単独での任務を終え、高専に戻るとその足は自然と教室に向かっていた。まだ放課の時刻でもあるまいに、唯一のクラスメイトである家入硝子の姿は無い。彼女は彼女で任務にでも行っているのだろうか……ここ最近は医師免許取得のために色々と奔走しているようだったから、その関係の実習にでも出ているのかもしれない。
誰もいなくとも、このまま回れ右して学生寮に戻る気にもなれず、五条は教卓前の席に座って机に突っ伏した。


「……五条くん?」

静かな教室に響いた自分の名前に、重たい頭を上げれば、名字が教室の入口でこちらを覗き込んでいた。明るい廊下を背にしているせいで、逆光になったその表情はよく見えない。

「具合悪いの?」

近付くわけでもなく、その場に突っ立ったまま聞いてきた名字に俺は「……別に」とそっけなく応えた。彼女は同期の補助監督で、硝子と仲が良くて……お互いの名前は知っているけれどそれ以上は何も知らないような、すれ違えば挨拶はするが立ち止まって話をすることはないような、そんな仲だった。
俺の言葉に名字が何も返さなかったので、またずるずると机に額をつける。別に、と吐き捨てるように言った自分の声が、耳元で何度も冷たく響くのが煩わしかった。
ふいに、隣の席のイスが引かれる音がして、五条はそちらに顔を向けた。傑の席に座る名字と目が合う。近付いたおかげでようやくはっきり見えた名字の顔は、記憶の中にあった彼女よりもずっと大人びていて、笑っているような泣いているような見たこともない表情を浮かべていて、そのことに五条は少しばかり驚いた。

「……名字」
「何?」
「なんか、大人っぽくなった?」

五条の言葉に名字はパチパチと瞬きをする。そうかなぁ。ぽつりと彼女の口から落ちた言葉は、少し寂しげな色をしていた。だって五条くん、半年間、目も合わせてくれなかったもん。彼女の言葉に今度は五条が瞳を瞬かせる。半年間、そうか、半年…………夏油傑がこの学校から去ってから、もう半年もの月日が流れていた。

「名字は、傑と仲良かったんだっけ?」

今度はあまり冷たくならないように、できるだけ声音を軽くして言った。彼女は傑と本の趣味が合うとかで、たまに廊下で立ち話をしているのを見かけた憶えがある。それから彼女が傑に淡い好意を抱いていたのだろうことも、その後硝子と一緒になって傑をからかったせいか、記憶の片隅にあった。

「別に……そんなことないと思うけど」

初っ端の自分のようなそっけない返事が返ってきたと思えば、名字は眉を下げて困ったように笑った。五条くんが苦しそうなのは気になってた、ずっと。声掛けるのに半年もかかっちゃったけどね。笑う顔があんまり悲しげで、しかもその理由が自分であることに五条はまた驚いた。硝子から何か聞いたのかもしれないが、名字にこんなに心配されているなんて、到底思いもしなかった。

「……おれ、は」

気が付けば、心の中で何度も何度も繰り返してきた問いが口をついていた。間違っていたのか。あのとき傑を殺さなかったのは、間違いだったのか。……名字はどう思う?
どうして彼女にそんなことを聞いてしまったのか分からなかった。ただ、自分を見つめる瞳があんまり真っ直ぐで、温かくて、そんな彼女にはっきりと答えを言ってほしかったのかもしれない。それがたとえ自分の選択を否定するものだったとしても、今この場で彼女に言われた言葉なら、素直に受け入れられる気がした。

「……分かんないよそんなの」

短いようで長い間を置いて、名字はそう言った。間違いか正解かなんて分からない、でも、私は信じるよ。五条くんの選んだ方を、信じるよ。
優しく微笑んだ名字の顔が、声が、じわりと滲んで五条はあわててまた机に突っ伏した。鼻の奥がツンと痛む。少し前の自分なら、オマエなんかに分かるもんかと暴れていたかもしれない。術式も使えない、戦う痛みも命を奪う重みも知らない名字が何を知った口を利いてるんだと叫んでいたかもしれない。ただ、今だけは……真っ直ぐで温かい彼女の言葉に涙が溢れて仕方がなかった。

「見てないよ」

わざとらしい声が頭上で聞こえる。あの最強な五条悟が泣いてるところなんて、私、見てないから。その声も震えていることにくつくつと腕の中で笑いながら、五条は声にならない声で「ありがとう」と小さく呟いた。
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