七海が「私は呪術師になれません」と言ったのは、呪術高専を卒業する半年前のことだった。なれませんも何も七海はもう呪術師だと思っていたし、「なりません」ではなく「なれません」と言ったことに意味はあったのだろうけど、私にはこれっぽっちも理解できなくて、ただ「分かった」とだけ、何が分かったかもわからないまま私は頷いたのだった。



最後のホームルームが終わり、灰原が「家族が待ってるから!」と教室を出ていって、私と七海は二人きりになった。窓の外は部活動の見送りなんかで騒がしいのに、この教室はしんと静まり返っている。
隣を見れば七海がいた。何を考えているのか、ぼんやり頬杖をついて時計を見上げている。それは四年間変わらず見てきた光景で、今日ここを出たら、もう二度と見ることができないかもしれない光景だった。

「私は呪術師続けるよ」

呪術高専に入ったあの日から、私は自分が呪術師になるものだと当然のように思っていた。私も、隣にいる七海や灰原も、同じ道を歩いていくんだろうと勝手に信じていた。でも七海はこの四年間でもっと広い世界を見ていたようで。それはとてもすごいことだなと思うし、今もこの先も、私にはできないことだなと思う。
七海が頬杖をやめて、こちらを向いた。いつもと変わらない同期の表情に、少し笑ってしまう。もし万が一泣かれでもしたら気持ちが揺らいじゃうかも、なんてほんのちょっぴりでも考えた自分が恥ずかしかった。どうやらそんな心配は無用のようだ。

「きっとこの先ずっと、何年経ってもそうなんだと思う」
「……そんなの分からないじゃないですか」
「だって呪術師以外にできること分かんないんだもん!だから私たち、」

言い切って、言い切った先に言葉を続けようとして、口ごもった。別れようか。その一言が出てこなくて、どうしても言えなくて、代わりにじわりと視界が滲む。…だめだ、今泣いちゃダメ、せっかく決めたのに。七海が呪術師を辞めるなら、辞めたいなら、私はもう彼に関わらないって。だって、私と一緒にいて彼を巻き込まない保証なんてできないから。だって、七海は優しいから、きっとこの世界の苦しいことや悲しいことを私と一緒に背負ってくれようとしてしまうだろうから。
俯いて、深呼吸して、気持ちを落ち着けて。また口を開こうとしたところで「名前」という声がそれを遮った。顔を上げると、七海は妙に落ち着いた目で私を見つめている。それからゆっくりと、まるで何かの答え合わせでもしているみたいに話し始めた。

「……私、民間企業の試験をいくつか受けたんですけど」
「?う、うん」
「よく面接で聞かれるんです。将来どうなりたいかとか、何がやりたいかとか」

七海の話は唐突に思えて、私は目を瞬かせた。そんな私に、彼は小さく笑みを浮かべる。

「それを考えていると……ふと、アナタが隣にいればいいなと思うんです。稼いだ金でアナタと美味しいものを食べたいし、どこか旅行にだって行きたいし、名前をもっと、喜ばせることがしたいと思う」

だから、これから別々の道を歩むとしても、私は名前と一緒にいたい。
穏やかで真っすぐな声だった。この声と同じように、きっと今彼は穏やかで真っすぐな目をこちらに向けているのだろうけど、私はといえば、また溢れだした涙を拭うのが精一杯でそれを確かめることはできなかった。

「わたしも、一緒にいたい。七海とずっと一緒にいたいよ」

ポロポロとこぼれた言葉を掬うみたいに、七海は私の手を握った。今まで何度も触れてきた手。マメが潰れて固くなった七海の掌は、これから変わっていってしまうのかもしれないけれど。「これからもよろしくお願いします」そう言われて、私も涙でぐずぐずになった顔で「よろしく」と返したら珍しく声を上げて笑われた。この先もたくさん、彼の笑った顔が見られればいいと思う。
これからの未来がどうなるのかなんて分からない。もしかしたら七海がまた呪術師になるかもしれないし、もしかしたら私が呪術師を辞めるかもしれない。それでもあなたの隣にいるのが私であればいいと、私の隣にいるのがあなたであればいいと、今はお互いがそう思っているということだけで十分だった。

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