戦争と平和

子供だった。
こんな子供に、この世界の命運を掛けなくてはいけないと思うと、なんともやるせなかったし、大人として、大人というにはまだ出来た人間ではないことは重々承知だったけれども、それでも、この子たちに申し訳ないと思った。それは多分、ここで働く人はみんな思っているのではないだろうか。
目の前にある、大きな画面を見ながら、思う。
使徒を倒すため、子供がエヴァに乗り戦っているのだ。弾かれ、腕は使徒の触手に貫通、辺りに響く、子供の絶叫。その声を聴くだけで、じゅくじゅくと胸が痛む。そっとモニターから視線をそらし、パソコンを眺める。データを見るふりをしながら、しかし耳は確実に子供の叫び声が入って来ていた。苦しかった。どうしてこんな事をしなくてはいけないのだろう。司令は今日もとことん無理をさせるつもりね、と同僚がそっと耳打ちをする。後ろを振り返り、高い高い場所に居る司令を見つめた。あの人は怖い。話した事はないけれど、わかる。怖い人だ。あんな風に、冷徹に判断をする人を私は知らない。活動限界です!とマヤの慌てる声がしたので、はっと大きなモニターを見た。



廊下で、腕に何重もの包帯を巻く、子供とすれ違う。彼女は、司令のお気に入りで、なんとなく、大人な香りのする子だった。私はなんとなく苦手だった。本当に、なんとなく。こんなふうに、司令の命令で、ぼろぼろにされているのに、彼女はどんな事でも司令の命令なら聴く。司令に何か弱みでも右られているのだろうか?と彼女の経歴を調べたが過去の記録が無かった。怪しいと思ったが私は深入りしようと思わなかった。綾波、レイという少女は、人間離れするほど、肌が白く、真っ赤な目をしている。私はその姿を少し、怖いと思った。あまりに人間らしくないからだ。先ほど、あんな風にエヴァに乗り、戦い、そして使徒にえぐられたとは思えないほど、平然としている。エヴァに乗る事がイヤにならないのだろうか。怖くないのだろうか。私はこうしてのうのうと安全地帯に居るけれど、それでもああやって使徒がくれば怯えるし、あの映像を見るだけで震える。弱虫だ。
「あ、綾波…レイ…ちゃん」
思わず声を掛けてしまう。少女、レイはぴたっと足を止め、静かに振り返る。真っ赤な目が私をいぬいた。
「さっきは、…お疲れ様」
自分でも思うほど、くだらない言葉が口から出ていた。レイは、いえ…と小さく呟くと、そのまますたすたと歩いて行く。私はその場に立ち尽くしながら、何がお疲れ様だ、私のバカヤロウ、と一人腕をつねっていた。



今度の子、司令の子供だって。
同僚たちの噂話はどこからやってくるのか、ある日急に来て、部屋をいっぱいにする。私はへえ、あの人結婚していたんだ、とかあの人の子供だなんて、どんなコなんだろう?と少し興味が湧いたけれど、何より、あの怖い人の奥さんってどんな人なのだろう、と思った。ああ見えて、仕事場と家庭で顔を使い分けているのかもしれない。想像出来ないなぁ、と心の中で苦笑した。
そんな司令の子供、シンジくんはレイとは全く違って、とても人間的で、当たり前だけれど、ただの子供だった。悪い意味ではなく、本当に、子供だった。だから私はとても安心してしまう。レイがあまりに子供らしく、人間らしくなかったからだ。だから私は勝手に、シンジくんへ親近感を覚えていたのである。
さらに続いて、海外からとびきり可愛い女の子が来た。青い瞳の女の子、アスカは私を見るなり愛想笑いをするでもなく、フンと鼻を鳴らしカツカツと廊下を長い脚で歩いて行った。その後、女子トイレで遭遇した時には、これからよろしくね、とあいさつすると、アスカは「アナタの為に戦ってるわけじゃないんだけど」と目を鋭くさせて返事をした。彼女も子供らしく、私はたいへん親近感がわいた。そして、アスカの言葉を思い出す。彼らは、誰かの為に戦わされているけれど、それは私たちのためじゃない、その当たり前の事実に少し安心した。多分、自分を正当化するためだと思う。



シンジくんは、悲痛な命令を司令から受け、暴動を起こした。あんな気弱な子が、こんな事をするなんて信じられないと震える。やっぱり、司令の子なんだ、と何がやっぱりなのかわからないまま、漠然と思った。でも私が彼の立場だったらあんな風に憤るだろう、何もかも壊したくなるし、平然と命令を下す司令を倒したくなるだろう。
エレベーターに乗っていると、シンジくんが乗り込んできた。久しぶりに見るシンジくんはどこか疲れ切っている。子供なのに、こんなに弱っている。この年頃の子は、友達と遊びに行くのに彼はそういう事をしない。出来ないのだろう、あんな事があってからでは。学校へ行くのも気まずい筈だ。

「シンジくん、久しぶり」
「…どうも」

シンジくんは人と目を合わせようともしない。社交的ではなく、内向的な子なのだろう。一時は、シンジくんはここから出て行くものだと思っていたが、ミサトさんなどが人事を尽くして結局彼はここに居る。子供なのだ。どこかへ行きたくても行けない。かわいそうだった。でもそれはこの世界にいる人間みんなそうで、みんなどこへも行けないし、大人もみんな子どもなのかもしれない。私はシンジくんの背中を見ながら話しかける。

「おせっかいかもしれないけど、…シンジくんは、悪くないよ」
「僕は殺したんだ」

たんたんとしゃべるシンジくんだが、声は震えていた。本当は喋りたくないだろう、呼吸もしたくないだろう、それでも言葉にしなくてはいけないのだ。

「僕がこの手で。どうしてそんな事をしなくちゃいけないんだ、ねえ、教えてくださいよ」

振り返り、シンジくんは私の眼に縋るように、見つめてくる。シンジくんの瞳が私を壊していく。そんな目で見られても、私は何も出来ない。ましてやシンジくんの代わりになれないのだった。
こうやって世界を守る代わりに誰かが犠牲になっている事を、きっと町の人は知らない。

エレベーターが目的の階に着き、扉が開く。シンジくんは踵を返し、返事をしない私を置いて、外へ行く。諦めたような目だった。だって、仕方がないよ。私にはどうする事も出来ないよ、背中に声を掛けたが、扉は閉じられ、半分も声は届かなかった。

それから私はネルフを辞めた。親にあんなに良い一流企業をどうして辞めたのと残念がられたし(採用が決まった時は家族総出、親戚も巻き込んでお祝いをしてもらった事を思い出した。だってネルフだもの)、友人にもお給料イイのにモッタイナイと言われた。私もそうだった。あんなに給料の良くて、なにより苦労して入った企業なのに。頭がよくなくちゃ入れない事で有名なあの会社。勿体無い事をしたと頭を殴りたくなる。後悔はどんどん出てくるのだった。
どうして私はやめてしまったのだろう。
やめたからと言って、私の罪は無くならないのに。

マンションを出て、街を歩く。
日差しが熱かった。汗が頬を伝った。泣いているみたいだった。
もう少し、子供たちとちゃんと会話をしておけばよかったな、だって私はあの子たちと歳が近いから、少しは打ち解けられたかもしれない、とまた後悔をしたけれど、もうどうにもできないのだった。
あなたたちの苦労で私が生きている。だから、ねえ、せめて、君たちは自分の為に生きてください。誰かのためでもなく、自分の為に生きて、苦しんで、それから、それから喜んでください。
あの子供たちは今日もエヴァに乗る。私は今日も生きている。


戦争平和


20130629
企画;http://children.5.tool.ms/-astronauts