「真希ちゃん……」
「何だよ」
「緊張で吐きそう」
「吐いてもいいけど、今この場で吐いたら絶交だからな」
「し、しんらつぅ」

手入れしている呪具からは目を離さずに、淡々と応える真希ちゃんの隣で私はハァ〜〜と大きなため息を吐いた。
今日は実習訓練の日だ。しかも、今回はいつものように学生だけで任務へ向かうものではなく、一級か準一級術師の元に私たちが一人ずつ配置されて担当術師のサポートをするという内容になっている。そして今回私がサポートする術師は、なんと……あの憧れの七海さんだった。

「真希ちゃん……私、息できてる?」
「今はな」
「うわぁ〜んどうしよう!?これで足引っ張って七海さんに嫌われたら生きていけないよ!!」
「ま、せいぜい死なねぇように頑張れよ」
「……」
「名前?」
「ハッ!ごめん……緊張で意識トんでた……」
「……(七海サン、面倒見いいから大丈夫だよな…?)」



◆◆◆



高専の授業の一環で名前が自分のサポートにつくと知ったとき、ああこれは彼女の担任が一枚噛んでいるな、と七海は苦い表情を浮かべた。先日の居酒屋での件といい、あの厄介な先輩は何かにつけて彼女と自分の接点を作ろうとするのだ。そのたびに、肝心の彼女といえば「七海さん!」と瞳を輝かせて自分の名前を呼んでくるものだから……この子は本当に私のことを慕っているのだな、なんて、自意識過剰とでも言われそうなことを考えてしまうのも仕方がないことだと許してほしかった。

「きっ、今日はよろしくお願いします!!」
「そんなに緊張しないでください。本来なら私一人で足る案件ですから」
「う、ハイ、七海さんの邪魔にならないよう精一杯頑張ります……」
「……あまり自分を下げるものではありませんよ。五条さんからアナタの実力は聞いてますし」

名字さんのこと、信頼してますから。
言ってしまってから、七海は自分を見上げる瞳がまたキラキラと輝いているのを見て、本心とはいえ思ったことをすぐ口にするべきではなかったと少し後悔した。



◆◆◆



「……こんなもんかなぁ」

今回私が与えられた仕事は、ここ一帯の呪力に引かれて集まった低級呪霊の牽制だった。群がっていた蝿頭があらかた片付いたことを確認し、ふうと息をつく。

「ええと、七海さんは……」

キョロキョロと周囲を見回すと、数十メートルほど先に、今回のメインである準一級呪霊を一刀両断する七海さんの後姿が見えた。その凄まじい光景に、思わずごくりと唾を飲む。……すごいなぁ、自分より下の階級とはいえ、準一級呪霊を一人で難なく祓っちゃうんだもん。やっぱり七海さんは、今も昔も私にとって一番の憧れの人だ。
辺りに呪霊の姿がないことを確認すると、名前は七海の元へ駆け寄った。それに気付いた七海は、一直線に向かってくる名前の姿をじっと見て、心なしか表情を曇らせる。

「……名字さん」
「七海さん、お疲れ様でした!準一級相手にさすがです!」
「今日は私の術式と相手の相性が良かったのもあります。それより名字さん、」
「あ、私は想定より手こずってしまって……お見苦しいところを見せてすみません」
「いえ……そうではなく」

名前の顔から足元へ、視線を落とした七海が、突然何も言わず名前に背を向けてしゃがみこんだ。……え?何事?状況を理解できずうろたえる名前に、振り向いた七海は少し呆れた顔をしている。

「足首、痛めてるでしょう」
「え!?」
「歩き方が変でしたよ。車まで背負いますから」

早く乗ってください。そう言ってまた前を向いてしまった七海に、名前はポカンと口を開けたまま固まった。……確かに、蝿頭に紛れて近付いた三級呪霊に吹っ飛ばされた際、着地に失敗して足首を捻ってしまった。時間が経てば腫れるだろうけど、別に歩けない程の痛みではないし。まあいざとなったら七海さんに少し肩を借りようくらいには思っていた……けれど。
それから数秒後、辺り一帯に響き渡るような声で「いやいやいやっっ!!!!」と叫びながら、名前はブンブンと両手を激しく横に振った。

「そんな、あの……!背負われる程の怪我では……!!」
「嫌なんですか?」
「嫌なわけないじゃないですか!!!」
「ならつべこべ言わずに乗ってください。時間がもったいない」
「ハイすみません」

おずおずと背中に寄りかかれば、間髪入れずに「しっかり掴まってください」という声が飛んできたので名前は慌てて目の前の肩を掴んだ。次の瞬間、グッと目線が高くなり、思わずワイシャツをぎゅっと皺になるくらい握りしめてしまう。……不幸中の幸いは、今この瞬間七海さんからこちらが見えないことだろうか。だって、私の顔はきっと、今にも爆発しそうなくらい真っ赤に違いない……ああどうか、せめてこのうるさい心臓の音が七海さんにバレませんように……!
七海はそんな名前の状況を知る由もなく、数歩進んだところで「名字さんは」とふたたび口を開いた。

「は、はい!何でしょう!」
「……」
「七海さん?」
「私のことを、慕ってくれているでしょう」
「えっ」

ザックザックと、七海が地面を踏む音だけが辺りに響く。短く声を発した後、名前が黙ったまま数秒が経ったので、七海ははあと小さく溜息を吐いた。

「……すみません、私の自意識過剰でした」
「え……あ、」
「今の発言は忘れてください」
「いやいや!自意識過剰じゃないです!私好きです、七海さんのこと!!」
「そうですか」
「あっ!」

言ってしまったーーー!!!!!!
思わず手を離して頭を抱える名前の姿を知ってか知らずか、七海はしばらく何も言わず、いつの間にかその足も止まっていた。「……私は」数秒の沈黙の後に、先に口を開いたのは七海だった。

「そういった感情が、名字さんの足を引っ張らないか心配してるんですよ」
「私の……?」
「大切なものを天秤に賭けられて命を落とした呪術師は、存外多いですから」

その声は淡々としていたが、誰か……命を落とした仲間の顔を思い出しながら話しているのか、重々しくも感じられた。名字も呪術高専に入ってまだ一年目ではあるが、呪術師の端くれとしてその言葉の意味はしっかりと理解できたし……その答えはもうすでに、七海さんと再会してから過ごしたこの数ヶ月の間で決まっている。

「……それは大丈夫です。だって私、七海さんがいるから頑張れるんですよ」

七海さんは幼い自分の命を救ってくれた。あの時あの場所で、七海さんに出会っていなければ私は今ここにいなかった。死はきっと驚くほど私たちの身近にあって、それは呪術師になると決めてから尚更、怖くて時には逃げ出したくなることもたくさんあったけど。七海さんのことを想えば、私はしっかり地面に足をついて戦うことができた。七海さんの助けになりたくて、少しでも私のことを見てほしくて、そしてできるなら……いつの日か隣を歩くことができたらなぁなんて、そんな夢を見ることができるから、辛くたって怖くたって頑張ることができるのだ。

「だから私は、」
「……今の話は忘れてください」
「えっ」
「名字さんは、変わらず私のことを気に入っていてください」
「ええっ!?」
「ああは言いましたが……アナタに好かれるのは、悪い気がしない」

そう言って、七海がまたゆっくりと歩き出したため名前は慌てて肩を掴む。…………え?もしかして、今の言葉は前向きに捉えてもいいってことだろうか?本当に?
じわじわと遅れてやってきた恥ずかしさや嬉しさやその他諸々の感情で、たぶんきっと私の顔はまた真っ赤に染まっている。

「……七海さん」
「はい」
「好きです」
「あまり吹っ切れるのもどうかと思いますが」
「あはは、やっと言えるようになったんですもん……何回でも言わせてください、大好きです!!」
「……分かりましたから」
「七海さん?……もしかして照れてます?」
「照れてません」
「でも首が赤く」
「今自分が言ったことを思い返してください」
「?七海さん、大好きです!!」
「…………声が大きい」
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