私を庇った灰原の顔に傷ができた。
顔、といっても耳のすぐ上の側頭部に二センチ程、髪が伸びれば隠れるくらいの傷だった。それでもたくさんの血が出て、家入先輩が駆けつける前に何針か縫わなければいけない程度の傷ではあって、今まで見たことのないくらい苦痛に歪んだ同期の顔を見ながら、私は、呆然とその場に立ちすくむことしかできなかった。

「うう……五条さんは容赦無いなぁ〜……」

夏油先輩との組手を終えて、少し休憩しようかとベンチに向かえば灰原がぐったりと倒れていた。その脇にしゃがんでいた家入先輩は、私に気がつくと「後は任せた」と言ってそそくさと立ち去ってしまう(左手に持っていたタバコの箱は見なかったことにしよう)。
家入先輩がしゃがんでいたところへ、私はジャージが汚れるのも構わずに座り込んだ。どうせこの後は五条先輩に何度も地面へ投げられて土埃まみれになるのだ。先に犠牲になった同期に憐れみの視線を向けていると、灰原は目をつむったままうう……と唸って冒頭の言葉を吐いた。

「今日はまたずいぶんやられたねぇ」
「うん…………うん!?家入先輩は!?」
「一服しにいったよ」
「え、この前『未成年だからダメですよ』って言ったのになぁ」
「灰原の言うことなんて聞くわけないじゃん」

はは、と乾いた笑いを漏らせば「じゃあ名前からも言ってよ」と間髪入れずに真っ直ぐな言葉が飛んでくる。ちらりと隣を見ると、横になったままの灰原の、大きな黒い瞳が私を見つめていた。距離が近いからか、いつになく視線が痛い。
ふと、彼の瞳をたどった先、一ヶ月程前に私のせいでついた傷が気になって手を伸ばした。瞳と同じ真っ黒な髪に触れた瞬間、ぎくりと灰原の身体が強ばる。

「え!何!?」
「傷、残ってるかと思って」
「……もう大丈夫だよ。あと今すごい汗かいてるからヤメテ」

髪をかき分けて傷へたどり着く前に、灰原の腕が伸びて私の手を掴んだ。手首を掴む彼の手はとても熱い。その向こうにある顔も、照れているのか困っているのか、少し赤かった。
パ、と手を離した灰原は、私から視線を外してどこか遠くを見た。つられて同じ方向に目をやれば、五条さん相手にあと一歩が踏み出せず、ジリジリと距離を取っている七海の後ろ姿が見える。

「あはは、七海がんばれー」
「……私は借りだと思ってるから」
「ん?何が?」
「いつか必ず返すからね」

灰原の瞳がまたこちらを向いて、何か言いかけた気がした。それを遮るように立ち上がった私は、一体何を怖がっているんだろう。貸し借りなんかする仲じゃない、なんてこのお人好しの同期は言うのだろうが、私はその優しさに甘えてしまいそうになる自分が嫌いだった。いつだって半歩遅れてしまう自分が、心のどこかで自分では無くて良かったと考えてしまった自分が絶対に許せなくて、恐ろしかった。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -