出会ったときは、まさかそんなにすごい人だとは思わなかった。
ただの探偵ではないとは薄々気付いていたが、公安の人だとは考えもしなかった。
そして名前も違うなんて夢にも思わなかった。

「じゃあ千佳、行ってくる」

今日は本庁に行く日らしく、スーツを着込んだ零さんがいた。
褐色の肌に、グレーのスーツがよく似合う。

朝からきちんとしている零さんに対し、私はいまだにパジャマ姿でベッドの中にいた。
仕事に行く夫に申し訳ないと思うが、体がだるくてしかたがないのだ。
そんな私の頭を零さんは優しく撫で、まだ寝ていていいと暗に伝えられた。

「もうそんな時間…?」

ベッドサイドに手を伸ばして、スマホの時計を確認する。
いつも決まった時間に起きるわけではないが、いいかげん起きなければいけない時間だった。
零さんが起きたときに一緒に目が覚めたのだが、あれからまた眠ってしまったらしい。

「ごめんなさい、私…」

「いいんだ、わかってる」

謝ろうとした私の言葉を、零さんが遮る。
私の顔をのぞき込むようにしゃがむと、心配そうな顔で見つめられた。

「今日はどんな感じだ?」

「昨日ほどは酷くないみたい…」

「そうか、よかった」

私の言葉にほっとしたのか、零さんの表情が明るくなった。
そして私のお腹に手を伸ばすと、その膨らみにそっと手を触れる。

このところ、後期つわりで胃の調子がよろしくない。
なかなか食べることもできないし、夜中に胃がムカムカして眠れないときもある。

お腹が大きくなるにつれて仕方がない症状なのだが、悩みの種には違いない。
妊娠中期ごろまでなんの不調もなく過ごしていただけに、後期になって訪れた不調に戸惑うばかりだ。

「零さん、時間大丈夫…?」

「まったくきみは…。俺の心配よりも、自分の心配をしてくれ」

心配してくれるのはありがたいのだが、仕事に遅れては元も子もない。
当然のことを言ったつもりなのだが、なぜか呆れられた。

「できるだけ早く帰ってくるよ。つらいようならお母さんを呼ぶといい」

「大げさですね、大丈夫ですよ」

「そういうところが心配なんだ。千佳は辛抱強すぎるからね」

このところ、零さんが私によく言う言葉だ。
零さんいわく、付き合っていたころの私の我慢強さには何度も驚かされたらしい。
当時彼とは探偵・安室透として出会い、公安や組織のことは何一つ知らなかった。

なのに彼は傷だらけで帰ってくることもあったし、急に連絡が取れなくなることも多々あった。
その度に今度こそ隠し通せないとか、別れを切り出されるかもと思ったらしいが、私は何も言わなかった。

問い詰めたかったし、危ないことはやめてほしいと何度も思った。
もちろん何も話してくれない安室さんに、別れを告げようとも考えた。

でもいつか話してくれると信じて、待つと決めのだ。
当時の安室さんを支えたいと、この人の力になりたいと、心から思ったから。

そう本当の名前や真相を明かしてくれたときに言うと、たいそう驚かれたのを覚えている。
すべての真相を知り、降谷零として彼と過ごして何年も経つのに、彼はいまだにこの話をする。

「本当に大丈夫。だって一人じゃないもの」

「そうだな…この子がいたな」

私は身体を少し起こして、自分のお腹を触った。
私のその手に零さんも手を重ねて、私にほほ笑む。

「お母さんを頼んだよ。あんまり困らせないでやってくれ」

今度はお腹に話しかけ、そう言った。
その表情は慈愛に満ち溢れている。
零さんのそんな様子に、もっと彼が愛しくなった。

「ほら、早く行かないと」

「わかったよ、いってきます」

「いってらっしゃい」

零さんはしぶしぶ腰を上げると、最後に私の額にキスをして寝室から立ち去った。
去り際に振り返った零さんに、手を振って見送る。

玄関の閉まる音を聞いて、私はゆっくりと起き上がった。
体調が優れないからといって、ずっと寝ているわけにはいかない。

無理がたたらない程度に、できることをしなければ。
そう自分を奮い立たせ、布団をめくって起きようとする。
そのとき、左手に輝く指輪が視界に入った。

結婚してもうすぐ1年になる。
そしてすべての因縁のけりがついて、3年になるだろうか。

大学生だった私が安室さんと出会って、付き合っていたころがずいぶん昔に感じる。
いろいろ困難はあったが、今ではどれも懐かしく、尊いものだ。
私は膨らんだお腹に触れ、そして左手に輝く指輪を見て、あの激動の日々を懐かしんでいた。



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もうすぐ出産する同僚がいまして、感化されました…
2016/07/02



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