竜持くん。なんですか、なまえさん。
竜持くん。なんですか、なまえさん。

何度目かわからないわたしの呼びかけに、竜持くんは何度目かわからないこたえを返す。
竜持くん。なんですか、なまえさん。
その先には、たしかに竜持くんに言いたいことがあるはずなのに、竜持くんの声をきくと、とたんにうまく言葉が出てこなくなる。
まごつきながらも声を押し出そうとするけれど、竜持くんとぱちりと目があって、わたしはなぜか押し黙ってしまう。さっきから、こんな「なぜか」のくり返しだ。
竜持くんの、綺麗に切り揃えられた前髪からのぞく暗い赤の瞳を見ていると、得体のしれない感情が私の中に流れ込んでくる。出所のわからない焦燥感、今すぐ駆け出してしまいたい気持ちと、もうしばらくこうしていたい思いとが、胸の内でぎゅうぎゅうせめぎあう。考えれば考えるほど、わたしのあたまの中はぐちゃぐちゃになっていく。竜持くんはまばたき一つしない。わたしも竜持くんから目をそらせない。そのうちに、ぐるぐる目がまわって浮遊感、上と下がわからなくなる。頭が鈍い痛みを持つ。目の前が、ちかちか光る。
たまっていく、得体の知れないもやもやを吐き出そうと口をすぼめて、声が出る、すんでのところでとどまった。
意味のない問答を繰り返して一体なにになるのだろう。竜持くん。わたしがそう呼びかければ、竜持くんはまた、なんですかなまえさん、と笑うのだ。その何もかもを見通したような笑みを見たら、わたしはまた何も言えなくなって、いっそう苦しくなるだけなのだ。
口をつぐむかわりと言わんばかりに、わたしは勢いよく竜持くんへとびつく。しっかりと受け止めてくれるかと思いきや、竜持くんはあっけなく後ろへと倒れ、床に手のひらをついた。
わたしは竜持くんの腰のあたりにまたがる形になる。竜持くんは本当はきっと、ちっとも驚いてなんかいないのに、さもびっくりしたかのようにつり目をぱちくりとまたたかせる。
「なまえさん?」
弧を描く竜持くんの唇。
「どうか、したんですか?」
深い色を湛えた瞳が、ちらりと光った。あ、わたし、からかわれてるなって、わかった。
すると、「竜持くん、わたし…」とようやくひらいた重い口も、閉じずにはいられない。だって、くやしい。さっきまであんなに口に出すのをはばかっていたのに、急に話す気になるなんて、竜持くんにうまく乗せられたみたい。しかも、「みたい」じゃなくて実際そのとおりだから、否定する余地もなくて、もっとくやしい。だけど竜持くんは、そんなわたしの心の動きさえも掬ってしまうから、くやしがることだってくやしい。くやしい、くやしい。ふいに竜持くんと目があう。竜持くんはみけんにしわをよせるわたしを見て、眉尻をさげながらも口元には笑みをうかべる。「なまえさん?」
呼ばれた名前に反応して、わずかに声が漏れそうになった。
ときどき、わたしはどうもいつのまにか、竜持くんのいいように動いている、と思う。サッカーの試合でオウンゴールを狙うときみたいに、こう言えば、こうすればわたしがこう考えるからって、全部ぜんぶ見抜かれているような気がする。
実際、竜持くんが自分たち(たち、と言うのはもちろん虎太くんと凰壮くんのことだ)のいいように世論を流してしまうところを一度と言わず見たことがある。
ひょっとしてわたしも、きづかないうちに竜持くんにマインドコントロールってやつ、されてるんじゃないか。
「何か言いたいことがあるんでしょ?」
そんなわたしの気を知ってか知らずか、竜持くんは薄い唇をゆがめてわたしの表情をわざとらしくうかかがう。わたしはせめてものの抵抗にじろりと竜持くんの整った顔をにらみつけてやった。もっとも、竜持くんは「そんな顔で睨まれても、説得力に欠けますよ」って顔をしてる。竜持くんはこういうときだけわかりやすい。
「べつに、竜持くんがむかつくだけだもん…」
「ふうん」
ぷいと顔をそらした。どうせ、竜持くんは余裕の笑みだ。見なくたってわかる。唇をつきだして目線を下に。小さい子がすねるみたいにして黙っていると、竜持くんがのどを鳴らして笑った。
「うそつきですね。ぼくに、慰めてほしいくせに」
竜持くんがにやりと笑う。わたしの顔がひときわ赤くなる。
ずるいずるい。竜持くんずるい。だからむかつく、だいっきらい。なんで何も言わないのに分かっちゃうの。とは言わない、くやしいから。そのかわりに竜持くんの胸をぽかんと一つ、叩く。竜持くんはすました笑いを浮かべたまま。
竜持くんのばーか。って言ったら、そうですね、だって。もう、むかつく。竜持くんむかつく。ぽかぽか竜持くんの胸を叩く。
「…そんなに涙をためこんでるのに、意地を張らなくてもいいでしょ」
竜持くんは、呆れた顔。
ばか、ばか。これは汗だし。そんなんだから竜持くんモテないんだ、うそ、竜持くんすっごくモテる。竜持くんのくせに、むかつく。
じわりと視界がにじんだけれど、竜持くんに涙、もとい汗なんて見せたくないから、目を見開いてひっこめて、ついでに竜持くんの肩口に目元を押し付けた。水分が布地に奪われていく。
「今日はなんですか。おばさんに叱られましたか、それともまたぬいぐるみを無くしたんですか。怖い映画でも見ましたか。」
あたり。全部あたり。だけどくやしいから首を大きく横にふってやった。でもどうせ竜持くんはそれが嘘だってわかってるし、他にも友達とケンカしたことや漢字テストで0点をとったことが原因なのも、きっと気付いてる。竜持くんはとってもムカツクやつなのだ。
「なまえさんのくせに、我慢なんて殊勝なこと、似合いませんね」
「わがままですいませんー」
「ふてくされないでくださいよ、褒め言葉です」
うそつけ。竜持くんの言葉に振り回されてばっかりのわたしだけど、それがウソだってことくらいはわかる。そう言ったら竜持くんは「ばれちゃいました?」と笑った。むだに爽やかなのがイヤミだ。
「竜持くん」
「なんですか」
「おなかすいた」
「はい」
「ジュースのみたい」
「はい」
「あと、昨日よふかししたからねむい」
「そうですか」
竜持くんはわたしの言葉ひとつひとつに相槌を打って、小さい子にするみたいにあたまをなでる。竜持くんの手、あったかい。竜持くんに触れてる部分からやさしい熱が伝わってくる。
竜持くんが呼吸をするたび上下する肩に合わせてわたしも息を吸うと、心のわだかまりがさらさらと消えていく。
「竜持くん、いい匂いする」
「はあ」
「お金持ちの匂い」
「…はあ」
「竜持くんの匂い、すき」
「…そういうのって普通、ぼくのセリフじゃないんですか」
「え?」
「……っ、なんでもないです」
竜持くんが言いよどむなんてめずらしい。顔をあげて竜持くんの目を見るけどすぐにそらされた。
変なの。竜持くん変なの。あたまのいい竜持くんの考えることは、わたしにはとてもじゃないけど分からない。
「ぼくに言わせれば、なまえさんの方がわかりませんよ…」
ええー、うそだあ。
「うそなんかじゃないですよ、ぼくはいつもいっぱいいっぱいですから」
どの口が言うんだか。わたしのこと、全部見透かしちゃうくせに。みんなのことをいいように操ったりしちゃうくせに。
「人聞きが悪いですね。まあ、否定はしませんが」
「しないんだ」
「いつも、っていうのは冗談ですかね」
竜持くんは歌うようなくちぶりとは裏腹に、めずらしく、どこか儚げなほほえみをつくる。
「でも、分かるだけじゃどうにもならないことって、ありますし。ほんと、コレだけは思うようにいきませんね」
苦しそうにおかしそうに言った竜持くんは、目をしばたくわたしの髪にひとつ、くちづけを落とした。


/散らばる言葉に方舟を
title by M.I
120603



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