「今日は、調子はどうだ?」

殺風景な病室に、ぱっと光がともる。それは、彼が入ってきたからで、私は慌ててベッドサイドの鏡を見て髪を撫で付けた。よかった、今日は入浴したばかりだ。

「寿一くんいつもありがとう。今日はすっごく元気だよ。」

「そうか。それは安心した。」

表情がないと言われている彼、福富寿一くんだけど、私には今その表情が緩んだように感じられた。今日もまた寿一くんの手には一本の薔薇が握られていて、クリアペーパーと赤いリボンで装飾されている。私が好きな花、薔薇の花をこうしてほぼ毎日、病室まで届けてくれている。毎日、お仕事と自転車の練習で忙しいだろうに、私のためにこうして少しでも顔を見せようとしてくれる寿一くんの存在が、とても大きかった。

「名前。」

「うん?」

ベッドサイドの椅子に腰掛けて、寿一くんは少しだけ私との距離を詰めた。受け取った今日の分の薔薇をもつ私の手を、寿一くんの手がそっと握った。サイクルグローブをつけていたんだろう、すこし汗ばんでいた。

「明日、不安か?」

そう問いかけてきた寿一くんの目は、いつもどおりとっても強い。不安かと聞きながら、同時に私の不安を拭おうとしてくれている。私は明日、退院するための大きな手術をする。けれども少しも怖くなど無かった。そうだ、この瞳がこの手が、私の傍にはいるんだと思えたから。

私は、ふるふると首を振ってニッコリと笑って見せた。

「不安じゃないよ。寿一くんがきてくれたから!絶対、元気になるんだから!」

「ああ、俺もそう願っているし、そうなると信じている。」

「うん!…あ、これ、持っていって。薔薇の茎と葉っぱ。」

「茎と、葉?」

私はふと思い出して、ベッドサイトテーブルにおいてあった薔薇の茎と葉の束を寿一くんに差し出した。すっかり乾燥しているものもあるが、そんな茎と葉でさえも私は捨てることができなかった。
とても不思議そうにそれを見つめている寿一くんに、「大丈夫、棘はとったよ。」というと、手に握らせてあげる。

「薔薇の茎と葉は、お守りなんだって。調べたらね、”あなたの幸福を願います”ってメッセージだって。寿一くん、明日ひとつレースに出るって言ってたでしょ?昔の仲間も多く出るから、気合が入っているって。だから、これお守りにして。私、見にいけないけど応援しているから。」

大好きだった薔薇の花には、茎と葉にまでメッセージがこめられていると知った。そんな薔薇の茎と葉を、しばらく寿一くんはじっと見つめていたが、何かを決めたようにこちらを見る。黒い瞳は意志が強くて、私は何度見つめられても慣れない。

「名前、そういうことならこれは半分お前が持つといい。一度送った花をもう一度差し出すのはおかしいが…。俺も、お前の幸福を願っている。そして誰よりもだと、自負している。」

「…寿一くん。」

「明日、しっかりやりきって待っていてくれ。レースが終わったら、すぐに来る。」

少しだけ口元が微笑む。私にだけわかる変化らしいけど、それが最大の私の幸福だった。幸福を願われるそばから、私はこんなに大きな幸福を貰っている。すこし涙ぐんだ私の頭を抱き寄せて、寿一くんは「大丈夫だ」と言ってくれた。

彼の出て行った病室で、赤い薔薇のほんのりと甘い香りが漂った。


*


次の日、麻酔によって虚ろな意識の中でうっすらと目を開けたとき、家族と寿一くん、そして寿一くんと同じようなサイクルジャージを身につけた人たちが何人か見えた。家族がほっとして笑う顔が見え、寿一くんもほっとしたように、私のお父さんと話しているようだった。

「フク、忘れていないだろうな?」

「ああ、問題ない。」

私の家族が一旦病室から出て行くと、寿一くんとお友達がコソコソと話をし始める。私も大分意識がはっきりしてきて、それを目で追うことができた。すると一人の友達が私にこそっと耳打ちをした。

「寿一、今日優勝だったんだ。」

「す、ごい…。」

「おいおい、ムリして喋らない方がいいんじゃナイ?」

「だい、じょ…ぶです。」

私が答えると、優しそうな人とちょっとキツイ感じがするけど私を気遣ってくれた二人、そして先程寿一くんと話していた一人が、すすす…と寿一くんを私の傍に通した。ガサガサと音がするのを聞きながら、私は視線を懸命に寿一くんにむけようとする。すると、寿一くんを視線で捉える前に、大好きな薔薇の香りが鼻を刺激した。

「じゅいち、くん…?」

「名前。」

私に見えるところまで持ってきてくれたそれは、数え切れないほどの薔薇の花だった。

「お守りが効いたようだ。今日は優勝できた。」

「…う、ん。おめで、とう。」

「これはお返しというわけではないが、俺からのメッセージだと思ってくれ。」

体をおこすことの出来ない私の胸に、そのたくさんの薔薇の花束がのせられる。かろうじて動いた腕を花束に添えると、その手のひらを寿一くんが軽く握った。

「調べたら、薔薇は奥が深いな。…この花束は、108本の薔薇なんだが。」

「ひゃくはち…そんなに?」

「ああ。」

短い一言の後、私の手を握る力が、強くなった。

「名前、俺と、これからもずっと一緒にいて欲しい。俺と、結婚してくれ。」

108本の薔薇のメッセージだ、と寿一くんは付け加えた。私は一瞬、麻酔のせいで耳がおかしくなったのかと思ったけれど、薔薇の花束越しに見えた寿一くんの目を見て、現実なのだと確信した。確信してしまうと、胸が詰まるような感覚が襲ってきて、私は涙がぽろぽろこぼれて止まらなくなってしまった。

「いやか?」

私は、違う違うと首を振った。遠くで、「嫌な分けないじゃんフクちゃん。」とか、「まあまあ、寿一も緊張してたんだ。」とか、「フク、やったな!」など反応が聞こえる。私は涙を零しながらも、なんだか笑顔になってしまう。

「じゅいち、くん。すごく…うれしい…たいいん、したら…どれす、みたい」

「あ、ああ。」

「うれしい。」

にこっと笑った私に、寿一くんもフと笑った気がした。
108本の薔薇はいくつかの花瓶に分けて飾られて、その傍には、茎と葉の束にリボンをつけたものが置かれた。

私が退院して、すっかり元気になって、寿一くんと指輪やドレスを見る頃、108本の薔薇も全て茎と葉に変わる。一番に幸福を願う相手が傍にいること。これが私の幸福なのだと、心から思った。


「 薔薇:あなたの幸福を願う 」





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