地べたに座り込む彼女の後ろに立ち尽くして、一体どれほどの時間が経っただろう。塗装されていない地面はきっとその脚や手を汚している。そんなことを気にせずただそこに座り込んでいるだけの名前は、泣いているのかもしれなかった。或いは、唇の裏側を噛んで涙を堪えているのかもしれない。名前はそういう人間だ。自分の感情を大っぴらにせず押し殺し、取り繕う。「なァ、」居た堪れなくなった荒北は、常より小さく見える背中にそっと呼びかけた。

「……そろそろ帰んぞ。寮の門限過ぎちまう」

 口を大きく動かし、大きな声で話すのが荒北の特徴だったが、今ばかりはそう出来ず、唇を僅かに動かす程度のひそやかな声音だった。名前の土に汚れた手が目に入る。彼女の前の地面は少しだけ盛り上がっていた。埋めたのだ。大切なものを。そうするしかなかった。

 名前が可愛がっている三毛猫がいた。箱根学園の傍に住み着いているらしい年老いた野良猫は、例えば彼女が近くのコンビニへ向かう時などによく見かけて、最初は警戒されたものだが日数を重ねてすっかり慣れきった頃、猫好きな荒北に紹介された。
 ウサ吉のように学校で飼うことはなかったが、荒北と名前はこっそりその三毛猫に会うのを楽しみにしていた。二人の秘密のようなものだ。コンビニの傍で、煮干しや猫缶を与えたこともある。
 今日もそのつもりで、自転車部の練習を終えた荒北が、遠まわしに猫に癒されたいと言うので、二人はコンビニに向かっていたのだが。その道のりに、猫はいた。
 車に轢かれて息絶えた、三毛猫だった。


 それから、会話という会話をした記憶はない。名前は荒北が何を言うのも聞こえてないみたいに、一人で粛々と弔いの準備を進めた。手が汚れるのも構わず、熱の消えた野良猫の骸を抱え道路から外れた土に穴を掘り始めたので、荒北もそれを手伝った。垣間見た土だらけの手は指先がぼろぼろになっていた。

 現実味が無い光景だ、と彼は思う。けれど埋葬が終わり、柔らかな土の盛り上がりを見た時、ああもうあの猫には会えないのかとやっと理解した。荒北とて悲しみは感じている。何せ彼は猫好きの上、自らの手で可愛がった猫だ。悲しくないわけがない。何も気の利いた言葉が出てこないのは、理解していても、未だ実感が無いからだろうか。


「……いいよ荒北くん、先に帰ってて」

 今にも死んでしまいそうな声だが、湿ってはいない。名前は泣くのを我慢しているらしく、恐らく荒北が先に帰れば一人で泣くのだろう。気を利かせて先に帰るのが彼女のためかもしれないが、荒北はそうしなかった。何せ周囲はすっかり暗くなっていたし、学校の傍とはいえ女を一人残すのは得策ではない。それに彼は、こんな時だからこそ名前を一人にしたくはないのだ。

 チ、と舌打ちした荒北はがしがしと乱雑に頭を掻きながら名前との距離を詰める。近づいて来る足音に、無理矢理引き摺られるのかもしれないと身を固まらせた彼女だが、覚悟した接触は無く、代わりに、生きているものの熱が背中に触れた。
 名前の後ろに腰を下ろした荒北が、背中を押しつけ寄り掛かっている。背中合わせのゼロ距離で、彼は居心地悪そうに何度か身動いだが、そこから離れようとはしない。

「荒北くん」
「るっせ。……オレだって悲しいっつの、アイツが死んじまって、」
「……かなしいね」
「悲しいなら泣けばいいだろ」
「泣かない」
「オレ後ろ向いてっから、おまえがどんな顔してるのかも全然知らないしィ」
「門限、過ぎちゃうよ」
「……さっき新開にメールした。アイツが上手くやる」

 つんとして、日頃と変わらぬ態度と口調に潜む気遣いと優しさは、少なからず名前を救った。声を上げず、鼻を啜ったりもせず、彼女は音も無く涙だけを流す。背中越しの温もりは何も言わず寄り添って、名前の気が済むのをじっと待っていた。



 それから数日、野良猫が好きだった煮干しを持って墓参りに行った。あの時は薄暗くて気付かなかったが、盛り上がった土の周囲には、背の低い花が咲いている。群生せず、一本ずつ咲く釣鐘型のその花を見た荒北は、すっかり乾いた土の前で手を合わせる名前の袖を引いて疑問符を浮かべた。

「アレ、何て花?」
「ん……分からないけど、図書室で調べてみようか」

 名前の提案にひとつ頷いた荒北も、彼女の隣に立ち両手を合わせて目を閉じた。
 ひっそりと咲く青紫色の花が、静かな風に揺れる。


「 リンドウ:あなたの悲しみに寄り添う 」





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