言うことじゃない。 「おまけに、昼間からはしたない格好で寝て。もし起こしに行ったのが凰壮クンだったりしたら、今ごろは……」 「や、やだ凰壮…!」 「てンめーらなあ…」 凰壮が声に怒気をにじませる。だけど、不意に気の抜けたため息をこぼすと、あーとかうーとか言いながらガリガリと頭をかいた。「つーかよ、おまえら二人…」。わたしと竜持を一瞥すると、もう一度大きく息をつく。「……なんでもねーよ」。二人、の続きは濁されてしまった。 「ま、なまえ相手に変な気起こすこたねーから安心しとけ」 宙を見つめ、凰壮は呆れたように笑う。
わたしの大学生活二年目の話、虎太のスペインでのサッカーの話、竜持の京都での一人暮らしの話、凰壮が今度、柔道の全国大会に出る話、それから、いくらでも出てくる昔の話。積もり積もった話は収まるところをまるで知らず、わたしたちは花火片手にしゃべり続けた。 橙に光る柳が、菊が、黒い石畳へと散っていく。火薬の燻るツンとした匂いが喉の奥を柔く刺す。蚊取り線香の細い煙が花火に照らされ闇をたゆたう。透明なペットボトルの内側で、泡沫がサイダーの海を浮かび上がる。 何もかもが夏だった。 それはむせ返るくらいに濃密で、わたしはふいに、過ぎていく一分一秒をすべてつなぎとめておきたくなる。このまま、世界をここだけ切り取って、時間を止めてしまいたい。そんな衝動に駆られるも、神さまでもなんでも無いわたしはただ、「綺麗ですね」とつぶやいた、竜持の言葉にうなずくことしかできない。 気付けば虎太も竜持も凰壮も、みんなじっと花火を見つめていた。 だんだんと少なくなっていく新聞紙の上の線香花火が、わたしたちの間に哀愁をもたらす。四人のそれはきっと、一ミリだってたがわずぴったり重なっていた。 夏が終わったら、わたしたちはこの次、いったい何時会えるのだろう。 暇なわたしこそいつでもここにいるけれど、竜持は研究が忙しかったり、海外ですごす虎太にはお盆やお正月の休みがあまり無かったりで、帰省すること自体あまり無い。都内の大学に籍を置きながら柔道をしている凰壮だけはここに住んでいるけど、彼だって大会やら強化合宿やらで忙しい。 夏が終わったら、バラバラだ。 「…あ」 竜持が短く声を上げた。 「いえ、なんでもないんです。花火が落ちただけで。そうだ、スイカ切ってきますね。今夜、母さんいなくて」 「わたし手伝おうか?」 「大丈夫ですよ、切るだけですから。皆さんは花火、やっていてください」 竜持は先の落ちた線香花火を水をはったバケツに入れて立ち上がり、足早に家の中へ消えていった。 「…おい、なまえ」 玄関のドアががちゃりとその背中が見えなくなったとたん、凰壮がわたしの名前を呼んだ。 その拍子にぷっくり膨れていた凰壮の線香花火は地面に落ちるけど、凰壮は気にとめる様子もない。その声音と瞳はいつになく真剣だった。 「お前、竜持とどうなった」 「なに、どうなったって」 「惚けんなよ、聞いたんだろ竜持のこと」 「ああうん、それね…」 私を射抜く凰壮の瞳にいたたまれなくなって視線を落とすと、わたしの線香花火はすでに消えていた。わたしはそれをぽいとバケツに投げ入れる。 「おかーさんがおばさんから聞いた、って嬉しそうに話してくれたよ。すごいよねえ、京都の国立大に行ったかと思えば、今度はアメリカの大学から声がかかって留学でしょ。こんなのが幼なじみだなんて信じらんないよ、あんた達もだけどさあ」 「二年は帰って来ないって話も聞いてんだろ」 「うん」 「俺、なんも言わねえって決めてたんだけどさ、お前らほんとにこんなでいいのかよ」 こんな、の部分に力をこめた凰壮に、視線を上げる。凰壮は額から流れる汗を甚平の肩口でぬぐった。気付けば虎太の二つの瞳も、まっすぐ私の方を向いている。 「…わたしと竜持はさ、」 「……」 「たぶん、二人が思ってるふうにはならないよ」 「…んだよそれ」 「竜持を、わたしなんかが引き留めちゃ、いけないんだよ」
小学生でこの町に引っ越してきたそのときから、こいつらは誰よりも頭がよかった。中でも竜持は飛び抜けていて、竜持より頭のいい人をわたしは今までに見たことがない。 しばらく竜持といっしょにいれば、竜持の考えることが、見ているものが、わたしのそれとはまるで違うことなんてすぐにわかる。 竜持はそれこそ数学オリンピックの日本代表になるくらい、世界で通用するくらい頭がよくて、そのうち世界で一番だって取っちゃうんじゃないだろうか。竜持の世界はきっとこれからどんどん広がって、いろんなものを見て、いろんな人に出会い、いろんなことを思うんだ。竜持の未来は可能性に満ちあふれてる。 そんな竜持を、わたしが、一介の女子大生で、特筆するならただ、十年やそこらを一緒にすごしたってだけのこのわたしが、竜持を縛り付けていいわけがない。世界にだって羽ばたける竜持を、この小さな桃山町にくくりつけるわけにはいかないのだ。 凰壮が眉根にシワを寄せる。虎太は私の背後、玄関扉の方を見つめて黙っている。 だめ押しの一言は、喉の奥からせり上がってくるいがいがに遮られた。だけどもう、わたしだけが遠くへ行けない子どもではいられない。諦めたつもりで諦められていなかった、そんな自分へのもやもやを外にぶつける、こんなわたしは今日で終わりだ。 わたしはきゅっと喉に力をこめる。 「要するに、竜持にはきっとわたしなんかよりもずっといい人がいるよ、ってこと。大切な幼なじみの幸せくらい願いたいじゃない」
虎太がサイダーに口をつけながらめずらしく「めんどくせえの」とつぶやいたこと、凰壮が「俺たちだって、」となにかを言いかけたこと、視界がゆらゆら揺れる理由、それから、おそらくスイカの乗ったおぼんを持った竜持が、玄関のドアの内側に立っていること。 全部ぜんぶ気付いていながらしらんぷり。
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