お礼だけお礼だけ…と唱えながら送ったメールは、エラー表示が出ることもなく無事に送信された。どうやら、七海のメールアドレスは高専時代から変わっていないらしい。そのことが喜ばしいような怖いような、というか、このメール自体無視されたらどうしよう…それはアドレスが変わってメールが届かないよりも辛くないか……?そんな悶々とした気持ちのまま家を出て、任務に向かい、帰りの車の中で携帯電話を開くと『新着メール4件』という通知がきていた。やけに緊張しながらメールボックスを開き、送信主の名前を順番に見ていく。三つ目のメールに待ち望んでいた彼の名前を見つけたとき、思わず強めのガッツポーズを決めてしまったため、バックミラー越しに運転席の伊地知くんから「何か良いことでもあったんですか?」と聞かれたのがなんだか恥ずかしかった。



行きつけの喫茶店の、入口から見て一番奥にある角席は私のお気に入りだ。そこに向かい合って座る私たちの前には、先程ウエイトレスが運んできた二人分のコーヒーとモンブランが並んでいる。

「ここのモンブラン、すごく美味しいんだよ!」
「はあ…この店にはよく来るんですか?」
「うん。家から近いし、いつも空いててのんびりできるから」
「それあまり大きい声で言わない方がいいですよ」

私の言葉に嘆息した七海は、そう言って目の前に置かれたカップに口をつけた。「…美味しいですね」続いて聞こえた彼の穏やかな声に、私もそうでしょうと得意げに返しながらその芳ばしい香りを吸い込む。いい匂い。ひと口飲んでカップを置き、今度はフォークを手に隣のモンブランを見る。綺麗な黄色をした栗のクリームも、フォークで割ると見えてくる中の真っ白な生クリームも、濃厚だが甘すぎず絶品なのだ。
向かいの彼も、フォークを取って黄色のクリームに手をつけ始めたところだった。フォークを縦横二回入れて、切り取ったモンブランの直方体を口に運ぶ。飲み込む。コーヒーをひと口飲んで、また切り取った直方体を口に運ぶ、飲み込む、コーヒーを飲む…。あっという間に三分の二程を平らげたところで、七海はフォークを皿の端に置くと小さく息を吐いた。

「アナタの言うとおり、モンブランもとても美味しいですね」
「でしょう!良かったぁ…七海に気に入ってもらわないとお礼にならないし」
「…わざわざ、お礼なんてされるほどのモノではなかったんですが」
「そんなことないよ!あのカスクート、すごく美味しかったもの」

少し表情を曇らせた七海に、私はブンブンと手を振る。そう、今日はこの前バッタリ遭遇したときに貰ったカスクートのお礼をするために七海を呼び出したのだ。突然の…しかも彼はもう関わり合いになりたくないだろう呪術師である私からの誘いを、彼は意外にも快諾したのでちょっと拍子抜けしたのはここだけの話である。
一緒にケーキを食べるだけなら、七海に迷惑を掛けることもないだろう。だって私たちは高専の同期なんだから、会うこと自体はさほど不自然なことではないし。今日は一日オフのため、いつもの真っ黒な仕事着ではなく、先月買った(もののなかなか着る機会のなかった)可愛い私服を着てきたし。今日の私はどこからどう見ても呪術師ではないはずだ。たぶん。

「…何ニヤニヤしてるんですか」
「えっ私ニヤニヤしてた!?」
「ええ。少し不気味なくらいに」
「あはは…久しぶりに七海と会えたから、嬉しくて気が緩んでるのかなぁ」
「……」

七海が持っていたフォークから、モンブランの直方体がぽとりと皿に落ちた。あ、落ちたよ。私が言うと、それに容赦なくフォークのツメを突き立てて口に入れた七海はなんだか変な顔をしている。思わずぷっと噴き出したら、何がおかしいんですかとあの鋭い目で睨まれて、そのやり取りがなんだか無性に懐かしくて、楽しくて、私はそれからしばらくの間笑ってばかりいた。

テーブルの上にある食器がすべて空になったのを確認し、私はチラリと店の時計を見る。まあ良い頃合だろう。今日の目的である「カスクートのお礼をする」ことはできたし、ついでに七海の仕事のことや最近の近況を聞くこともできた。そしてもちろん私の仕事や近況については一切触れていない。色々な理由をこじつけて、今日こうしてまた会うことができたのだから…七海には最後まで楽しんでもらいたいと、余計なことを思い出させるようなことはしたくないと思ったのだ。
近くを通りかかったウエイトレスが、お下げしますねと言って空になったカップと皿を重ねていく。それをぼんやり眺めながら、さて帰ろうかと私が席を立つよりも早く七海が口を開いた。

「すみません、コーヒーをもう一杯頂けますか」
「…え?」
「かしこまりました。お一つでよろしいですか?」
「アナタはどうします?」
「へっ!?……じゃあ、私も…」
「お二つですね。少々お待ちください」

ニッコリと笑って立ち去ったウエイトレスの背中と、向かいで暢気にメニューなんかを眺めている七海の顔を見比べる。…あれ?私たち、今またコーヒーを注文してしまったような…?ということは、これからまた小一時間はこの店に滞在するということである。あっもしかして七海、この後予定があってそれまで時間を潰したいとか、そんなとこだろうか……。
頭の中の混乱が顔に出ていたのか、七海はこちらを見てハァと深い溜息を吐いた。それは私に向かって、というよりは、自分の意図が私に伝わっていないもどかしさから出たもののようだった。

「名前さん、この後の予定は?」
「特に無いけど…」
「私も今日は何の予定も無いんですよ。だから、今度はアナタの話を聞かせてください」
「えっ!……い、いや〜…だって、私の話なんか面白くないし…」
「…私だって、学生時代の友人と久しぶりに会えば近況の一つも知りたいですよ」

そう言った七海の声は穏やかで、落ち着いていて、そして少し悲しげだった。…ああ、私は思い違いをしていたのかもしれない。真っ直ぐにこちらを向く彼の、昔から変わらない瞳の色を見つめながら自分の言動を思い返す。私は、七海が離れていったこちらの世界が彼の視界に入らないようにすることばかり考えていた。彼のためを思えばそれが一番なのだと思い込んでいた。でも、そんなこと…どうやったって無理なのに。私と七海を繋ぐ高専で過ごした四年間は、紛れもなく「こちらの世界そのもの」だったのだから。
お待たせしました、という声に続いてまた目の前に二つのコーヒーカップが並んだ。ごゆっくりどうぞ。立ち去る間際にウエイトレスが残していった言葉に、私は小さく苦笑いする。

「ねえ七海」
「はい?」
「高専を卒業してからの私の話…長いけど聞いてくれる?」
「…もちろん。アナタの気が済むまで」
「コーヒー二杯目からは奢らないからね」
「初めから奢られる気なんてありませんよ」
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