綺麗なドラマなんてありゃしない

 人が死ぬって、当たり前だけどこんな風に意味のない死に方もあるのだと知った私は、いよいよこの世界が怖くなる。祖母を看取ったのは私が幼い頃で、その頃は当たり前だが壁は壊されていなかった。あの頃は、巨人と間近で会う事になるなど、考えもしなかった。本に出てくる巨人の姿はみなおどろおどろしかったが、実物のほうが何倍も、恐ろしく、私に立ちふさがる。

優しい祖母は高齢だったため、軽い風邪を引き死んでしまった。病の前で人は無力だった。祖母の優しい声を思い出しては、泣きたくなる。そんな風に、仕方のないことで、死は訪れるのだと思っていた。ところが、壁が壊れてから、巨人という絶対的な脅威によって、人が簡単になぶられていく様は、不思議だった。秩序も何もなかった。そこにあるのは恐怖と怒りと悲しみと理不尽さである。
なぜ私が調査兵団に入ったかと言うと、人は自然なものの手で死ぬもので、誰かが勝手に殺めてはいけないという勝手な使命感があったからだ。しかし命を省みず、戦うこと、すなわち兵団に入る事は、命を粗末にしている事かもしれない。
現場を見るまで私はわかっていなかった。あまりに悲惨で壮絶な光景を。初めて壁の向こうへ行き、巨人と対面して何も出来ず帰還してずいぶん減った仲間たちの姿。あれを見たいま、調査兵団になんて、ならなければよかった。なんて事を思う。



「どうかしている」

そんな話を同期から聞いたのは、調査兵団に入団してしばらくの事だった。みなが顔をしかめて言うには、巨人にお熱な人が居る、という事である。それはつまり巨人に関心があり巨人に興味があり巨人に好意的ということだった。閉口した。自分の目で見るまで、人の噂話を信用しない私だったが、本気と受け止めた。信じられなかった。どうしてそんな風になってしまったのだろう。人間をなぶり秩序も倫理も道徳もないような巨人、人類の憎むべき存在。生き物と呼ぶにはあまりにも衝撃的な、やつら。
そんなのは尾ひれのついた話だろうと私は考えた。非現実的だったし人類はすべからく巨人に憎悪と敵意を向けているものだと思っていたからである。

ところが本当だった。今回の壁外調査の指揮をとる人物こそ、渦中の人物そのものだったのである。第一印象は聡明で理知的なひとだった。話してみてわかる、論理立てて会話をする人だった。こんな凄い人がいるのかと胸を撫で下ろしたのが遠い昔のようだ。ハンジ・ゾエことハンジ分隊長は、巨人を見つけるやいなや、目を爛々と輝かせる。私は恐怖と憎悪で顔がひきつっているなかで、ハンジ分隊長は、舌なめずりをしたのだ。私は本能的に鳥肌が立つ。この人は巨人をどういう風に見ているのかわからなかった。

自分の班を援護しながら、巨人の足の間を滑り脛を切る。巨人は動きを止め、膝をつく。仲間が壁づたいを走りながら、巨人の肩にワイヤーを引っ掛け、うなじを狙う。見事にうなじは削がれ、巨人は血と煙を出しながら地面に倒れた。「気を抜くな!後方から7m級が接近している!」はい!と声を上げ、屋根に上がるため壁に向けてトリガーを引く。風を切りながら屋根へ着地をして、全体を見渡すと、たしかに巨人が歩いていた。
「一斉に行きますか」班長に訊ねると、そうだなと頷き、仲間たちに指示を出した。私達は、一斉に屋根の上を走り出して、巨人に狙いを定める。ところが巨人は我々に気付くと勢いよくこちらに走り出した。急だったので私たちは一瞬怯む。
「奇行種だ!気を付けろ!」仲間の一人が叫ぶ。勢いをつけ、飛びすぎた仲間が大きく広げられた巨人の口の中に吸い込まれる。だってそんなと悲観したくなった、彼は故郷にいる家族を養うため調査兵団に入団した家族思いの青年で好きなものは葉物で肉が嫌いだから私はたまに彼から肉を貰ったこともある、昨日だって明日の調査について成果が上げられるといいなと朗らかに笑っていた。私はぜんぶ知っている。涙が溢れた、前がよく見えない。

行くぞ!と誰かが声をあげ、私は無我夢中で巨人の目を狙いにいく。トリガーを引き、狙う。巨人の瞼にワイヤーが引っ掛かり、私は剣を引き抜く。「なまえッはやまるな!」班長の声だった。巨人の顔に足を付いた瞬間、目の端に巨人の手が近付くのが見えた。逃げようと、巨人の足にワイヤーを引っ掻け、下へ落ちていく。上を見上げると巨人が私を見下ろしていた。大きな目が私を捉え、にっこり笑う。唇が避けそうなほど、にっこりとしている。それだけで私が動けなくなるのは十分だった。こいつは仲間を食べたから仇をとらなくてはいけないなのに私は恐ろしくて足をすくませる事しか出来ない。巨人が私に手を伸ばす。私はどうにも出来ず見ていた。
彗星のごとくあの人が現れたのはそんな時だった。

その人は、巨人の手首を颯爽と切断していった。血が降り注ぐ。それを合図に仲間たちがいっせいに飛び掛かり、目を切り足を切り落しているなか、その人は、高く飛び上がったかと思うと、力強く巨人のうなじに刃を叩き込む。すぐに巨人が倒れ込むので慌てて壁に乗り上げる。すると隣に誰かが素早く来たので、見ると、あの人だった。
その人は、血に染まったゴーグルを上げながら、「大丈夫?」と笑った。私はゆっくり頷く。ゴーグルの人は、煙りで見えなくなる巨人を見下ろしながら、あーあと残念がる。残念がる姿に違和感を感じた。

「ね、今の奇行種どんな感じだった?」
「え?」
「危なかったから倒しちゃったけど、研究材料にはぴったりなんだよね惜しいことをしたなあ」

私は気付く。噂されていた巨人好きの人が、ハンジ分隊長だったとは。この状況で、巨人を研究材料として見られるなんて異常だ。今までの緊張感がぷっつりと切れていき、肌が粟立つのがわかる。指が震える。どうしてそんな目で巨人を見られるのだろうか。

「後で報告書頼んでいい?」

よろしく頼むよ、とハンジ分隊長は私の肩を叩く。私は思わず、待ってください!と声を掛けていた。ハンジ分隊長は、ゆっくりと振り返る。その目は私を見ているようで、見ていないようにも思えた、私の気にし過ぎかもしれない。

「な…仲間が、あの巨人に…こ、殺されて……」

息が出来なかった。ただ、何か言わなくてはいけないという使命感だけが私を突き動かす。だって、あんまりじゃないか。人が死んでいる。この人に関係ない事は私がよく解っていた。それでも、あまりに淡々と処理をしていくこの人に何か言いたかった。彼の事を誰が覚えていてくれるのだろう。私もきっと忘れてしまうかもしれない、それが怖かった。
ハンジ分隊長はゴーグルの縁を撫でると、うーんと考える仕草をする。

「こればっかりは…私が何を言っても気休めにしかならないけど、でもね、その仲間のために、人類のために、戦ってくれる?」

ハンジ分隊長の黒い目が私をじっと見ている。私は目が逸らせない。ハンジ分隊長の言わずとしている事がすとんと入ってくる。

「つらかったね。怖かったね。でもまだ終わりじゃないよ」

そうだろ?とハンジ分隊長は首を傾げながら私を促す。はい、と頷く私にハンジ分隊長は、いい子だね、と笑う。

「壁の中に戻るまでが、仕事だから」

ハンジ分隊長はそう言うと、少し離れたところにいる私の班の仲間に声を掛け、起動装置を使い飛んでいった。



市民が出迎えてくれる中、私は馬に乗りながらただ下を向く事しか出来ない。
仲間が目の前で死ぬところを見て何も出来なかった自分に不甲斐なさを感じる。こんな事を何十回、何百回と繰り返してきた精鋭たち…前の方に居る人たちは、どれだけの感情を押し殺してこんな事をしているのだろう、と思うと、先ほどのハンジ分隊長へやり場のない気持ちをぶつけた自分を殴りたくなった。馬鹿だった。浅はかだった。
出来る事なら、人の役に立って死にたい。そう願った。けれど、はやくこの世界から消えてしまいとも思った。塀の向こうを見てしまったからだ。

夕食をしていると、隣いい?とハンジ分隊長が返事をする間もなく座ってくる。席は空いているのに隣に座るので、背筋がピンとなった。

「ええと」
「なまえです」
「そう、なまえ。さっきはお疲れさま」
「いえ…私は何も」
「そんな事ないよ。自分をほめなって。過信は禁物だけど」

ハンジ分隊長がこうしてやってきたのは、きっと先ほどの奇行種の事だろう。疲れて書類どころではなかった。すみません、と謝ろうとすると、ハンジ分隊長は、

「仲間の事はごめん。でも、ああやって巨人の事を調べるのは、人類の飛躍のためなんだってこと、わかって欲しいんだよね」
「え?」
「なまえは知っているかい?巨人ってあんな風に大きな体をしているけれど、実はとても軽いということ」
「そうなんですか?」

そうなんだよ、とハンジ分隊長の目がキラキラと輝いていく。そうして、ハンジ分隊長による巨人講座は明け方まで続いた。



先日の巨人の詳細を書類にして、私はハンジ分隊長の執務室の前に立っていた。
どんな顔をして、部屋に入ればいいのかわからない。ぎゅっと拳を握り、深呼吸をする。
扉を開けようとして、しかしその勇気が出ない。そうこうしていると、人が出てきた。ハンジ分隊長である。あれっ、君…とハンジ分隊長は首をひねり、あっなまえだっけ。中に入ったらどう?と快く執務室へ入れてくれた。
先日の件ですが、と書類を出すとハンジ分隊長は何だっけ?ととぼけたのちに、合点がいったのか、ああ!と手と手を合わせて破顔した。ありがとう〜、と本当に嬉しそうに笑うので、辛い事を思いだしながら記述したかいがあった、報われた、とほっとした。
ハンジ分隊長は、そんな私をじっと見る。顔になにかついているのだろうか、と考えていると、強く引っ張られ、懐に強く押し付けられた。あっという間の出来事で何がなんだかわからない。

「辛い時は、少し泣いた方がいいよ」
じゃないと、やってられないから。
ハンジ分隊長はそうささやく。え、泣く?頭で理解できずとも、体は簡単に涙があふれていった。それは背中をあやすように撫でてもらったからか、腕の中が暖かく安心してしまったためか定かではないがとにかく私は、ハンジ分隊長の胸の中で、しゃくりあげた。
少し落ち着いて、ことばをまともに喋れるようになった私は、すみませんと鼻声で言うと、ハンジ分隊長はけらけらと笑った。
「目ぇ真っ赤!」
やさしい手が私の目元をぬぐっていく。それも突然の事で、でも自然の当たり前の出来事のようで私はただされるがままでいる。
「元気を出して、なまえ。私たちは生きているんだから」
ね、となだめるハンジ分隊長が、どこまでも優しくて、少し残酷だった。こんな世界で私は少し生きているのはだるいと思ってしまったのである。けれど、この人が生きているならば、私も足掻いてみたいとそう思った。
単純な話である。

20130703
タイトル「深爪」さま
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