「好きなんだろ?」と田所っちに言われ、危うくパックの牛乳を吹き出しそうになった。
好き?好きって、なんだ。誰が、誰を


「なんだよ、無自覚か。まあそういうの鈍そうだもんな」


豪快に笑う田所っちは、外見とは裏腹にうちの部で一番他人の感情の機微に鋭いと思う。それが面倒見の良さであったり、こういう下手なアドバイスだったりにつながっているのだ。


「別に、好きとか嫌いとかないっショ、もうそんな雰囲気じゃ……」
「そういう雰囲気だと思ったんだけどよ。だってお前らの空気って、熟年夫婦みたいだぜ?」
「……それでなんで『好き』になんだヨ」
「いや、そーゆーのが、お前には一番楽だろ?」


すべて見透かされているみたいでなんだか少し腹が立って、俺はそれ以上言葉を返すことはなかった。


好きなんだろ?と聞かれたその相手は、うちの部のマネージャーである苗字だ。あいつとは当然、多くの時間を共に過ごしてきた。まあ確かに、初めて会った時から、不思議な空気を持った奴だとは思っていたが。

俺たちが二人でいるときは、特に何もしゃべらない。思いついたときに、思いついたことをぽろりと口にする。例えそれに共感しようがしなかろうが、相手に関係あろうがなかろうが知ったこっちゃない。話したいことを話して、黙りたいときに黙る。人とあまり関わりたくない自分が唯一、楽でいられる相手だった。

なぜ楽なのか、それは彼女が猫みたいだからかもしれない、と思った。必要な時だけそばにいて、必要がなくなれば去る。そのタイミングもばらばらで、しかも絶妙だ。もう少し一緒にいたいな、と思うような絶妙なタイミングで消えていく。誰かと一緒の空間は、同性でさえも苦しいこの自分が、だ。


ああ、なんとなくわかってしまった。ここまで考えて、やっと。




練習後、俺は部室の中で自転車を回していた。俺だけが委員会の仕事で遅れて練習に参加したため、なんとなく走り足りなかったのだ。今日に限って2人はさっさと帰路につき、残るのは日誌をつける苗字だけだった。


「そいえばさー」


ふと、思いついたように苗字が呟く。タイヤを回す音で消えるか消えないか、というか、聞かせる気もないのだろうが。


「もうすぐ月見ばーがーの季節だね」


ほらみろ、すげえくだらない。


「あのCM見ると、秋が来たって感じがするんだよねー」


勿論、こちらをちらりと見もしない。シャープペンも走り続けていて、既にその話題は苗字の中で終了したらしく彼女が最近はまっている曲の鼻歌が始まった。


「……その曲、いい加減覚えた」


部活中気付けば奏でられている鼻歌は既に俺の中まで侵食している。しかしこんな文句みたいな言葉を聞いても返事はない。その気楽さに、荒い息遣いの間から言葉がこぼれる。


「CD、持ってんショ。」
「貸してあげようか?」


貸してくれ、と言わせる前に、苗字の背中がそう言った。なんとなく腹の底がむず痒くなって、湧き出す何かに口元が緩む。ここまできてこの前言われた「熟年夫婦」という単語が頭をついた。こういうことか、欲しいときに、欲しいだけの、心地よい言葉というのは。

ぱたんと音を立ててノートを閉じて、名前は荷物を手に立ち上がった。一応くるりと振り返り、まっすぐにこちらを見据える。


「じゃ、今日は帰るわ」
「おー。気をつけろよ」
「巻島もほどほどにね」


部室の扉に向かったその背中はいつも通り。全てを振り切るように潔く、まるで俺なんて見てないみたいなそんな背中。
その気高く凛々しい後ろ姿を、もっと見たいと思いながら
俺はずっと、声をかけることはできなかったんだ。
名残惜しさみたいなものを、勝手に胸に抱いて


「なァ、」
「え」
「もーちっと、いねえ?」


振り返った彼女は、猫のように笑う。妖艶に、小馬鹿にしたように、追い回したくなるようなそんな笑みで、
俺の手を、猫のようにすりぬける。


「はは、珍しいね。なにそれ」


縛られることが嫌いで
都合がよくて
わかるんだ、お前は


「……一緒に帰りたいなら自転車で追いかけてくれば?あたし、歩きだから」


俺の思い通りになんかならない。


君を追って迷う思考の迷路
(わかってしまった、迷路の先にあったのは)
(君を手に入れたいという『感情』)





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